「せんせー、サエせんせー」
「ん?というか、佐伯先生な。どうかした?」

 授業前、少しだけ早めに来て板書の準備をしていれば不意に声を掛けられる。振り向けば生徒数人が教卓の前に立っていて。

「佐伯先生やっぱり彼女いるじゃん!」
「この前の休み、彼女とお昼ご飯食べてたの見たんだよ!なんだっけ、そう、『ミヤコ』ちゃん!」
「なっ…!」

 新品の長いチョークがパキリと音を立てて粉受けに落ちる。まずい、反応してしまった。後悔してしまったのも束の間、クラス中がザワザワと騒ぎ出してしまう。
 なんで都の名前なんか知ってるんだ、なんて疑問は一旦置いといて早く席に座るように促せば、ちょうどチャイムも鳴って特に追求されることもなく授業を始められる。
 何処から漏れた?その一時間、頭の中はその事でいっぱいだった。

────

「佐伯せんせーは『ミヤコ』ちゃんと結婚とかしないの?」
「先生の彼女見てみてぇ〜、めっちゃ美人なんだろうな」
「いや、まだ……というかなんで先生の彼女の名前知ってるんだよ」
「あ、認めた!」

 さっきの男子たちは案外しつこく、諦める様子もないし根負けしてつい認めてしまった。
 まあ、別にバレたところで大きな支障なんてないと言えばない。強いて言えば、この年頃の子達にバレてしまえばこうやって根掘り葉掘り聞かれてしまうから言わなかったのだけど。

「テニス部のヤツらが『ミヤコ』ちゃんの話してたからそれがそうなんじゃねぇかなって」
「…とにかく、その話はもうおしまい」
「え〜」
「え〜じゃない、ほら。気を付けて帰れよ」

 「さようなら〜」なんて荷物を持って教室から出ていく子供たちの背中を眺めながらはあ、と頭を抱える。
 あまりするなとは言ったけれど、もうその話は若干広まってしまったらしく。帰り際、色んな学年の色んな生徒から「彼女いるってほんと?」なんて聞かれる始末だった。

────

 焼き鳥を食べながらジョッキに入ったビールを一気に半分流し込む。
 目の前の席に座ったバネは俺の飲み方に呆れているようだ。酔わなきゃやってられないから仕方ないだろ。

「なあ、バネ。どうしたらいいと思う?」
「知らねぇよ。いや、でもすげぇな。俺にも訊かれたしな…。「佐伯先生、彼女いるってほんとですか!?」って女子が沢山」
「……別に、俺に彼女が居たっていいだろ」
「まあ『イケメンで若い生徒に人気な先生』だから仕方ないんじゃないか?」

 他人事のように笑いながらバネもビールを飲み干したが、その『イケメンで若い生徒に人気な先生』にはバネも当てはまるだろう。

「バネはバレてないわけ?」
「バレてねぇな〜。まり、今は東京にいるしそんな頻繁に会わねぇしな。会っても家が多いし」
「こんな大事になるなら、うかうか出掛けてらんないよ」
「大和田も予備軍とこ遊びに行ってんだろ?漏れるのも仕方ねぇよ」

 予備軍のところに行ってるのも元はと言えば、俺が顔を出すついでに連れて行ったりなんかが多いから、名前がバレた原因は俺と言えば俺かもしれない。

「彼女いるのはバレてもいいけど、生徒に「ミヤコちゃん」って呼ばれてるのはまずいだろ……」
「それもそうだよな〜…。まっ、バレちまったもんは仕方ねぇだろ!今日は俺が奢ってやるし元気だせって」

 そう言いながら生ビールを二杯追加で注文したバネに乗っかって、さらに焼き鳥やツマミを追加する。
 時間が経てばいつかはみんな飽きて忘れてくれるだろうけど、都の方に何か被害とかないかだけが心配なのだ。

────

 そろそろ寝ようかな、なんて思いながらぼんやりとスマホの画面を見つめていればこんな真夜中にも関わらず、ピンポーンなんてチャイムが鳴る。
 多分、サエなんだろうけどサエならそのまま上がってくるよね?

「はぁい。どなたです?」
「あ、大和田?サエの奴、かなり酔ってるから持ってきた」
「えっ、ごめん。すぐ行く」

 インターホン越しに確認してみればまさかのバネさん。今日一緒に飲んでくるなんて言ってたな。
 酔っ払ったサエをうちまで送り届けてくれたらしい。サエがそこまで酔うなんて珍しい、かも。普段はほろ酔い程度なのに、玄関まで迎え出ればサエの顔は真っ赤でバネさんに寄り掛かるようにして立っている。

「ごめんね、ありがとう。邪魔だったでしょ」
「んや、止めなかった俺も悪いしな」
「…アルコールくさ、サエ!立って!」
「……ん?みやこ、まだおきてるの?早くねなきゃ、……あした、はお休みか」

 ふにゃふにゃと笑いながらこっちの心配してるけど、アンタの方が心配だよ。私は。
 バネさんからサエを受け取ってきちんと立たせる。それでもふにゃふにゃしているんだけど。

「ほら、バネさんにお礼」
「ありがと。う、きもちわる……」
「早くトイレ行け!……なんでこんなに酔ってんの?」
「あ〜、生徒にバレたんだよ。彼女いること」
「えっ、それで?」
「大和田の名前も漏れてるらしくて」
「……は?」

 話を聞けば生徒にバレた上その生徒たちにも私の名前がバレているらしく、なんなら知らない子供に「ミヤコちゃん」なんて呼ばれているらしい。バネさん曰く多分予備軍、テニス部の生徒辺りからとの事。
 ……正直、中学からそう遠くない場所に住んでいるからバレたくなかったわけで。
 あの佐伯の彼女だとか、彼に並ぶ程顔の良い女だとか何とか…、変に盛られて高校の時は大変だった。そんなこんなで出来ればバレたくない。

