愛しのナハツェーラー

「大人しく大地や紙と睨めっこしてるだけの地理学者になっていればよかったのに」
 矮小な人間相手の仕事に従じるから馬鹿を見るのだと不平をぶつけても墓石は何も返しちゃくれない。昔は不細工だのお節介だのなんだの減らず口を叩いていたというのに、惚れ込んでいた大地の胎に引きこもるなんていくらなんでも卑怯だろう。
 昔から自分の言うことだけは聞き届けてくれなかった。私を心配させるな、危険なところに行くな、夢を諦めるな。全部聞く耳を持ってやくれなかった。その結果がこれだ。
 ご両親は近所に息子が偉くなったと声高に自慢していたため世間の細剣レイピアのごとき視線に耐えられず、遺体に対面する気もないらしい。調子の良すぎる話である。小物な部分は似なくていいのに、蛙の子は蛙を図らずも証明してしまった幼馴染へほら見たことかと胸中で罵る。彼なりに大切にしていた家族だから悪し様に批判するのは控えていたが、大悪党と謗られようとも自分の子供の味方でいるのが親であろう。
 グリルパルツァーの家族の名代として遺体を引き取りに来たと堂々と嘯いてフェザーンに降り立ったのは数時間前。奇異と嫌悪、侮蔑が入り交じった瞳たちのアーチをくぐり抜け、公式に葬送されることが許されなかった者たちの聖地にたどり着く。下劣な背信者に棺は用意されず、そのまま土葬で処理されたと説明を受けた。
 服が汚れるのも厭わず、そっと地面に膝をつく。案内役の兵士は務めを果たし、すでにこの場にはいない。気を利かせたのか、一刻も早く立ち去りたかったのか。どちらにしろ好都合であった。
 墓石の下を両手で掘り返し始める。目的はアルフレット・グリルパルツァーの遺体を引き取ることである。それに先帝ラインハルトを崇拝する人々が生活する土地に眠っていたら双方居心地も悪いはずだ。
 一点だけを掘り返し続けて、土に塗れた爪先に細長い何かが引っかかる。忘れもしない、アルフレット特有の髪であった。知らない人間の墓に案内されたのではないかという暗澹たる疑惑は晴れ、無我夢中で手を伸ばす。
 フィールドワークに作っていったサンドイッチを口いっぱいに頬張りながら、素直じゃない言葉で褒めてくれた。誰よりも頭が良く、世間とは何ぞやどう立ち向かっていくべきかを見せてくれた。振り向いてくれることは終ぞなかったけれど、大事な幼馴染であった。
 何重もの卑怯に手を染めた裏切り者のグリルパルツァーはくれてやる。どうしようもない小物の死体蹴りに気の済むまで興じていればいい。けれど何者でもない、ただこの世の理と人間との因果に瞳を輝かせていた年下の男の子だけは渡さない。
「帰ろう、アルフレット」
 それは取るに足りない、ちいさな叛逆。

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Boy Meets Lady