三つ葉喰む狼

『ライデン』

 誰かの息を呑む音が聴こえた。
『……一途だな』
「お前の兄貴には負けるよ」
 軽口に軽口で返して、操縦桿を握り直す。
「シン、アイツはどこだ」
『方位七〇、距離三〇〇。中心にいる近接猟兵型だ』
 狼をモチーフとした近接猟兵型グラウヴォルフ
 寄りにもよってその機体かと奥歯が軋む。
『明らかに動きが他のヤツらとは違う。今いる〈牧羊犬シープドッグ〉の中で一、二を争う機体だ。手伝いは』
「俺の小隊数人連れてくから要らねえ。まだ見つかってない〈レギオン〉のほうが重要だ。大佐、悪い」
『シュガ中尉たちの穴はこちらで埋めます。心配しないでください。ただ……必ず撃破してきなさい』
 本当はここで自分たちが離脱するのは難しい状況だとレーナもわかっている。シンのときはもう制止しても止められない状態だったゆえにお目こぼしを得られたのだと認識している。だから通るとは思ってもいなかったというのが正直な感想だ。どの道、指揮官機ならスピアベッド戦隊であたるところを少し早めたに過ぎないといったところか。
「……了解だ」
 撃破。
 聞き慣れた言葉が己の舌を苦く焼く。
 人を無惨に屠る屑鉄を倒す。
 知っている人間というだけで躊躇いストッパーがかかるわけではない。作戦中に弔えなど私情を挟める訳もなく、そう命令したレーナに落ち度はない。けれども不快感を覚えないかはまた別問題だった。
 戦闘なんて向いてないのに、死んだ後に一番戦闘に向いている機械になって。あまつさえ雪みたいに白い髪は黒が滲む灰色の毛並みになってしまって。
 まったくもってこの世はクソッタレだとコックピット内に唾を吐く。
「今から相手する近接猟兵型に横から手を出すなよ。やったら殺す」
 獰猛な殺意を孕ませてライデンは唸る。コイツは、彼女は自分の獲物だ。
 あの時のシンの気持ちが少しだけわかった。弔うのならば何も知らない第三者に譲らず、己の手で行いたい。
『露払いは任せてください』
 応答した部下に斥候型アーマイゼを任せて、〈ヴェアヴォルフ〉を件の近接猟兵型に向かわせた。

