サファイアのブローチ *

「こんにちは、お待ちしておりました」
 店の入口を、少し腰を曲げるようにしてラムズが入ってくる。
「こちらこそ。わざわざご用意いただいたようで」彼は右手に持っていた花束を掲げた。「年始の祝いに、よければ」
 見事な百合の花束だ。香りはまだ高く、キツすぎない匂いが店に漂いはじめる。百合以外にも、金に染めた小ぶりの花々が彩りを加えており、高級な印象に仕上げている。
「これはこれは。美しい百合ですね」
 店主は丁寧に手袋を外して花束を受けとる。失礼にならない程度に一驚と感嘆の感情を示して、いそいそと店の奥へ仕舞いにいった。
 改めて彼と顔を合わせる。いつもどおり、繊細で怜悧な顔つきだ。
「明日より飾らせていただきます。いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
「いえ」
 店主は早速、ショーケースの下からプレゼントを取りだした。ラムズの視線がちらとこちらを捉え、すぐに外れる。店内の別の宝石をそれとなく眺めているようだ。
 店主はことさら丁寧に包みを広げていった。自分史上、最高級の宝飾品だ。つまらない粗相をして贈り物を汚したくはなかった。数秒もすれば柔らかな布地からブローチが顔を出す。
「こちら、お誕生日のお祝いでございます。おめでとうございます」
 自分がこれを伝えるのは初めてだ。彼には聞き慣れた言葉だろうが、やはり口に出さずにはいられなかった。
 ラムズは柔らかい笑みを繕う。目尻がほんのり下がり、白んだ碧眼が淡く光った。
「ありがとう」
 彼はブローチに視線を写し、細い指先でそれを摘んだ。
「あー…………。んー……」
 どこか品定めをしているような声だった。二度ほど傾けてサファイアの煌めきをたしかめたあと、すぐに店主の元に戻す。
「いい品だな、包みなおしてくれ」
 あまりに淡白な言い方に、そしてまったく表情の変わらない彼に心臓が早鐘を打った。微細な感情を読み取る隙も与えず、返されてしまった。
 何か失礼に当たる品だったのだろうか。彼の好みに外れるような宝石ではないはずだ。もしくは手違いで偽物に変わってしまった──否、それはない。彼が店に来る前もきちんと確認している。
「は、はい」
 戸惑いの表情は隠し、先ほどと逆の行為をゆっくりと続けた。それでもどうしても気になってしまい、違和感の出ない程度にそっと声を出した。
「あまりお気に召しませんでしたでしょうか?」
 素朴な口調で、決して意図を悟られないように。日常会話をはじめるような声色で問いかける。
 ラムズの青い視線が左右に揺れた。どこか声を潜めて、言いづらそうに答える。
「違う。好きだったから、あまり……ここでは落ちついて見ていられないと思ったんだ。悪い。また挨拶に向かうよ」
 意外な一面だ。他の令嬢と買い物をしているときには見せなかった姿だった。
「……そうでしたか」
 おそらく本当のことなのだろう。喜びに瞳が輝く姿を見られなかったのは残念だが、また別の側面を知れたのは嬉しかった。
 しばらく間があって、顔を背けたままの彼が呟いた。
「本当に嬉しいよ。ありがとう。ちと照れくさくて」
 目線が下り、発言を誤魔化すように目を瞬いている。
「いえ」やはり大きく感情を表に出すのがあまり得意な方ではないのだろう。それほど快く思ってくれたのならと、ほっと胸が撫でおりる。「よかったです」
 贈り物を包み終わって顔を上げると彼と目が合った。ラムズは形のいい唇をゆっくりと曲げ、あどけなく首を傾げた。銀の髪が数本流れる。
「本当にありがとう。君が造らせたのなら、そのセンスをとても好ましく思うよ」ひそやかな声が紡がれる。「よく……見てるんだな?」
 見透かされたような深い青が胸を擽る。自分の見立てを素直に褒められたのも、面と向かってこれほどの美青年に見つめられたのも初めてだ。彼を模した宝飾品であったことも、この短時間で見抜かれてしまったのだろうか。
「今年もどうぞよろしく」
 ラムズは手を出した。握手だろうか? 彼の言葉の真意を噛み砕く暇もなく、思わず手袋も外さずに握り返してしまった。始終彼は微笑んだまま、少し冷たい掌で優しく包み振っている。
 彼の笑みに気を取られたまま、自然とプレゼントを渡していた。
「じゃあ」
 単調な声にはっと意識を戻す。
「はい、ありがとうございました」
 店主はゆっくりと、そして深く頭を下げた。

 ラムズが帰ったあと、店主は強ばっていた肩を落とした。だが喜んでいただけてよかったと、そう手放しに明るくなれない自分に気づいた。彼の言葉を疑うわけではないが、本当に、喜んでいただけたのだろうか……。胸に引っかかる小さな凝りをそっと横に置いて、新年の開店準備に意識を向けた。