嫌われ者の使族
やけに食われているのに反応していると思ったら、そういうことか。
「ああ」
「でもそんなのって可哀想じゃない? 食べられるために生まれるだけだし、それに差し出せなんて言うのは……」
「子供の泣き声に同情してんだろうが、その考えはおかしい。レオンに前に言ったんだろ。生きるために人殺しは仕方ねえことだって」
いちいち面倒なやつだ。泣いてるだけで同情するなんて。俺を見習え。
「そっか……。そうだった……」
そもそも、こうやって使族を食う者がいると一定数非難したがる者がいるのはなぜなんだろうな。自分とその者と、置き換えて考えれば簡単に答えの出る話だと思うんだが。
「ラミアも生きるために食ってるだけだ。俺たちと食べる物が違うだけ。それに、食べようが食べなかろうが殺したことには変わりない。死んだ相手が幼いか歳を取っているかも、大した違いはない」
「そうなのかしら? 生まれてすぐに死ぬなんて可哀想だっていうか……」
「それじゃ、長く生きてんなら死んでもいいというのか?」
「そうじゃないけど」
説明する義理はない。だが、気を紛らわしたい気分だ。さっきアヴィルが子供を食っていたのが、ちらちら頭に思い浮かぶ。
「言いたいことは分かるが、まずそれは、長く生きれば生きるほどいいという価値観で生まれる考えだよな。だが、短くても価値のある人生ならばいいと思う奴もいる。そういう意味じゃ、子供だろうが年老だろうが関係ねえだろ」
「でも赤ちゃんだったら、『短くても価値がある人生だった』とすら思えないわ」
(そこであたりがサァっと静まり返った。風のない森の中。魔木の擦れる音、魔物の奇声すら消え失せる。ラムズの無機質な響きだけが空間を割いた。)
俺は魔法で辺りの音を消した。会話にも、そういう“演出”はあった方が面白い。
「赤ん坊は何を考えてんだろうな? そもそも生きてることに喜びを感じてんのか? 生きたいと思って生まれた?」
(自分の心臓の音が妙にうるさく聞こえる。そのあと、時が止まったように黙りこくっていた森が、音を取り戻した。)
ぴたりと消えていた音を元に戻す。実際はメアリにしか作用してない。さすがに、こんな広範囲に魔法なんて飛ばせない。
「それは……。赤ちゃんは言葉が話せないし、まだ頭も発達してないから、何も考えてない──のかな……。わたしにも分からないわ」
「んじゃ、分からないままに死ねばいい。その方がずっといい」
「そんな、そんなことないでしょ! 泣いてた以上、死ぬのは可哀想だわ」
可哀想か? 誰かの生の糧になったんだ。それで十分誇らしい死じゃないか。死に方に可哀想も勇ましいもない。
そもそも、自分の生死の価値観を他者に押し付ける時点で間違えている。あの子供がどうかは知らんが、物差しで測れるのは自分だけだ。相手の考えは想像することしかできない。
「お前たちはいつもそうだ。自分の信じる正義が一番正しいと思ってる」
「──なに、言ってるの?」
メアリが困惑したように俺を見た。あれ、今回は魔法なんて使ってないんだが。
「生きることが正義じゃないってこと? 生きたいと思うことが?」
「ああ、俺はそう思う。その赤ん坊が将来どう感じるかは分かんねえだろ。多くの者にとっては正義だから、これが一番正しいと錯覚してるだけ」
「本当にそうなの? 生きたいけど、生きているのが辛いから死にたいっていう人しかいないんじゃないかしら」
こういう話を聞く度に、俺はあいつを思い出す。フェアリークイーンに殺されたとき、あんなに安からで幸せそうに死んだ者は他にいないだろう。あいつは妖魔のなかじゃ、特段美しかった。誰もが羨んだ。俺も羨ましかった。