「い〜…やだなぁ…、学校に置いてある卒アルとか全部燃やしたい」
「それは流石に出来ねぇよ!…まあ、なんか上手いこと生徒の目につかないようにできるかやってはみるけどよ……」
「ほんと?助かる……まあ、今日はほんとありがとう。遅いし車出したいけど…サエが……」

 トイレの方からは「う〜」とグロッキーなサエの唸り声が聞こえてきてちょっと心配だ。

「俺は大丈夫だよ。それよりサエのこと見ててやってくれよ。それじゃあ、またな」
「うん。ありがと、まりちゃんにもよろしく」

 「おう」なんてにっと笑って帰って行ったバネさん。
 生徒に大人気なイケメン先生は大変だな、いや私もある意味では当事者なんだけど。まあまあな田舎だしバレるのは時間の問題でもありそうだなぁ。
 ……あ、そうだサエ。忘れるところだった。戸締りをきちんとしてからトイレに向かう。

「サエ、大丈夫?」
「ん〜…大丈夫だよ」

 背中をさすってやれば幾分か落ち着いたようでへらりと笑った。

「お水飲も、お風呂は…やめとこ。明日の朝でいいから。でも着替えなきゃ。お水持ってくるから服脱いで下着替えなさい」
「え〜……やだ」
「やだじゃありません!ほら、そこで寝ないの!」

 トイレから引きずり出して脱衣所にサエを放置する。そのままキッチンに向かい適当なグラスに水を注いで脱衣所にとんぼがえり。
 ちらりと覗けば脱ごうと努力はしたのかシャツの前ボタンを数個開けて壁にもたれかかっているサエ。

「はい、お水飲んで。脱げる?」
「ぬげない」
「脱いで、シワになるよ」

 水を飲んでいるサエのボタンに手をかけ全て外しきる。戻ってパジャマ持ってきてあげて、ああ大変だ。

「パジャマ持ってくるからシャツとか脱いでてね、体も拭いて」
「ひとりじゃできない」
「じゃあ下着以外脱いでタオル濡らしてて。体拭くから」
「……わかった」

 ゆらりと立ち上がってきちんと一枚ずつ脱いでいるサエ。それを見届けてからグラスをシンクに置いて、スウェットを取りにいく。
 普段、私が酔った時してくれる事だから私も同じ事をしなければ…なんて。

「はい、持ってきたよ。タオル濡らした?」
「うん。おねがいしてもいい?」
「ん…後ろ向いて」

 「冷たい」なんて笑いながら身を捩ったサエの背中を拭いて、腕を拭いて。

「前向いて」
「みやこ」
「なに?わっ」

 突然名前を呼ばれたかと思えばこちらに向いたサエに抱き締められる。ぎゅうと抱かれたままぴくりとも動かない彼が心配になり「…サエ?」なんて小さく声をかける。

「……あ〜、勃っちゃった」
「は?ねえ、バカ離して」
「嫌だ」
「…あんたもう酔い冷めてるでしょ。このすけべ男」
「ん〜?俺、まだ酔ってるから、ちゃんと最後まで体拭いてよ」
「知るか!ボケ!」

 無理やり引き剥がしてタオルをサエに投げつける。
 「風邪引け!」なんて捨て台詞を吐いて布団に直行。心配して損した!布団を被りサエを寝かせまいと真ん中に居座る。
 程なくして着替え終わったのか気配がしてちらりと様子を窺えばベッドの脇に座ったサエ。

「ねえ都、ごめんって。拗ねないでよ」
「うるさい」
「ちょっとした冗談だよ。ほら、一緒に寝よう?少しでいいから寄って欲しいな」
「やだ」
「……こうしてやる」
「わ、重い重い!上に乗るな!」

 あはは、なんて私の上に乗っかて笑っているサエ。じたばたと暴れてみるけど、退きそうな気配はなく諦めて大人しくしてみる。

「あのさ」
「なに?」
「今日彼女いるってバレてさ。生徒にね?」
「…ああ、バネさんから訊いたよ」
「うん。で、彼女と結婚しないのって言われたんだよ」
「あはは、最近の子はマセてるね?」

 サエはふう、と小さく息をつく。今日は相当疲れているみたいだ。
 …あ、だからお酒飲み過ぎちゃったのかな。不意に、抱き締める力が少しだけ強くなる。どうしたのかなんて思考を巡らせていれば恐る恐るといったように口を開くサエ。

「こんな事で切り出すのもなんだけど、そろそろ…その、さ」
「……あのね、佐伯くん」
「…はい」

 突然の苗字呼びに私の上から退いたサエは布団の上で正座をして固まってしまった。
 座り直してじっとサエを見つめれば怒られた子供のように、ちらちらとこちらの様子を見ている。

「そういうのは、酔ってない時にしてよ。酔った勢いだったとか言われるの、嫌だし…」
「……確かに。それもそうだね。ごめん、迂闊だった」
「それに、別に……断る理由もない、やっぱ無し寝よ」
「やっぱり今すぐ言ってもいい?」
「ダメダメダメ。寝ます、寝ますよー」

 壁際に寄ってサエに背を向けて布団を被る。
 機嫌が良さそうに笑いながら布団に潜り込むサエに少しイラッとしたり、しなかったり。

「おやすみ、大好きだよ」
「……おやすみ」

 ぴったりと背中にくっついたサエは未だ楽しそうに笑っている。酔っ払いの相手、疲れた…。
 眠たくなってきて大きな欠伸がこぼれる。背中が暖かくて余計眠たくなってきちゃった。
 そのまま目を閉じて、意識を手放した。


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