高校生にもなって、少し大人になったはずなのに。みっともなく漏れ出る嗚咽と止まらない涙に嫌気が差してくる。まるで駄々を捏ねる幼稚園児のようだ。
 端的に言えば失恋だった。幼稚園の頃から、ずっとずっと好きだった人に恋人が出来てしまったのだ。

「僕、凄く幸せなんだ」

 そう言って心から幸せそうな顔で笑った彼に「良かったね」なんて簡単で有り触れた言葉しか返すことが出来なかった。
 十余年程秘めた想いを伝えていれば、私にも希望はあったのだろうか。否、その勇気が無かったからこんな結果になってしまった訳で。
 後悔したって仕方がない。済んだことはどうにもならない。
 頭では理解しているけれど、感情が、気持ちが追い付いて来てくれないから涙が溢れるのだ。

「…泣かないでよ」
「……泣いてないし」
「じゃあ顔見せて」
「嫌だ」

 グズグズと鼻を鳴らし続ける私を慰めるため、ずっと傍に居てくれる彼に甘え続けるのもどうなのかと思うけど。
 それでも「落ち着くまで」なんていつもの優しい声で言われてしまえば断れなかった。

「都はさ、不二のどこが良かったの?」
「…分かんない。だって、ずっと一緒にいたから。……私の方が、好きだったのに。周助のこと、私の方が知ってるのに」
「……うん」

 手渡されたポケットティッシュを全て使ってしまう勢いで鼻をかんで小さく息を吐く。
 やっと止まりつつある涙を雑に袖で擦れば「赤くなるよ」なんて言いながら、次は自分のハンカチまで渡してくるもんだからサエはお人好しが過ぎる。

「…サエ、部活は良かったの」
「部活より都の方が大事だから」
「相変わらず女誑しだね」
「本当だよ」

 真剣な目に胸がズキリと痛む。本当は彼の気持ちに気付いているからこそ、余計に痛く感じる。
 サエからの感情に気付けないほど鈍感ではないし、サエもサエで隠す気は差程ないようだった。
 つまるところ、そんな彼を利用するように……泣いて電話を掛けてしまえば駆け付けてくれると分かって電話を掛けてしまったのだ。狡くて馬鹿な女でしかない。

「都になら、俺は利用されたって何とも思わないよ。寧ろ頼ってくれるなら嬉しいし」
「馬鹿みたい。私はこんなに後悔してるのに」
「だって都のこと好きなんだから仕方ないじゃん。都だって不二に頼られたら、それが自分の不利になったって、嬉しくなって何でもしたいって思うだろ?だから、」
「……分かった、そうだよ。そう」

 だから、の後に続く言葉きっと「だから、不二に協力したんだろ」だ。分かりきっていたけどそれでも聞きたくなんてなくて、現実を見るみたいで嫌になって途中で遮ってしまった。
 「言いすぎた」なんて謝るサエが悪いんじゃない。慰めて傍に居てくれてるだけのサエに八つ当たりした自分が悪いのだから。

「ほんとに、好きだったんだよ」
「俺がいちばんよく知ってるよ」
「それもそうだね」

 自虐のように笑う彼に、今は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 私も周助から彼の好きな子についての相談を受けた。その時の気持ちは今でも思い出したくないほど辛く、何度も泣いた。それと同じことをしていのだ、分かっていたのに。

「ごめんね、サエ」
「謝らないで。都に傷付けられるなら俺は喜んでそれを受けるよ」
「その気持ちはわかんないかな、ちょっとキモいよ」
「それくらい好きってことだよ」

 分かっていたけど、懐が広い所の話ではない。きっと彼は私がどんな酷いお願いをしても、もしそれが法に触れるようなことでも、「都のためなら」と完遂してくれるのだろう。

「それに今日駆けつけて君の傍にいれば、少しでも傷心に付け込めると思ったからね」
「それは知りたくなかったけど、サエは弱ったところに付け込んで好きになられてもいいの?」
「俺の事だけを見てくれるなら有りかなって思うよ」
「ふ、馬鹿正直が過ぎるね」

