治癒
「私の、美味しかったぁ?」
「んー……ちと足りない」
「足りない? もっと吸いたいの?」
彼は首を傾げた。鋭い目線が降りる。「それもあるが、味が足りない」
「私のせい? 食事の量が足りないとか?」
我ながら、スタイルもいいほうだ。出るところは出て引き締まるところは引き締まっている。でもお客様によっては「細すぎる」と言うこともある。
「体型の問題じゃねえよ。次はもう少し美味しくなるかな」
「え〜、味変わるのぉ?」
「変わるよ」
優しい微笑みの裏に底知れない妖しさを隠しているような気がして、そっと目を逸らした。
「だめだよ、このお店は血はだめだもん」
「ざんねん」
反省しているような様子はない。また同じことをされそうだ。ラムズならいいけど……とほんのり心の底に浮かんでしまった気持ちに蓋をする。
「どんな味がするの?」
「お前?」
「うん!」
「甘ったるい」
「甘いの? 甘いの好き?」
彼は私の首筋に手を当てた。「もう少しスパイスがほしい」
首を傾げた。「スパイス、付けられる?」
「ああ。まあ、思ってたより美味しかったよ」
「なにそれぇ。まずいと思って飲んだの?」
「お前……」彼は目を細め、唇を妖しく曲げた。「けっこう俺のこと好きだよな」
「なにそれぇ」彼の手を叩く。「そんな話今してないじゃん。それにあれだよ、お客様のひとりとしてっていうかぁ……。格好いいのはそうだけどぉ」
言葉尻が小さくなり、体を左右にゆっくりと揺らす。
「そっか。そういう好きね」
「悲しい?」
青の瞳にプラチナを冠せ、ひそやかに微笑みを降ろす。「悲しいよ」
きっと嘘だろう。そう思っているのに、細まった蒼に惹き付けられた。本当かな。いや、だけど。本当なわけない。
「からかわないで〜。それに、遊女に恋をするほうが悪いんだよ?」
「そっか、じゃあ恋しねえ」
自分で言っておきながら、ちくりと言葉が胸に刺さる。繕うように微笑みかけた。
「ん、私もしないから」
彼は寂しそうな微笑を唇の端に寄せ、頭を引き寄せて胸に押し当てた。髪をゆっくりと撫でられる。
「さっきの傷、治すよ」
「飲んだとこ?」
「ああ。手首のも、見えてるのが嫌なら治してやろうか?」
「え? 治せるの? でも普通のお医者さんには、多すぎて無理って言われたよ」
「魔法なら上手くいくんじゃねえかな」
「……でも、どうせまたやっちゃうもん」
彼は頭をそっと撫で、ベッドから立ち上がった。「別にいいだろ。そしたらまた治してもらえば」
──またって、これからもずっとお店に来てくれるの。
そう言おうとした声は喉の奥で潰れ、干からびて心の影に埋もれていった。
「【友よ、吾の風よ、具現せよ ── |Dryavent《ディヤヴェイト》 |Dimi《ディム》 |Expecamic《エクスパーミィ》】」
ラムズは指に切り口を入れて血を流し、ふっと宙へ飛ばした。赤い雫が宙で浮く。二つ、四つ、八つと分裂していくと同時に辺りが巻き上がり、カーテンやベッドシーツがふわふわと舞った。紫の蝋燭が静かに瞬き、影が大きくなったり小さくなったりする。
「これなに? どうしたの?」
「エルフ呼んだ」
「そこまでしなくていいのに……。それにエルフ、なんて」
見たことない。いるのは知っているけど、こういうお店にエルフが来ることはまずありえない。それにふつう、エルフに仕事を頼むにはかなりお金がかかる。エルフと魔印を交わしている人は少ないからだ。
お金に関してはあんまり問題なかったけど、そもそも知り合いでエルフと繋がりがある方がいなかった。手首の傷をなんとなく摩る。……本当に、消えるのかな。
小さな竜巻のようなそれから徐々に光が集まり、形を作っていく。私は固唾を飲んで見守った。
ショートヘアの女の子だった。もちろん金髪金瞳で、耳はぴんと尖っている。落ち着いた目付きに、色の薄い唇。幼い見た目でも、他のエルフと同じようにどこか儚い雰囲気を醸している。
「久しぶり、ラムズだ」
「うん、久しぶり」彼女は朗らかに笑う。そのあと私に目を移した。「どうしたの?」
「あの子の手首、怪我してるから。治してやって。あと首も」
「はは、いいよ〜」
彼女は軽く笑うと、一歩ずつ進んでくる。私と同じ裸足の足で、簡素な麻の服を付けている。普通の人間が付けていたらボロい布にしか見えなそうなそれも、彼女が着ていればどこか森の精霊のように見えた。青い石のついたネックレスを下げている。
「私、その。エルフとお話するの初めてで。腕は、これで……」
彼女は目を細めた。「大分古い傷もあるんだね。すぐ治るよ、安心してね」
「うん」
エルフって思ってたより普通なんだ。ほっと安堵の息を漏らし、彼女の手先を眺めることにする。
エルフは「はい」と「いいえ」の答えが出せない。いつも真ん中を取ってしまうから、何か言うとしたら命令しなくちゃいけない。
どうしたいか、どうするべきなのか、どんなことが好きで何が嫌いか。自分の意志がまったくないらしい。だからもっと……冷たくて無機質なイメージだった。でも彼女はいくら儚い金髪を纏っていても普通に生きているように見えて、こうしてそばにいて、耳以外に人間と違うところがあるとは思えなかった。
「はーい、治った」
彼女が私の腕から手を離す。私は光に透かすように腕をくるくると回した。きれいさっぱり傷が消えている。
