「おはよう都!」
「……おはよう、何?その手は」
「今日が何の日か知ってる?」
「あー、部活の時ね」

 未だに手を出しているサエからふいっと顔を逸らせば「えー」だなんて残念そうな声が聞こえる。
 きちんと用意しただけでも有難いと思ってほしいんだけど。

「サエ、今年はちゃんと袋用意した?」
「もちろん。朝、姉さんに渡されたからバッチリ」
「いっそダンボールとか箱の方がいいんじゃない?佐伯専用バレンタインボックス」
「流石にそこまでは無いと思うけどな」

 なんて言っているけど去年は鞄に入り切らず、他に入れるものが無くて私の手提げを貸した記憶がある。
 朝と夕方は靴箱はいっぱいだし、休み時間の度女の子からひっきりなしに呼び出されていたような気がする。今年もきっと沢山のチョコを持って帰ることになるんだろうな。

「まあ、頑張れ」
「欲しい人からは本命、貰えないのにね」
「居るの?本命」
「居るよ。ずーっとね」
「…ふーん、貰えるといいね」

 適当に流しつつぼんやりと歩く。手提げの中には部活の時みんなに渡すためのチョコムースが入っている。それと、なんて考えていれば学校の近くまで来れば見覚えのあるシルエット。坊主頭の可愛い弟分。

「剣太郎、おはよう」
「あっ、都ちゃんにサエさん!おはよう。今日はバレンタインだね!」
「ふふ、部活の時ね」
「やった!一つは確実だ…! ところで、サエさんはもう何個貰った?」
「まだ一個も貰ってないよ。都と一緒に登校したしね」

 校門をくぐり靴箱に向かう。
 下駄箱の前には数人の女子がいてなにやら詰めているようだ。あそこは間違いなくサエの靴箱で。

「いるね、早速」
「こう、目の前で見ちゃうと少し困るな」
「サエさん、それ自慢?」
「ははっ、剣太郎も靴箱に入っていればいいな」

 サエはさらりと笑顔で流してそれを遠巻きに見ていれば、こちらに気付いた女の子は慌てるように去ろうとする。
 だけど、入れていた女の子は取り巻きの子に何か言われたのか一度入れたそれを取り出してこちらに駆け寄ってくる。

「剣太郎、ちょっと離れとこ」
「…そうだね」
「あっ、ふたりともちょっ…」
「さ、佐伯くん!」

 おお、いった!すごい、こういうの生で初めて見るかもしれない。
 見世物感覚で剣太郎と眺めていればいつの間にか亮やいっちゃんまで近くで見ている。

「ずっと前から好きでした!…これ、受け取って欲しいな…」
「……えっと、」

 何故かこちらを窺うサエとパチリと目が合う。何をしているだあいつは、早く返事しなよ!
 ジェスチャーで早くしろと女の子を指させば困ったようにサエは頬をかきながら口を開く。

「その、ありがとう。とっても嬉しいよ」
「……へ、返事はまた今度でいいから…!」

 顔を真っ赤にした女の子はパタパタと逃げるようにその場を後にする。……多分、あの子B組の子だな。見覚えがある。

「亮、あの子どんな感じ?」
「普通じゃない?俺、仲良くないから分かんないけど」
「ねえ、なんでどっか行っちゃうんだよ」
「流石に告白の邪魔は出来ないからね」

 大きく溜息をつくサエ。あんな可愛い子に告白されたというのに複雑そうな表情だ。
 サエにとっては大変そうな一日の始まりだ。

────

「──って感じで凄かった」
「相変わらずサエはモテるな」
「あれのどこが良いか分かんないんだけど」

 びゅうびゅうと風が吹く中、震えながらぼうっと練習をしているダビデ達を見守る。こんな寒い外で話すくらいなら部室の中で話す方が風も防げて断然良いだろう。

「バネさんは何個貰った?」
「まあそんなにだな。全部義理だし」
「まりちゃんは?」
「多分全部友チョコ……だと思いたい」
「バネさんは全部義理なのにまりちゃんにはもしかしたら本命が……?諸行無常……」
「うるせぇな!…というかそのサエは?」
「さあ?毎年じゃない?放課後遅いの」

 放課後、それはもう呼び出しラッシュだ。
 正直に言えばもう高校受験前で部活なんて無いに等しいものだ。部活を理由にできないことをわかっている子はバンバン呼び出しているはず。