『ライデン、ライデンライデンライデンライデンライデン』
「熱烈なこった……!」
 死の間際、死にたくないでも助けてでも怖いでもなく、幼馴染みの名前を呼んだ。それらの意味もあったかもしれないが、そこは良いように解釈しておいた。
 戦闘を避けるがごとく走らせていた近接猟兵型と初めて鍔迫り合いになる。〈ヴェアヴォルフ〉のコックピットを〈レギオン〉の鋭い足先が狙い、ギリギリのところで回避したせいで火花を散らしながらボディに傷がつく。
『っ、シュガ副長! 一機そっちに向かいました!』
 指揮官機を守ろうと斥候型が〈ヴェアヴォルフ〉に襲いかかる。
「邪魔すんじゃねえ屑鉄ども」
 引き付けてすんでのところで回避し、他の〈レギオン〉と重なったところを踏み潰す。ぐしゃりといつも以上に汚く壊した自覚はあった。
『すみません』
「気にすんな。そのまま斥候型を頼む」
 取り漏らした隊員に当たるほど器は小さくないし、ただでさえ厳しい戦闘から我儘を言って抜けているのだから文句を叩くつもりもなく、ただ自ら手を挙げてくれた目的を遂行しろと告げる。
 開いてしまった彼女との距離を詰める。元々戦闘を避けるように空けすぎず詰めすぎずの適切な距離を取っていた上に、指揮も同時にこなしている。自分と戦いながら他の戦陣のフォローも入れる動きに乾いた唇を舐めた。
 彼女が〈レギンレイヴ〉に乗って、共に戦場を駆け抜けていたらどんなによかっただろうと口惜しくなる。突っ走る無謀な味方と後方から支援する味方の穴を埋めるのはこの七年で慣れていたし自分の役目だと理解していたが、さすがにもう一人くらいは自分と同じ働きができるヤツがほしいと思っていた。
 それを彼女ができることを死んでから突きつけられるなんて、この世というものは無慈悲で皮肉だと再度思い知る。
 これで知らないところで誰かに戦術を教わっていたら厄介だなと獰猛に口角を上げる。
 ──自分以外にいたら、だが。
 連れて来た隊員のおかげもあって彼女の手足となっていた斥候型はかなり減ってきていて、徐々に彼女を追い詰めていく。
 自分が基本を教えたのだから次にどういう行動を取るか予測するのは簡単だ。このあとどうやっても隙ができて体勢が崩れてしまう。そこを叩けばこの戦いは終わる。
「ま、そんな簡単に話が終わってくれたらいいんだけどなァ……!!」
 あと少しというところで七時の方向に〈ヴェアヴォルフ〉を下がらせる。
 逃げ回るように動いてみせていたが〈ヴェアヴォルフ〉を地雷原に引き摺りこみ、なおかつ真後ろに下がったところを戦車型レーヴェの砲台で叩かせる寸法だったのだ。数少ないながらも残存している斥候型、近接猟兵型も今ライデンが飛び退いた先で待ち構えている。
 厭らしい戦法だ。知識欲が強かった彼女のことだから、〈レギオン〉が溜めているアーカイブから取得できるものをすべて取り込んだのだろう。一を教えれば十の別案を要求してくるなんて生きているときはザラだった。
 もう過去形になってしまったことが悲しくて、それを受け入れている自分が悔しくて、唇を噛み切る。
「隠れてたのは戦車型レーヴェだ!」
『了解!』
 戦闘に余計な感情を持っていかない。これは戦場で生き残るための鉄則だ。共和国での五年間と、連邦での二年間。生き抜いてきた自分たちの絶対の経験則。
 それでも感情を消したら、彼女まで消してしまうようでライデンはしたくなかった。
 味方に厄介な敵さんを任せて、ようやく一対一になった彼女と向き合う。
 他の〈レギオン〉から様々な情報を仕入れているだろう。それだけでなく再構築して自分の理論にし、実践する。その能力に長けた人間を取り込めたのは〈レギオン〉にとって棚ぼたものだっただろう。しかし取り込んだ相手が戦闘経験豊富なエイティシックスでなかったのが悪かった。
 いかに最適解で組み上げた動きだったとしても体がついていかなければ話にならない。〈レギオン〉だからある程度の運動性能は有しているが、処理装置の元々の持ち主は戦場を知らない一般人だ。
 先程出来なかった隙を見逃さず、七六ミリロケットランチャーとすべての足を破壊する。これで攻撃する手段も逃げる手立てもない。
 いまだに自分を呼ぶ声が脳に直接残響する。至近距離のおかげでその音量は最大に近く、吠える悲鳴に眉を眇めずにはいられない。
 その時──亡霊に成り下がった彼女と戦うときが来たら自分は何を言うのだろうと、彼女が連れ去られてからずっと考えていた。
 盟約同盟のオリヴィアもシンと同様に近しい大事な人間を〈レギオン〉に連れて行かれ、自分の手で弔うために探していると又聞き程度に耳に入れていた。
 どうするのかくらい参考程度に訊いておけばよかったと思う一方で、訊かなくてよかったとも思う。迷っている暇が出来てしまうからだ。
 主砲である八八ミリ砲弾の照準を定める。
 彼女と出会っていなければ帰りたいと思える場所があることも、自分が誰かに焦がれることも、唇の柔らかさも知らなかった。
 であれば、答えはひとつだった。
 シンが兄に投げかけた言葉とも、シャナに向かってシデンが告げた言葉とも違う、ライデンにしか伝えられない言葉を口にする。
「ありがとな」
 トリガが引かれた。

 鉄と爆薬の絶叫が馴染みの光景に溶け込んでいく。
 愛した者も、名も知らぬ者も等しく銃声の雑踏へと成り果てるのが戦場だ。そこに差別などどこにも転がっていない。
『ライデン』
 ひそやかに告げられた自分の名前にああ、と音にならない程度でライデンは応えた。
 相手は取り込んだ人間のスペックと最期の思念の残滓を写し取っただけのものだ。そんなガラクタに余分に心を割くつもりはない、と考えていた昔の自分に何があるかわかったもんではないと嗤う。きっと信じられないという顔でいるはずだ。
『いってらっしゃい』
 損傷が少なかったのか、はたまた自分が聴き逃していただけか。
 今この瞬間彼女が意思を持って発したかのように告げられた言片ことひらに、戻ろうとしていた機体ごと振り返る。
 ボロボロの近接猟兵型かのじょが燃え盛る劫火へと崩れ落ちていく様子が無情にもメインモニターにありありと映し出される。
 届きはしないのに待てと無我夢中で手を伸ばしたその先で──、
 ちいさな少女が笑っていた気がした。