「すごい! わぁ、ありがとう!」
「いいえ〜」
そのあと、ちょんと首筋の傷に指を当てた。仄かに光が瞬き、白と混ざって消えていく。
「こっちも終わり」
「お金は?」
「金はいらない」
エルフの子が答える前にラムズが言った。まずい、『半分くれ』って言われるところだった。全財産の半分だったらかなりまずい。
彼女はにこりと微笑み、すたすたとラムズの前に戻っていく。
「まだある?」
「もういいよ、ありがとう。またな」
「またね、ラムズ」
彼女は手を振った。来たときと同じように風が揺らぎ、彼女の影は空気に溶けだすように歪み、ブレて、ついに風になって消えてしまった。
エルフがいなくなって、綺麗になった手首をさすった。
「ラムズ、ありがとう……」
「いいえ」
ぽつぽつと言葉を落とした。「でもまたやっちゃうよ? いいのかなぁ。せっかく綺麗にしてもらったのに」
「いいって言ったじゃん」
「見た目、悪いかなぁ……」
彼はくすりと笑う。「他がいいから、いいよ」
「褒めてくれるのぉ?」上目遣いで彼を見、胸元にすがりついた。
「ずっとそう思ってたよ」
「ふぅん」横の髪をくるくると回し、また手首を摩った。「どうしていいって言うの? みんなダメって言うのに」
「だめって言ってほしかった?」
「そんなことないよ? ん〜、わかんない」
彼は足を組んで、静かに声を落とした。「まあ、あまり何かに対してダメって思うことがねえからな」
「何かに? つまりどんなことでも悪いと思わないの?」
「そうだな。そいつが好きでやってることなら、別にやればいいと思う」
「それで身を滅ぼすことになっても?」
おかしそうに笑みを零す。「手首切ったくらいで身を滅ぼすかよ」
「たしかにぃ。客に『切るな』って言われると、あんたのせいで切ってんだよ、って言い返したくなっちゃう」
ラムズはくくと笑った。「気持ちいいから一緒に切る?って誘ってみたら?」
「そんなこと言ったらおかしいと思われるよぉ」彼の膝を揺すった。
「俺もそうだが、客はパメラのこと、何も知らねえだろ。だからお前が受け取りたいと思った言葉はもらって、それ以外は捨てときゃいい」
「もらって、捨てる」心に刻むように言葉を繰り返す。「だけどほらぁ、娼婦って価値観バグってるってよく言われるしさぁ?」
彼は自分のネックレスをそっと撫でた。「俺からしたら、お前らの価値観も、客の価値観も変わらねえよ。いいも悪いもない」
「俺からしたらって、ラムズはなに? ヴァンパイアとしてってこと?」
「まあ、そう。人間以外の使族から見てってこと」
「ふぅん。じゃあ、別にこのままでいいんだ」
「そのままでいいよ」
彼は立ち上がった。椅子に掛けていた墨色のジャケットを手に取る。しゃら、と装飾品の擦れる音が立つ。
「……次はいつ来てくれる?」
「いちばんになったら」
ベッドから出した足をぶらぶらと揺する。「あと半年くらいかかるかも、だよ」
「半年? 長えな」
「でしょう? だから」俯き、たどたどしく言葉を紡ぐ。「お金そんなに使わなくていいからぁ、来月とかに……来てよ」
「じゃあ来月にいちばんになれ」
「そんなの無理だよ〜。一ヶ月じゃ客がつかないよ」
「じゃあ三ヶ月?」
「さん……」
正直早く会いたい。でも、たった三ヶ月でいちばんになれるとは思えなかった。そんな娼婦の話、聞いたことない。
「半年はかかるって。半年だって早いくらい……」
「知らねえ」
「お願い〜。頑張るから、来て」
ジャケットに袖を通し、服についた宝石を確認している。「行かねえ」
「どうして? 寂しいよ」
「じゃあもっと頑張れ」
「えぇ〜。十分頑張ってるでしょう? しんどいときもたくさんあるんだよ」
声が震える。
ラムズが帰っちゃったら、もうずっとずっと会えない。こんなに今日が幸せだったのに、明日からどんなふうに仕事をすればいいのかわからない。他のお客様に耐えられる気がしない。
「いっぱいかわいがってやっただろ」
「ん〜。でも別に。血吸われたしぃ」私はあくまで、間延びした声で軽く言った。
「あ、そ」
彼はワゴンのボトルやワイングラスを整えた。本当に帰っちゃう。立ち上がって指を絡めた。
「いやだぁ、お仕事できない」
「なんで」
さっきより高いところから降りる視線は、目の色と同じく青い感じがした。
「寂しいよ、元気でない」
「媚びてんの?」
「違う〜。本当だもん」
彼は頭をとんと叩いた。「次来るときは好きなことしてやるから」
そのまま手を離されそうになって、きゅっと掴んだ。「ほんとぉ? 絶対だよ?」
「ああ」
「半年?」
「三ヶ月」
「……それよりかかったら?」
「行かない」
酷い。三ヶ月なんかじゃ無理だ。泣きそうになりながら、縋るように訴えた。
「ラムズがこないあいだに、辛くて死んじゃうかもよ?」
「ん〜。それはもったいねえな」彼は腰を曲げ、頬にちう、とキスをした。「死にたくなったら俺を探して」
「……どうして?」
「俺が終わりにしてあげるから」
「私を?」
彼はそっと手を離した。冷たい指だったはずなのに、ぽっかりとした喪失感が襲う。「なんでも」
コツ、コツ、と床をヒールが叩く音が聞こえる。首筋や口に残った甘い感触と、手から離れた冷たい安堵がもう既に恋しくて、わっと顔を覆った。