それは突然の事だった。
軽く押されて天井が見えたと思えば近付いてきた整った顔。あれ、これって…なんて思ったのも束の間。
重なったくちびるに驚いて目も閉じれずに、離れるまでの間は不二くんの睫毛を眺めながら長いなぁ、腹立ってきた。なんて冷静に考えている自分がいたのだから、なんだか可笑しくて笑えてきた。

「あはは、なんでずっと目開けてるの?」
「……あんたずっと閉じてるもんね」
「別に閉じてる訳じゃないんだけどな」

いつものように目を細めて笑い私の上からどいた不二くん。
惚けすぎて未だ起き上がれずにいる私の顔を覗き込み「もう一回したいの?」なんてほざく不二くんを睨み付けながら溜息をつく。

「あのさ、初めてなんだけども」
「昔よくしたでしょ?」
「あれは違うでしょ、どう考えても」
「僕はずっとそういうつもりだったよ」

起き上がりながら頭を掻き毟ればそんな衝撃的な事言われてしまい、頭の中がぐしゃぐしゃになる。そのまま、また後ろに倒れ込んでうーんなんて無い頭を絞って考えてみる。
確かに、幼稚園児くらいの頃は口でないとはいえキスも普通にしていたし、小学生の頃は手も繋いで歩いたしハグだってよくしていた。

───そんなことをしなくなったのは確か、小学四年の頃だった気がする。
「しゅうくん」と呼んでいたのをからかわれ、手を繋いでお出掛けしていたのを見かけたらしい女の子数人から「不二くんのこと好きなの?」なんて訊かれたような記憶がある。
今思えばあの子たちはきっと不二くんのことがすきだったのだろう。

もちろん『しゅうくん』のことは好きだったし、あの頃はきっと恋愛感情も込みだっなし、ああやってスキンシップしていた事は私たちからすれば当たり前の事だった。
確かに、傍から見ていれば幼馴染を越えた関係に見えたかもしれない。それでも私たちの中では当たり前のことを色恋沙汰だと囃し立てられからかわれるのが嫌になってしまった私はそれ以来不二くんを避けるようになった。

大好きな『しゅうくん』と居るより、周りにからかわれて女の子達の輪からハブられる方が当時の私には苦痛だったのかもしれない。
そんな身勝手で不二くんのことを避けていたのに、中学生になって避け続けていても変わらず接してくる彼。
幼馴染の私以外に友達と呼べるものが出来なかったのか?とか思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい。

隠している顔が熱くなる。そう考えれば、きっと不二くんは今まで私に対してからかうと面白いからとか、友達がいないからみたいな理由で近くにいた訳ではなく、好きだから近くにいた訳で。
それじゃあ私は何も気付かないまま避けてた最低の人間ってことになる。

「ねぇみぃちゃん、分かってくれた?」
「あのね、分かりにくいよ。小学生男子?」
「僕だって思春期だからね」
「思春期の奴は自分でそういうこと言わないよ」

当たり前のように私が寝転がっているベッドに座った不二くんの顔を見ればほんのりと赤い。マジじゃん〜なんて諦めて大の字で寝転がる。
広げた手がこつんと不二くんの足に当たる。

「どうしたいのさ、不二くん」
「不二くんってやめない?」
「またしゅうくんみぃちゃんなの? もうすぐ高校生だよ?」
「僕は別に構わないけど、確かにその呼び方は幼すぎるかもね」

「ふふ」なんて笑う不二くんに向かいじゃあ、と口を躊躇いがちに開く。

「し…周助ってこと?」
「そうだね」
「なんか今更めっちゃ恥ずかしいんだけど」
「ふ、あはは! 確かに」

起き上がり不二くん改め周助の顔を窺えば楽しそうに笑っているように見えて、少しニヤけているような照れているような、そんな感じの顔をしていて。
なんだ、可愛いところもあるじゃん。なんてにやにやと笑っていれば耳触りの良い優しい声を発する。

「みやこ…ふふ、確かに恥ずかしいね」
「……あの…やっぱりやめよ…」
「やめないよ。ねえ、みやこ」
「恥ずかしくて死んじゃう、落ち着いて」
「みやこ、気付いてなかったみたいだけど君のことずっと好きだったんだよ」

少しずつ、ジリジリと近付いてくる周助。
ギシリとベッドのスプリングが軋む。このベッドで一緒に寝たことあるよな、なんて昔のことを不意に思い出す。

「みやこは?」
「も、黙秘!」
「照れなくても良いんだよ?」
「随分自分が好かれてるって自信がお有りで」
「嫌いなら押し退けなよ」

グッと言葉に詰まる。ズルすぎる問いかけだ、多分押し退けることが出来ないのを理解してこんなことを言ってくるのだからタチが悪い。
今更、好きなんて言えないし恥ずかしくて言えっこない。

「……保留で」
「…君ってほんとそういうとこあるよね」

はあ、なんて溜息をついた隙に腕の間から這い出て一息つく。
諦めたのかそのまま私が居なくなったベッドに寝転がった周助。人のベッドに居座るとはどういう了見なのか。
無言の時間がいたたまれず徐に口を開く。

「帰らないの?」
「帰って欲しいの?」
「いや…まあ…お昼寝したいなあと」
「寝ればいいんじゃないかな」
「どこで?」

そう問えば少し端に寄りぽんぽん、とベッドの空いたスペースを叩く周助。なんでそうなるんだ、一緒に寝るわけないだろう。
それでも昨日夜更かししたツケなのか、この一瞬の間に疲れきってしまい正直もう何処でもいいから寝たい。

