吸血
片やラミアは一ヶ月に一度だろ? 羨ましい限りだ。
「どうかしたの? 匂いが嫌なの?」
“趣味”について考えていたせいか、メアリが怪訝そうにこちらを見ている。
「違う」
「じゃあ、なんで?」
俺は彼女の背中に手を入れ、優しく抱き起こした。
メアリは俺の宝石だ。宝石みたいに美しい鱗を持つ生き物は、さてはて、どんな味がするのだろうか?
(彼の突き刺す眼に体・が・凍・り・付・い・た・。ラムズがゆっくりと近付いてくる。体の自由が利かない。口も動かせない。心臓の鳴る音は、彼にも聞こえそうなくらいうるさい。冷たい視線がわたしの瞳を舐め、そのまま下に移る。首筋を見て、彼はわたしの腕を取った。そのまま引き寄せて体を掴み────。)
俺は魔法を使って彼女の動きを封じてしまった。
後先考えず、このまま殺してしまえたら。昔ならそうしたはずだ。上手くいかないこと、思うように支配できない者がいれば、殺してしまえば楽なのだ。
だがもうそういうわけにはいかない。妖魔の存在が露呈されてしまう。何より、こいつは宝石だ。食べるのも悪くないが、鑑賞する方がずっと価値がある。
だが鱗というのは──人間の肌などと等しいものだとしたら、味もあるのだろうか? 宝石でいて、さらに“感じる”こともできるだなんて、これほど最高な生き物はないな。
「なんてな」
俺は腕を離すと同時に、魔法も解いてやった。メアリが心拍を抑えながら答える。
「な、なんだったの……」
そういえばメアリは、俺をヴァンピールだと勘違いしているんだったな。見え見えの嘘にいつまで騙されてくれる? せっかくなら、それを利用しない手はない。
「ほしい」
「なにが……?」
「血」
「えっ、あ、そういうことね……」
いくらヴァンピールとはいえ、血を与えるのに抵抗はあるんだろう。メアリは目を泳がせながら答えた。
「今飲まないとダメなの……? それに他の人のを吸ってるんじゃなかった?」
「メアリに好きだって言ってからずっと吸ってねえんだ」
「え? そんなに?! ずっと吸ってないの?!」
「ああ」
それ以上に吸ってねえけどな。血だけ飲んでも、より飢えていくだけだ。
「なんでよ……。吸わないと生きられないでしょ……」
メアリが覗き込むから、あえて僅かに驚いて見せた。なあ、見てくれ。俺は血が足りてないんだって。
「ヴァンピールは誰かに好きだって言ったら、そいつ以外から血を吸うのは申し訳なくなるっていうか。少なくとも俺はそう」
よくもまあペラペラ口が回ることだ。たしかにそういうヴァンピールの話を聞いたことがなかったわけではないが、『俺はそう』なんて自分で言っておいて笑えてくる。
「わたしは気にしないけど……」
「まあ、だよな。けど俺は嫌だから。メアリが嫌って言うならいい。無理はさせられねえからな。言ってみただけ」
無理して我慢しておく。メアリのことを傷つけたくないから。だけどメアリのことは愛しているし、だからこそずっと血を飲んでないんだ。それで、今すぐにでも飢えてしまいそうなんだ。
そういう顔と言葉を送ったら、案の定、許可が出た。
「分かった、いいわよ」
(彼の瞳がぱっと見開いた。本気で驚いている。)
驚いておいた。
「いいのか?」
「うん。それにラムズは、さっき話してくれたでしょ」
「なにを?」
「ラムズのこと。ラミアの話をしてたけど、なんだか自分のことも言っているように見えたわ。分からないけど、さっきの言葉は本物だったのかなって思ったから」
そうだな、そう思って、妖魔のことも好きになってくれ。可哀想な悪魔だと、救ってあげたいと、さっきのように美しい涙で哀れんでみせてくれよ。
「だから代わりに吸わせてくれんのか?」
メアリは目を泳がせた。
「ん、そう言われたらおかしいような気が……」
「もうダメ。一回言ったら取り消しはなし」
血を飲むだけとなると、むしろより食いたくなってしまうだろう。だが耐えられる精神力は持っているし、そもそも自分自身を構成するものを俺に差し出させるのは気分がいい。
俺は彼女の首元に顔を近づけた。ああ、そうだ。
「魔法かける?」
「えっと……魅惑魔法?」
「そう。どっちでもいい」
「普通はかけるの?」
「まあ」
俺はほとんどかけないが。
「どっちがいいのかな」
「どっちでも好きなように?」
かけようぜ。その方がずっと面白いから。
「じゃあ、かけて」
あれ、本当に言ったよ。実のところ、どちらでもよかったんだがな。
「本当にいいんだな?」
「え、あ、うん……」
まあそれなら、存分に俺のことを好きになってもらおう。これ以上どんな魅力を俺に加えられるのかと疑問だが、それでメアリがまだ落ちてないのだ。魔法だけでもかかっておけ。
俺が手をかざすと、メアリは朦朧とし始めてぐったりと体が倒れてきた。
メアリ、お前全くもって耐性がないな。