だがあいつはそんな自分の姿を眺めるよりも、ひたすら死を追い求め続ける方を選んだ。半端に死ねない俺たちにとって、あいつの求めるものは文字通り“死”よりも酷い地獄だった。
「俺は、死にたくても死ねず苦しんだ者を知ってる。殺された時は喜んでいた。エルフも、生きることにも死ぬことにも何の執着もない」
こんな簡単な命題は、エルフや俺たち以外にも簡単に当てはまる。
「それに、例えばメアリは、もし呪いが解けず人間のままだったらどうする?」
「死ぬわ」
メアリは即答した。
「じゃあ、それなのにメアリを生かそうとする人間がいたら?」
「そんなことをされても困るわ。だって人魚じゃないのに生きている意味なんてないもの」
「だが、他の方法があると言われたら? まだ諦めるのは早い、生きていればいつか元に戻れると聞いたら? 生きているうちに、人間の足でもいいと思うようになると言われたら?」
彼女は黙った。
ほら。もう生死が逆転した。
こんな質問で黙ってしまうくらいなら、初めから“可哀想”だなんて言うな。
「生きるのが辛いから死にたいだけだって? 『本当は生きたいけど』? そんなの本人にしか分かんねえだろ。お前らが勝手に決めてるだけだ。勝手な前提を作っているだけ」
彼女が口を開かないから、俺は最後まで自分の言いたいことを言った。
「赤ん坊や子供が、それぞれ生きることが正義だと思ってるかは分からない。それなら、むしろ生きたいと心から思ってる奴を殺す方が、よっぽど残酷じゃねえか?」
それもけっこう、楽しいがな。
「ま、俺もよく知らねえけど。ただの俺の考え」
自分が正しいとは思ってない。俺が一人の個体である以上、正しい答えを導くことなどできないのだ。否、そもやも“正しさ”なんて、これまで一度もお見かけしなかった。
「絶対なんてどこにもない。真実も、本当も、答えもどこにもないんだよ」
メアリは一人で考え始めた。
一方俺は、いかようにすれば再び妖魔が使族を食えるようになるか考え始めていた。だが答えはもう分かりきっている。──無理だ。
神は残酷だ。俺たちをある一つのものしか感じられないような作りにしておきながら、こうして“救い”を残したのだから。滑稽な話、神は妖魔が憎いのか、他使族が憎いのか。それとも何も考えていないのか。おそらく最後だろうな。
────────
「みんなが酷いと思うから、ラミアは嫌われてしまうのかな。他の使族だって、子供が食べられたらきっと嫌だと思うわ」
「そうだな。たしかにそう思う使族は多い。これもさっきと同じだな?」
(もう一度彼を見ると、ラムズはぼうっとした顔で遠くを見やっていた。唇だけが動く。彼のその声は、喋ってるんじゃなく、ただ思考を垂れ流しにしているような声だった。)
俺はメアリから目を離して、遥か昔、死んだ同胞たちを思い浮かべた。もうブラッディ・メアリーを乾杯できるやつらはいない。
「いつでも多数の意見が正統になる。そして少数の意見が異端になり、迫害される。ラミアは少数。多数の他の使族が嫌悪するから、彼らは異端になる」
(青い瞳がしなって、奇妙にきらめいた。貫くような視線の中に、サファイアの輝きと闇を溶かしたような影が浮いている。彼は何を言ってるんだろう? 何が伝えたいんだろう? ラムズがこちらに目線を投げた。蒼い光が脳まで射抜く。)
思い出してもせん方なし。俺は何も感じない。それでも、今もなお俺はブラッディ・メアリーを飲んでいる。味も香りもしないのに。神の悪戯は、悪魔よりもずっと非道なものだ。
「ラミアは、その──思わないのかな? 自分の子供が殺されたら嫌だって」
「ラミアは子供を作れない」
「ラミアは子供が作れないから、分からないのね。自分の産んだ子供を殺される悲しみが。──皮肉だわ。まるでラミアは、子供を作れない腹いせに人間の子供を食べているみたいに見える。もしかすると、他の使族には本当にそう見えているのかしら?」
