冷え切った空気が乾燥した肌を鋭く刺す。穿つものがない空はいささか居心地が悪い。
らしくない、と目の前の御影石が言っているように思えたのは歳を取ったせいに違いない。
「あらま」
明日は文緒のところだと瞼を下ろしたときだった。
突如舞い込んできた砂利の音に振り返ると、黒スーツの女性が花束を持って佇んでいた。
「九字院にも友達がいたんですね」
歩を進めるたびに手に携えた白百合が揺れる。
揶揄うような声を不快に思えないのは姿勢のよさだろう。和の道に準ずる人間か、警察、それと同等の職種の人間か。
「貴女は」
「九字院の同期です」
「……それだけか?」
警察学校の同期とは言え、余程仲が良くないと墓参りには来ないだろう。ましてや異なる性別であるならば。
「それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
合掌している瞳の横を線香の白煙が通り過ぎていく。
「生きる理由になれなかった女はただの同期でしょう?」
——正崎善さん。
「笑って、ましたか」
最期のことだと言われずともわかった。あの凄惨な終わり方を思い出してわずかに眉をしかめたのを彼女は見逃さず、くすりと笑った。
「そうですか」
澄みきった青を見上げる。その横顔はどこか九字院の纏っていた空気に似ていた。
「身勝手なおとこ」
そういうのと同時にベージュのコートの横で細い指が拳を強くかたどる。
「——冥土で会ったら殺したる」
□□□
「おっかない女がいるんですよ」
居酒屋のテーブルで向かいに座っている九字院はそう切り出した。
「酔いすぎだ」
「まあまあ話くらい聞いてくださいよ」
「帰ったほうがいいぞ。徹夜明けなら尚更だ」
「せいざきさんのけち」
また酒を煽る。もう止める気は失せていた。
「こうねぇ、死んでも死なないし、殺しても殺し返すくらいのおっかない女がね」
「それは……」
「せいざきさん今引いたでしょ」
肯定も否定もしないでおく。こっそりと酒と水を変えたことに気づいている視線が憎たらしい。
「でもこれがいいんですよ。何があっても絶対に裏切らない女……あ、教えろって言われても絶対教えませんから」
仕事なら進んで教えますけど。
にんまりと効果音が食器と会話の雑踏に消えた。
□□□
なるほど、と密かに上がった口角は彼女からは見えないだろう。
「その後は?」
「さっさと天国に戻りますよ」
「連れていかないのか」
「過程がどうであれ、自分で死んだんですから義理もないでしょう」
それに、
「数少ない友人を置いていったひとに慈悲は与えません」
そう言った彼女につられてこちらも眉を下げてしまった。
「九字院の言っていた通りだ」
「それ絶対悪口ですよね」
「いや、褒め言葉だったよ」
九字院はこんなにも想ってくれた人を一人にして、独りで逝った。なんてもったいないことをしたのか。自分も殴り込みに行こうかと、頭の中で何十年後の計画を立てていく。
寺の鐘が鳴る。西から滲むオレンジが空の模様に彩りを加えていく様子は幻想的だった。
「ほんと、ずるいひと」
食えない笑みをした九字院がしっしと手をひらひら翻していた。