「あー効きすぎてんな。聞こえるか?」
「うん……」
こんなに魔法が効くとなると、このまま気を失ってもおかしくない。気絶したら吸えないし、俺のことも見えないだろうが。
「ラムズ……」
「おい。耐性がなさすぎる。なんでかけろっつったんだよ」
倒れ込んできたメアリを受け止める。
「魔法解こうか?」
「飲まなくて、いいの? 飲まなきゃ……」
まだ意識があるなら問題ないか。一応魔法は功を成したのか、彼女はいつもより頬を赤らめている。
「はいはい。あとで俺に文句言うなよ?」
「何が? ラムズ……。なんだか格好よく見える……。どうして?」
「魅惑魔法だからな。そう見えねえとおかしい」
「そっかぁ……」
メアリが俺の背中に手を回した。俺はそれに答えるように抱きしめてやる。彼女はぼうっとしていて、正直今俺が何をしても覚えていられないくらいに意識を手放している。
「まあ、いっか」
俺は彼女の首筋に歯を近付けた。人より少し鋭利な犬歯で、柔らかい肌を引き裂いた。
俺より熱い彼女の体から、甘く滑らかな血が流れ込んだ。
──ああ、味がある。味が分かる。
記憶にある人間の血よりさらりとしていて、作り物の喉を通る度に全身が疼いた。これほど気分が高揚したのは久しぶりだ。宝石を見るのも撫でるのも最高に幸せだが、味や匂いを感じるのは、これほどまでに感覚をもたらすものだったか。
しかも、メアリの血は人魚の血だ。さすがに人魚の血は飲んだことがない。あの美しい宝石を身体中に貼り付けている生き物──あれの血が俺の体を通るなど、思っていた以上に意思が揺らぐ。
「あー」
「どうしたの……?」
俺は口を離した。正直、このまま吸っていたらそのまま殺してしまうかもしれん。いや、こいつが宝石である以上どこかで我にかえるとは思うが、そこが瀕死状態だったとしてもまずい。
「いや、んー。もうやめるわ、大丈夫」
「なんで? もうちょっと……」
メアリは上目遣いに俺を見た。赤く充血した目と、蒸気した頬から今しがた吸っていた血の味を思い出す。
もうちょっとって、お前が言ってどうするんだ。どちらかといや、俺の台詞だろうが。
だがこれ以上断る理性はなかった。理性か、久しぶりに感じたな。
俺は自分に溜息を吐いて、再び血を吸うことにした。まあ食わずに吸っているだけだし、彼女からすれば快感を伴うものなのかもしれない。彼女が許せば、正直数ヶ月に一度でいいから頼みたい。
彼女の血がこれまで食べた使族のなかで一番美味しいだとか、そういうことはない。もう味はあまり覚えていないが、劇的な美味しさはないだろう。
だが数百年食っていなかったせいと、宝石を持つ生き物の血を飲んでいるせいか、気付かぬうちに彼女の皮膚に歯を突き立てていた。
「……痛い」
彼女が声を上げなかったら、そのまま噛みちぎっていたかもしれない。
「悪い」
口の中に残った血を味わおうと、舌舐めずりをした。メアリが俺の顔に釘付けになっている。まあ、そうだよな。魅了魔法までかかって自分の血を舐めているのを見たら、そりゃあ縋るような目で俺を見てもおかしくない。
そして俺も、久しぶりとはいえもう少し考えて飲むべきだった。ラミアの食事に気を持っていかれすぎたかな。
「ら、ラムズ……」
メアリは俺の胸元を掴み、『もっと吸え』と訴えかけてきた。俺が一番食いたいよ、だが食ってしまったらあんたの宝石はもう見れないだろうが。
それにメアリ、お前は俺を殺すんだろ?
「おい、あー。もう解く。このままだとまずい」
「ダメ……」
「ダメじゃねえ」
「ダメなのー」
メアリは顔を埋めて、俺の胸に抱きついてきた。こいつがここまで甘えてくるのは珍しい。
「メアリ。起きろ」
「いつも、こうしてくれる、でしょ……」
「そうだけど」
まだ血が流れてるってこと、分かってないよな。抱きつかれると匂いでやられるんだが。勘弁してくれ。
「ハァ……こっちの気も知らないで。離れろ」
「なんで……。酷いよ……」
メアリが顔を上げた。
「サフィ、ア」
なんでこいつ勘違いしてるんだ?
あーでも、そういえば今の体はメアリと会った時の姿の弟だったか。それなら少し似ているところがあってもおかしくない。もしくは、中身に気付いたのか。
俺はしらばっくれて、彼女に返事をした。
「おい。メアリ? なに言ってんだ?」
ともかく俺から離れて一人で寝ろ。元々外じゃ抱いたことないだろ。
「ラムズ……。お願い……」
魅了魔法を解こうか。解けば多少マシになるはずだ。だがもう大分匂いにも慣れてきたし、耐性を付けさせる意味でもこのままにしておいてやるか。
俺は彼女の頭を抱いてやり、諦めた声で言った。
「あー分かったよ、寝ていい。こうしててやるから」
「うん……」
メアリは本当にそのまま寝てしまって、俺は一人、次はいつ飲んでやろうかと考え続けていた。