「かもしれねえな」
たしかに皮肉的だ。だが、そもそも子供を作ること自体が幸なのか不幸なのか──。俺には分かりかねる。
「子供を作れないなら、ラミアには愛もないの? 恋愛はしない?」
「ラミアは、愛し方を知らないな」
「愛し方を知らない?」
「捨てられるだろ。親に。仮に殺されなくても、ラミアは親に捨てられるんだ。親が人間だから、もはや親つっていいのかも分からない。ラミアはみんなそうだ。15までは普通に愛してもらえるだろうが、そのあとに裏切られる」
「そっか……。ラミアは家族が作れないだけじゃなくて、家族を持てないのね……」
「そうだな。そういうことにもなる。どっちが先なんだか」
「どっちが先って?」
ずっと俺が教えてちゃ、こいつはどんどん阿呆になる。一度口を止めて、彼女に尋ねた。
「ラミアは風の神セーヴィと闇の神デスメイラ、時の神ミラームが創つくった。つまり?」
ワンテンポ遅れて彼女が答える。
「風の神は嫉妬や尊敬、闇の神はたくさんあるわ。唯一、真実、死、忘却、束縛……」
「それだ。嫉妬と束縛」
「それがラミアなの?」
「ああ。ラミアの愛は重いんだ。子供が作れず家族もいない──だから『嫉妬と束縛の使族』なのか。もしくは神がその不幸に合わせてこんな使族にしたのか」
「不幸? 家族が作れないことは不幸なの?」
おい、俺に聞くなよ。
「それはあんたの方がよく知ってんだろ。家族がいて、子供ができることによって何が変わんのか。それを失ったらどう思うのか」
(「なあ?」、無垢さと妖気さを混ぜたような笑顔で、ラムズはそう付け足した。)
想像には容易い。だが“悪魔”の説く家族の愛など、こんな狂言どこにある?
「なあ?」
メアリは自分で考え出したのか、しばらくしてから答えを出した。
「そうね。子供を作るのは、相手と一緒になりたいからだわ。一応愛の結晶みたいなものだから。人魚は子供に酷く目をかけることはないけれど……」
「そんなに家族愛みたいなもんはねえのか」
「ええ。むしろ早く自立するように育てられる感じね」
「なるほど。ケンタウロスとは真逆だな」
それぞれ使族によって家族の愛の形すら違う。こうして比較すると、人間の混迷具合が伺える。
「でもそれじゃあ、ラミアは愛の結晶がないんだわ。前にも後ろにも。家族や子供が全く作れないラミアは──」
「一生孤独だな」
メアリは曖昧に頷いてから、言葉を返した。
「子供を作れないって、悲しいことなのね。でもニンフやエルフも作れないと思うけど、それはいいのかしら」
「ニンフはそもそも恋愛をしないからな。女しかいねえだろ。それに木を植えれば子供みたいな存在ができる。生まれる時も自然から生まれる。エルフは“中庸”で感情や意志がない。だから最初から“悲しい”とすら思えねえんだろう。ラミアは15までは愛を貰ってる以上、よけいに愛に飢え、愛を知らないんだ」
「最初から愛を貰わなかったら、欲しいとも思わないってことね」
俺は頷いた。
「そういうことだ」
「これも赤ちゃんの話と似てるわね。生きる楽しみを知らないままに死ねるなら、その方がずっといいって」
「たしかに」
(ラムズは唇だけを歪ませて笑った。目だけは、死んだようにピクリとも動かない。)
存分に労わって、ラミアを可哀想だと思ってやれ。そうすれば少しくらい、いつか俺たち妖魔のことも哀れだと思ってくれるだろう?
愛でも慈悲でも同情でもいい。俺にお前の心をくれるなら。
俺たちは愛さないんじゃない。“愛せない”んだ。それを酷いと罵るより、可哀想だと同情してくれよ。さもすれば、もう少し生きるのが楽になったはずなのに。