「昔一緒に寝たじゃないか」
「……そうだね。じゃあ失礼します」
「えっ」
「なんで言い出しっぺが驚いてんの」

狭いベッドの上に横たわり布団を被る。
周助には背を向けた状態で枕を探して目を閉じゆっくりと深呼吸。狭いせいでピッタリ…とまではいかずとも近くに居るせいで背中はほんのりと暖かく眠気を余計に誘われる。
未だに「ごめん、冗談だから」なんて慌てている周助が少しうるさくなってきた。
寝返りをうつように周助の方に向き直り自分の口元に手を宛てる。

「しー、寝るの」
「……君には敵わないな」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」

また目を閉じて全身の力を抜く。少しずつ暗闇に沈んでいく感覚が心地よい。
ぽんぽんとリズム良く身体を叩かれそれも更に眠気を誘い、そのまま思考を投げ出した。

────

ふ、と意識が浮上する。目をうっすらと開ければ空はもう暗く部屋の中は真っ暗だ。
横ですぅすぅと寝息をたてている彼に驚くが、寝る前のことをゆっくりと思い出せばそれもその筈。
無意識のうちに癖で足を絡めていたのかもしれない。それに向かい合っていたから手のやり場に困ってしまい背中の方に手を回していたようだ、きっと抜け出せずにそのまま周助も寝てしまったのだろう。
その証拠とまではいかないが、起きた時には周助の服の脇腹辺りを握りしめていた。
起こすのも申し訳なくて蕩けた頭でぼうっと先の出来事を思い出す。なんとまあ、驚くカミングアウトだっただろうか。
それでも、何となく今は恥ずかしいなんて気持ちがなくてぽつりと呟く。

「わたしも、好きだよ」

ふ、だなんて面白くなって自分で小さく笑ってしまう。周助、寝てるしきっとバレないよね。なんて彼の胸元にすりすりと顔を寄せる。
嗅ぎ慣れた匂いがなんだか落ち着く。それに幸せな気持ちで胸がいっぱいになって暖かい。
もう一眠りしてしまおうか、目を閉じれば我慢しきれなかったのか「っ、ふふっ」なんて笑い声が聞こえる。

「……いつから」
「…みやこが起きる少し前?」
「さいあく……」

離れるためにグイッと周助を押してもビクともしない。寧ろ押し付けられるようにぎゅうと抱き寄せられる。
押し付けられた胸元で「さいてー、変態、ばか」なんて呪詛のように続けるがなんとも思わないのかな未だに「ふふ」なんて笑っているだけだ。

「ねえ、もう一回好きって言ってよ」
「ぜーったいに言わない。好きじゃないもん」
「でもさっき、私も好きって言ったよね?」
「聞き間違いやって!」
「相変わらず素直じゃないね」

ふう、と息をつき私を解放する周助。
ぱっと離れて起き上がればじぃっと見つめられ恥ずかしくなり眉間に皺が寄る。眉間に手が伸びてきて寸でのとこで指をさされる。

「跡になるよ」
「誰のせいよ」
「僕?」
「正解です」

また、無言の時間が続き居た堪れない。
聞かれていた恥ずかしさとバレないと思いしてしまった軽はずみな行動で思わず自己嫌悪に陥る。そんな様子を静かに見ていた周助は徐に口を開く。

「みやこの素直じゃないところも照れ隠しに口が悪くなるところも、そうやって甘えてくれるところも僕は全部好きだよ」
「うるさい」
「ほら、照れてる」

顔を隠していた手は取り払われてニヤけた顔が見られてしまい思わず唸る。最悪、見られた。
ニヤける顔を抑える為にググッと顔に力を入れるが口元が緩みきって表情筋は使い物にならない。

「みやこ?」
「あー! もう降参! 今日だけだからね!」
「何が?」
「好き、周助のこと。すっごく好き」

離れていた距離を詰めるように。周助の傍へと近寄る。そのまま周助の手を取りぎゅっと握れば温かくて大きくて、緊張で握る手が震える。

「気持ち、分かってくれましたか?」
「分かり辛いね、お互い」
「思春期なもので!」
「ふふ、さっき思春期の奴は自分でそういうこと言わないって言ったの誰だっけ」
「うるさいなあ!」

なんか損した気分だな!握っていた手を放り投げてそっぽを向く。
机の上に置いてあったスマホが音を立てる。ぱっと見れば私のものではなく周助のもののようで。

「スマホ鳴ってるよ」
「うん……あ、姉さんか」
「ゆみちゃん?どうしたの?」
「そろそろご飯だから帰って来なさいだって」

スマホを確認した周助は返事をしているようでスマホの上を滑る指をじっと見つめる。
返事し終わったのかスマホをズボンのポケットの中にしまい立ち上がった周助。

「そろそろ帰るよ」
「うん、じゃあね」
「また連絡するよ」

そのまま帰るのかと思えば顔に向かって近寄ってきた周助の手にびっくりして目を閉じる。
頬をするりと撫でられ近付く影。案の定、思った通り。本当に軽く触れるだけの、昔よくしたものと変わらないキス。

「またね、みやこ」
「……もう来るな!」

「あはは」なんて笑い声が廊下から聞こえて思わず脱力、ベッドの上に倒れ込む。
……ところで、どういう関係に落ち着いたんだろうか私達は。
わざわざ聞くことでもないしもういいか、なんて思考を放棄した。


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