 小さく声を出して笑えば「やっと笑ってくれた」なんて微笑まれてしまい、たまったもんじゃない。
 そうこうしている内に涙も止まって泣き疲れたあと特有のぼんやりとした思考と倦怠感に襲われる。

「眠たくなってきた?」
「うん…ちょっとだけ」
「じゃあそろそろ帰ろうか。家まで送るよ」
「ありがと」

 立ち上がらせてもらい帰路に着く。
 案外、久しぶりのはずなのにサエは我が家への道のりを覚えているようで足取りが覚束無い私の手を引いて先を歩いてくれる。

「ねえ都」
「なに?」
「不二じゃなくてさ、俺じゃダメかな」
「……それは、」

 少し先を行くサエはピタリと立ち止まってこちらに振り返る。
 困ったように眉を下げて何も言わずこちらを見つめる顔に何も言えなくなってしまう。

「今日みたいに利用しても構わないから、だからさ」
「……サエは優しすぎるよ」
「欲を言えば俺の事だけを見ていて欲しいけど、新しく好きな人が出来るまで…せめて不二を忘れられるまででいいから。都の傍に居させて欲しいな」

 「ダメかな」普段より弱々しい声が耳を撫でる。軽く握られていたはずの手には力が入りほんの少しだけ痛い。

「…サエは辛くないの?」
「俺より、都の方が大事だよ」
「私に甘すぎるよ」

 へらりと笑えば「そうかも」なんてサエも同じように笑った。
 今まで散々甘えたついでに、もう少しだけ甘えさせて貰ってもいいのかもしれない。現に彼もそれを望んでいるなら尚更。

「ねえサエ、他意は無いんだけどさ。昔みたいに抱き締めてくれない?」
「…いいの?」
「いいから」
「それなら」

 一歩、私に近付き恐る恐るといったように優しく抱き締められる。小さい時もよくこういうスキンシップはしたものだ。
 あの頃は全く変わらなかったはずなのに、大きく変わってしまった背丈。肩口に顔を埋めればサエの甘く爽やかな匂いでいっぱいになる。
 サエがしているのと同じように背中に手を回せば焦ったような声と真っ赤な耳。

「サエ、今凄い心臓バクバクしてる」
「今にも破裂しそうだよ、本当に」
「あはは、それじゃあもうやめておこうかな」

 ぱっと手を離してしまえば名残惜しそうにサエも離れる。道の往来で何をしているんだという話だけれど、人なんか通っていないから許されるだろう。
 少し…いや、かなり落ち着いた。それどころか逆にサエの落ち着きがなくなってしまった。

「キョドりすぎ」
「都にはわかんないよ、きっと」
「ふふ、わかんないかも。ここまでで良いよ、もうすぐそこだし。また電話する」

 一歩先に出て「じゃあね」と手を振る。
 真っ赤な顔で「また」なんて手を振ったサエ。揶揄ったつもりはないけれど、少し揶揄い過ぎたかもしれない。

「サエ、ありがとうね」
「いいよ、もっと迷惑掛けてよ」
「それなら掛けさせてもらおうかな」
「全部受け止めるよ」

 本当に全部受け止められそうで少し怖くもあるのだけど。
 少しだけ帰るのが名残惜しく感じてしまうのは、きっとサエの傍は居心地が良いからだろう。

 サエのことを好きになっていれば、どれだけ良かったか。……なんて思ってはみても、結局一途に想い続けてしまうのは彼しかいないのだけど。

「周助見かける前に帰るね」
「不二の話しなくてもいいじゃん、もう忘れなよ」
「それは早すぎるでしょ。……ふふ、またね」
「それもそっか、じゃあ…気を付けてね」
「サエもね」

 今度こそ、サエに背を向けて歩き出す。
 きっと前向きな気持ちになれているのはほんの少しの間だけかもしれない。それでも、サエがいてくれるならと思うだけで幾分か心は軽くなる。
 サエには悪いけど、もう少しだけ迷惑を掛けさせてもらおう。


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