「ていうかそろそろ寒いから部室入らない?」
「そうだね、お菓子作ったの持ってきたし食べよ」
「うひ〜っ、さみぃな。ダビデ!剣太郎!大和田がチョコくれるってよ」
「別に大したものじゃないからね?」

 一応、ずっと暖かいとこに置いてた訳じゃないし保冷剤も入れてたから大丈夫だろう。
 狭い部室にいつものメンツが集まれば狭いけどそのかわりに暖かい。

「はい、チョコムース。簡単なやつだから期待しないでね。スプーンあるよ」
「これとお母さんだけから、か……」
「剣太郎、強く生きて」
「は〜寒かった、あれ?これって」
「はい、サエの分。今朝言ってたやつだよ」
「なんだ、みんなと一緒か」
「そりゃ一緒でしょ」

 遅れてやってきたサエにチョコムースを手渡す。
 わざわざ一人ひとりに作るわけないだろう……と言いたいところだけど、実際はもうひとつ、あるにはある。
 正直、作っておいてなんだが渡すつもりなんて微塵もない。だって今朝方に「本命の子から貰いたい」なんて聞いてしまったら渡せないだろう。

「サエ、因みに何人だった?」
「えっと…何が?」
「5…じゃない?」
「いや10人はいるでしょ」
「…好き勝手言わないでもらえる?」

 げっそりとした顔でチョコムースを口に運んでいるサエ。
 チョコと生クリームだけで、ほんとすぐに出来る簡単なものだけど案外美味しくできている。まあ、偶然ネットで見つけたものを作っただけなんだけど。
 自分のも持ってきて良かった。美味しいなぁなんて食べているみんなを眺めながら口に運ぶ。

「ありがと、凄く美味しい」
「えへへ、まりちゃんにそう言って貰えると嬉しい」

 ふ、と頭の片隅にあったことを思い出す。
 そうだ、なんて手を打って手提げの中を探し、綺麗に包装されたそれを取り出す。忘れてしまうところだった、危ない危ない。

「はい、これサエの」
「えっ!?都ちゃん、サエさんだけ別にチョコ、えっ!?」
「都……!」
「は?違う違う、ちゃんと見て。誰かは…流石に言えないけど同じクラスの子からだよ。サエに渡し…てっ……何?凄い顔してるけど」
「うーん、これは都ちゃんが悪いね」
「えっ……」

 へらりと笑ったまりちゃんとは対照的に、明るくなったはずなのに一瞬でドン底みたいな顔になったサエ。流石に心配過ぎる。
 居た堪れない空気の中「ごめん…?」と謝ってはみるもののお葬式みたいなムードでなんとも言えない空気だ。

「……食ったしそろそろ、帰るか」
「ふっ、そうだね。可哀想な佐伯。肉まん買って帰ろ」
「忍足、傷口に塩を塗ってやるなよ…」
「えっえっ…サエ、なんかごめん」
「……いいよ、気にしてないから」

 帰り支度を始めるサエの傍でオロオロとしていれば「じゃあ、帰ろっか」なんて優しく微笑まれてしまう。

「うっ、うん」
「それじゃあお先に」
「おう、また明日な」

 あれっ、いつもみたいにみんなで帰るんじゃないの?
 サエに背中を押されて部室を後にする。パタリと閉まったドアの向こうでは「うわぁ…」なんて若干引き攣ったまりちゃんの声が聞こえた気がした。

────

「サエ、怒ってる?」
「どうして?怒ってないよ」
「直接渡すように言えば良かったよね、ほんとごめん」
「うーん…そうじゃないんだけどな?」
「じゃあ怒ってるじゃん。教えてよ」

 うーん、なんてまた考え込んでしまったサエ。彼の顔を窺えば少し恥ずかしそうな顔をして口を開く。

「都から、俺にだけ特別なものをくれると思って期待しちゃったんだよ」
「……なるほど。で、実際渡されたのは同じクラスの子からのやつで……ってそっちの方が嬉しいでしょ」
「俺は都からのチョコが欲しかったから」
「ふぅん、そう……」

 ここまで言われてしまえば、きっと手提げの中にひとつだけ入っている箱は彼の元に渡った方が良いのかもしれない、それはよくわかった。
 けど、もうここまで来たら意地だ。今更渡すのが恥ずかしい。