「──シン、こっちは終わった」
 周囲の〈レギオン〉の有無を確認して、シンに声をかける。同調していたのだから彼女との戦闘がすでに終了していたことを把握していただろうに、こっちの区切りがつくまで声をかけず待っていてくれた。
『了解。逢引直後で悪いが追い込みをかけたいからすぐ戻ってきてくれ』
『隊長、それはいくらなんでも──』
「いい。元々そのつもりだ」
 止めに入った隊員の口ぶりから区切りをつけていた時間がかなり短かったことが伺える。隊員の心遣いはありがたいけれども、ライデンに休むつもりはなかった。
「いってくる」
 皆すべて平等に薙ぎ払う戦場へと人狼は駆ける。
 愛した女の骸を踏んで。

 □□□

 リュストカマー基地に帰投できたのは夜を深めた頃だった。
「んじゃ今日は先に寝るわ」
 おやすみと声をかけてくれた仲間たちの輪から抜け出して、ライデンはあるところへと歩を進める。
「ばあちゃん」
 木の扉から顔を出した老婦人はライデンを捉えるなり、すべてを察して体を強ばらせた。夜更けすぎだったので今日伝えるべきか躊躇ったが、老婦人が一番知りたがっていたことだった。
「弔ってきた」
 細く枯れた肩がわなわなと揺れ始めたあと、唇を噛み、それでも嗚咽が溢れ出ないように口元を押さえる。泣き方が孫である彼女と同じで、見つけてしまったその面影に胸がズタズタに刺し裂かれたかと思うくらいに痛かった。
「あの子は運がよかったのね」
 幸せではなく、運が良かった。
 長年教師をやっているからか、相変わらず選ぶ言葉が的確だ。
 戦場で顔見知りにトドメを刺されることはよっぽど運がよくなければまずない。宛ても目的もなく彷徨い、未来永劫救いのない戦場を放浪する。
「あの子のことを忘れて、幸せになりなさい」
 ライデンを慮っての気持ちだと瞬時に理解したが、それは承服できなかった。
「そら無理だよ、ばあちゃん。忘れねえし、忘れたくない。──アイツが好きだからな」
 また誰かを好きになることもあるのかもしれない。幸せになる未来もありえるだろう。だがそのために彼女を忘れるなぞ到底受け入れられなかった。
「……幸せ者ね」
 あの子も、あなたも。
 最後まで言えたかどうか。老婦人が絞り出した語尾は啜り泣きに溶けてしまった。


 自室に戻ってベットに腰掛ける。綺麗に敷かれたシーツに数多の皺が打ち寄せ、床か金属の足かどちらかが軋む音を立てた。
 自分以外呼んでいなかった彼女の愛称を呟く。彼女はあえて邪道とも言える愛称をライデンに呼ばせてきた。昔は結構可愛げがあったじゃないかと、初めて会ったときの冷たさを思い出して軽く笑みが零れる。
 彼女が大事にしていた三つ葉の押し花を胸ポケットから取り出し、額にあてる。
 白系種である自分を嫌い、他人を頼らず。そんな弱さを強さだと勘違いしている彼女が鬱陶しくて、厳しく当たったこともある。
 そのくせ叱責を受け入れて変わろうとする素直さに気づいてからは手のひら返しのように慕情が加速していった。
 より良い未来のために足掻くしぶとさが好ましかった。
 新しい知識を前にすると年相応にはしゃぐ姿が可愛かった。
 珂雪の瞳が柔らかさを滲ませる、春先の花みたいな笑い方で自分を呼ぶ彼女が何よりも愛おしかった。
「……またな」
 月明かりの中、ゆっくりと目を閉じる。
 頬に流れた水は雪のように冷たかった。

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Boy Meets Lady