戈星らの行く末

 こんなにも気が触れそうになったのはいつ以来だろうと、急速に冷えた思考回路は噴き上がる激情を傍観する。
「お前、今後その冗談使ったら絶交だからな」
 自分からこんな地を這い奈落へ引きずり込むような声も出るのだと、何千光年離れた銀がで起きた事象を見るように無関心が頭の隅で囁く。
「不死身だろうがなんだろうがお前は人間なんだ。傷はつくし、傷がついたら痛い上に苦しむ。そんなお前の姿を見てこっちがどんだけ心配してるか考えたことあるか」
 冗談だということは理解している。だがオーディンに命からがら帰還したらミュラーが重傷を負ってベッドから離れられない状態だと聞かされ、今まで頼りにしていた星が知らぬ間に朽ち落ちていた悲しみをどう言い表せばいい。
「お前がお前自身を大事にしてくれないとお前を大事に思ってるこっちは蔑ろにされてるって感じるんだよ」
 悲鳴とも似つかぬ言葉たちが喉から零れていく。一方で目の前の砂色の瞳は憎たらしいほど揺らがない。聞き届けてくれたと期待するほど純粋であればよかった。これは耳を傾けてくれている風に見えるだけだと長い付き合いがつめたく諭す。
 これ以上の醜態をさらさないよう、溜めていた息を吐いて髪を掻き乱す。
「お前の責任感の強い性分は十分理解している。だからせめて心配する人間を軽んじるような言動は控えてくれ」
「善処する」
「……そう言うと思った。お前はそういうやつだったよ」
 苛立ちで掻き乱されたを隠すことなく、ミュラーが横たわるベッドの骨組みを踵で遠慮容赦呵責なく蹴突く。
「おい寝台を蹴るな」
「うるさい。本当は怪我した箇所を直に蹴りたいくらいなんだ。甘んじて受け入れろ」
 ミュラーの下にいる有能な部下たちを心配させた罰が退屈であるなら、これは自分を死ぬほど心配させた罰だ。
「というか墓石に不死身と刻んだら矛盾だろうが」
「さっきその言葉使ったら絶交だって言っていなかったか」
「皮肉と冗談は違う」
「屁理屈か」
 上官と部下の垣根を取り払った気の置かない悪友の空気に変わる。それでようやく胸を撫で下ろすことができた。
 そんなに人恋しいなら看護師を引っ掛けてこい引っ掛けないしそっちこそ惑わすんじゃない云々で盛り上がっていると、ミュラーの参謀であるオルラウ准将が訪れた。今日は友人の立場で来たが、自分よりも上の地位の将校であるため敬礼をし、彼宛ての土産を渡しさっさと退散する。
 リノリウムの床をつま先で蹴り、人の気配がしなくなったところまで曲がると膝から力が抜けた。片手で手すりを掴み、情けなくも震えるもう片方の掌をきつく握り締める。
 ミュラーの顔を見るまで生きているか信じられなかった。もしかしたら自分が行ったときにはもう手遅れかもしれないと恐怖が全身を蝕んで、ミュラーの前で頽れるような無様は見せないよう意地で保たせた結果がこれだ。
 軍人であれば死は避けられない。覚悟をしておけ、いちいち引き摺られていては武人の本分を果たせないと何度も頂戴したありがたくもない高説が過去から吠える。あさに星が一つまたひとつ落つ苦しみに貴賎はない。それでも覚悟なんかちっともできていやしないとミュラーの件で思い知らされた。
 何年も操縦桿を駆使したせいで決して美しいとは言えないタコだらけの素手に切り揃えた爪が食い込む。
 恐怖が去ると、自分への腹立たしさが襲ってきた。何も知らないでいた自分も、守れるような立場にいない自分も、傍にいれない自分も。自分を構成するすべてに対して腸が煮えくり返る。
 wissen bedarf知る必要がある者のみ.
 兵らの士気を下げないために副司令官たるミュラーが重傷を負ったことを艦橋勤務の者と、医師の一部しか知らなかったのは当然のこと。たとえあの場にいることが許されていたとして一戦闘員でしかない自分に何ができていたであろう。しかし同じ艦に乗っているのに知らされなかったという事実に払拭できない悔しさもあるのもまた事実。
「大丈夫ですか?」
 心配して声をくれた女性の看護師に大丈夫ですと微笑みを向け、膝に力を入れて立ち上がる。端末を抱える彼女の手はタコひとつない綺麗なものであった。
 今更将官になれるような器や才覚が自分に備わっていると思い上がるつもりは毛頭ない。自分の居場所は砲火飛び交う星の海の波間。矮小な魂が鎬を削り砕ける閃光の狭間。己が判断と経験、責任と運で象られたコックピット
 碧落を仰ぐ。すべてを飲み込む透明度にどこか憎たらしさを抱き、ちいさく苦笑いが零れる。
 人間にできることは制限されている。ならば自分にできる範囲内で、友のために。
 誓いを胸に打ちつけ、大地を踏みしめる。軍人になってよかったと初めてこの時思えた。

 □□□

「良き友人をお持ちですな」
 嵐の去ったドアを見送りながら、今しがたまでいた尉官の評価をオルラウは親子ほど歳の離れながらも敬愛すべき上官に伝える。
「……彼だからと気が抜けたせいだ。悪く思わないでやってほしい」
 オルラウはただの感想のつもりであったが、上官はどうやら友人だからと礼節の欠けた振る舞いを許していないかという諌言として受け取ったようで、責めるなら自分をと彼を庇った。
「部下が上官を心配するのは当たり前のことです。強いて言うならば、むしろよくぞ言ってくれたと胸がすいております」
 そうだ、オルラウは悲しかったのだ。自分たちの心配がないもののように扱われて。仕方ないと一蹴してしまえばそれまでのこと。だが虚しさもあった。それを言語化し、代弁してくれた彼には感謝している。
 ミュラー艦隊麾下に加える話になった際に彼の者の経歴は一通り目を通した。ミュラーの士官学校時代の同期で、そこから空戦艇乗りを志した異端児。配属先の上官との折り合いの悪さも相まって、二人の地位は天と地ほどまでに開いてしまった。それでも上下関係如何に囚われることなく、友人として・・・・・ミュラーを斟酌なく諌め、心配する。
 二人の友人関係が壊れないでほしいと思う反面、オルラウの瞳には彼らの変化が揺れて見えていた。
 横を通り過ぎた相貌に秘められたあの色。オルラウが軍人になってから幾度となく現れては散っていった、心優しき野心家の片鱗。
「眠れる獅子を起こしてしまったようですね」
「? どういうことだ」
 これは苦労するあろうとオルラウはかの尉官に同情し、少々鈍いミュラーの問いに答えないでおいた。秘めたいものを暴くのは趣味ではないし彼の本意でもなかろう。
 敬愛すべき上官のためではなく、ただ友人のため。
 あまりにも純粋な動機だから眩しく、らしくもなく妬んだのは秘密である。
「これに懲りて周りに過度な心配をかけないよう努力してくださればわたくしから垂れる文句はございません」
「……わかった」
 これはいつも以上に素直なことだとオルラウは目を瞬かせる。怪我で弱ったか、それとも友人の檄が効いたか。今後ミュラーが無茶をした場合には彼を呼ぶことも選択肢に入れる。
 星であり船である若者たちの眩しい道行きを祈った。

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Boy Meets Lady