「……そうだ。チョコムース、美味しかったよ」
「ね、あれ美味しかった。いっぱいつまみ食いしちゃったもん」
「はは、都らしいね。お返しは期待してくれて構わないよ」
「えー、いいよ別に。毎年の事じゃん」

 本当に、いつからだったか毎年何かしらを作ってあげていた気がする。
 小学生の頃作ったチョコを溶かしてまた固めて、ちゃちな飾りをのせただけのチョコレート擬きにだってサエは倍くらいのお返しをくれていた。

「……うわ、ちょっと待って。この袋マズイな」
「どしたの?」
「破れそう」
「えっ、お姉さん渡してくれたの紙袋だったか……!」

 沢山お菓子が入ったそれは少しずつ重みに負けたのか破れそうになっているらしい。
 慌てて立ち止まりどうしようかと考えていれば「あ」と声を漏らしたサエ。

「今回も都の手提げ、貸して貰えないかな」
「えっ、っと……」

 勿論、貸すのは全然いいのだけど。よく考えたらこの手提げには今この男のために用意した……チョコの箱が入っている。
 貸すにあたり出さなければいけないけど、それを見られればそれはなんだ?という話になってしまうし、出さずに渡してしまうのも論外のこと。

「あっ……と、えっと……」
「なにか大事なものでも入ってた?ごめん、だった…」
「……ん、貸す……」
「ありがとう、助かった……ってこれ何?」

 案の定、入れるために開ければ目に入り不思議に思えば指摘されてしまうわけで。元から入っていた赤い小さな箱を取り出して不思議そうにそれを見ている。

「誰かから貰ったもの?はい、都のでしょ?」
「……う、」
「ん?」
「ちが、う……。サエに、」
「……俺に?」
「サエに、あげるやつ」
「えっと……誰から?クラスの子?」

 なんでいつもは嫌になるくらい勘が良いのに今日に限ってこんなにポンコツなんだこの男は。
 顔が熱い、なんだこの公開処刑!

「……私から!サエに!」
「……えっ、えぇ?…みやこから、おれに」
「そう、そうです。悪い?別に、……私が食べたかったから作って、それの余りだから!」

 余りにしては綺麗な箱を用意して渡せずにこんな時間まで持っているなんて、だいぶおかしな気もするけれど。苦し紛れの言い訳でこんな無理のあることしか言えない。
 サエもサエで処理しきれないのかそれをぼうっと見つめていて、目の前で手を振っても何も反応がない。

「さ、さえ……?」
「っ……あ、ごめん。嬉しくて…放心してた……」
「えぇ……?余りだよ?」
「余りでも、都に貰えたことが嬉しくて。今日貰ったどのチョコよりも嬉しいよ。ありがとう、大切に飾るよ」
「いや、普通に食べてよ」

 ふっと吹き出してしまい、サエもつられるように小さく吹き出す。

「確かに、それじゃあ美味しく頂くね。何作ったの?」
「トリュフ。初めて作ったけど割と美味しくできたよ」
「ふふ、それは楽しみだなぁ。……本命?」
「そんなわけないでしょ。ついでの余りだよ」
「そっか、まあそれでも俺は嬉しいからいいんだよ」

 紙袋に入っていたチョコを手提げの中に全て入れてから大切そうに赤い箱を手に持つサエ。
 まさかそのまま持って歩くつもりなのか。

「しまいなよ」
「眺めてたいし持っておこうかなって」
「いや邪魔でしょ、普通に」
「邪魔じゃないよ」
「渡すんじゃなかった……」

 今日は酷いこともしちゃったみたいだし、嬉しそうにしているサエが見られから良かったのかな?いや、全然良くはないんだけど。

「みんなには内緒ね」
「…わかった。絶対に言わない」
「その妙な間は何?怒るよ」
「大丈夫だって、言わないよ。俺と都だけの秘密ね」
「ほんとに分かってる?」

 はあ、と大きな溜息をついて歩を進める。
 サエはニコニコと嬉しそうな顔をして後ろを着いてくるけれど、逆に私はどっと疲れてしまった。
 こんなに喜ばれるとは思っていなかった。こうも喜ばれると、こっちまで嬉しくなる。
 ……なんて、ちょっとだけど。


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