ジャンヌ・ダルク

 そして同じく一ヶ月が経とうとするころ、聖女が現れた。
 私とまったく同じ容姿、同じ声、同じ目をしていた。そんな人は本来いない。他人の空似というレベルではなかった。ぴったり同じ、話し方や口調ですらほとんど似ている気がした。
 彼女は初め即刻処刑台に連れていかれたが、懸命に無実を主張した。
「これが私の血です! 元の聖女の意志を継ぎ、生まれ変わってここに立っているのです! 私たちは本物の聖女です! 魔法で確かめて。私の血は穢れていない、乙女の血よ。私を数日牢獄に入れてもいい。人の血など吸わずとも、この身このままで出てくるわ!」
 戦に苦戦していたヴァロレンス王国は、半信半疑、あちこちの反対意見もありながら、彼女の言うことを聞いて乙女かどうかを確かめた。血は変わっているがたしかに乙女のもので、血を吸う必要もないと判断される。
 初め、彼女は国民に罵声を浴びせられつづけた。きっと王国内でも散々虐められただろう。兵士に蹴られたり、陵辱されそうになったこともあるかもしれない。私と同じ神力持つのなら、耐え難い口撃に襲われたはずだ。
 でも、彼女は諦めなかった。
「私は聖女です! ジュアナ・ラピュセルの意志を継いでここに立っている! ヴァロレンスを救うために声を上げた!」
 本当は嫌だった。私が立つはずだった場所で声を上げ、実際にも認められていく彼女を見るのが辛く、何度も路地裏で泣いた。ぜんぶラムズに言いくるめられてこんな目に遭っただけで、本当は……本当は私が、私が聖女に──……。
 自分の醜い感情を認め、少しずつ彼女を受け入れる努力をした。聖女の地位に就くのも、そのまま聖女として生きつづけるのも、生半可な覚悟ではできない。実際、街中で馬を引いて歩く彼女にたくさんの人が石をぶつけ、口々に「偽物だ」と叫んだ。それでも彼女は凛として前を向き、決して俯かなかった。その姿は私が理想とする聖女そのもので、美しかった。
 戦争でも彼女は活躍し、私と同じように兵士を鼓舞し戦いを勝利に導いた。巷で聞く悪い噂が日に日に減っていき、彼女は本物だという声が増えた。
 いくら『乙女である』という証拠があろうと、あの場で聖女の代わりと名乗りあげるのは勇気がいるはずだ。私は次第に彼女を認め、むしろ、このヴァロレンスを一緒に救ってくれる存在として称えた。

 聖女ジャンヌ・ダルク。

 私の名前を文字ってそう名前を決めたらしい。ダルクもラピュセルも、同じ乙女という意味だ。彼女は決して私を悪く言うことはなく、同じ聖女だと主張しつづけた。それについて批判する声もあったようだが、彼女も同じ気持ちなのだと思うと……まるで姉妹のようで嬉しくなった。

 頭を擡げたのは未来予知のことだ。彼女が、もしくは私があと一ヶ月もしないうちに死んでしまうかもしれない。違う聖女に変わったことで未来が変わった可能性もある──。だが、どうにも拭い去れなかった。
 ジャンヌ・ダルクに警告しに行こうか迷った。彼女なら信じてくれるとわかっていた。だが──この未来を知って彼女はどうするだろう。きっと変わらず戦に出て、イルドゥラントと戦うだろう。死をどんなに恐れようと、彼女は立ち向かっただろう。
 私は伝えに行くのをやめた。
 彼女が、もしくは私が死ぬかもしれないという事実は、私だけが知っていればいい。死の恐怖を知るのは私だけでいい。どうせ知っても未来は変えられない。彼女の行動も変わらない。それなら、伝える必要はないのだ。

 そして、某年五月三十日。
 聖女ジャンヌ・ダルクは、敵国イルドゥラントで処刑された。

 彼女が死んだことに重いショックを受け、言葉が出なかった。しばらく体が動かなくなり、数日間生死を彷徨うように胸や体が痺れておかしくなった。
 あのとき見たのは彼女の顔だったのだ。火をつけられてもずっと前方を見据え、自らの正義を信じていたのは彼女だった。
 もう耐えられなかった。
 だって、ジャンヌ・ダルクを。私を。聖女を殺したのは、──他でもないヴァロレンスだったのだから。

 イルドゥラントとのある戦いで負けたジャンヌ・ダルクは、敵国の捕虜として捕まえられた。本来ならば、ヴァロレンスは身代金を払いジャンヌ・ダルクを救うべきであった。
 それなのに王はそうしなかった。王だけでない、王の決定を認めた要人が、そしてそれに異議を唱えなかった国民がいた。
 そうしてジャンヌ・ダルクは、異端審問裁判にかけられ、不利のすぎる条件のもとでろくな審議も準備もしないまま、即刻火炙りにされた。

「どうして! どうして! どうしてジャンヌを助けてくれなかったの!? ねぇ、ねえ!」
「彼女は……私は。ずっと国に尽くしてきた。国を愛していた。愛して、神に与えられた使命を全うしてきた。それなのに……どうして。どうして! どうして!」
 真夜中の裏路地で慟哭を上げる。とめどない涙が零れ、彼女の死を思うと肺が苦しくなっていく。
「私たちは……私たちは。聖女だったでしょう。貴方たちを助けたでしょう。そんな、嘘よ。お金を払うだけじゃない。どうして? どうして? ずっと……信じていたのに。国を。神を。……信じていたのに」
 愛すべき我が王国、ヴァロレンスのためにさんざん尽くして生きてきた。
 ラムズに踊らされた罪に苛まれ、国民から野次を受け、聖女として戦場に立っていられなくなっても。本気でヴァロレンスが侵攻されると思って、嫌いな男に抱かれるのを許したときも。人の血を吸い、罪の意識に苛まれながらも、国民の信じやすい聖女でいようと決心したときも。
 新たなジャンヌ・ダルクに取って代わられても、私はずっと、聖女でいた。心を折らず、憎しみも悲しみも背負ったまま、国のために、民のために、この身を捧げて救ってきた。
 ジャンヌ・ダルクもそうだ。私の代わりに暴言を吐かれ、屈辱的な目に遭おうと、この国を救わんと生きていたのだ。
 それなのに────。

 そして、私は聖女をやめた。

 人を助けるのが嫌になった。誰を見ても救いたいと思わなくなった。いちばん愛するものに裏切られたのだから。私の生のすべてを否定されたのだから。もう、疲れてしまった。
 それでも心のどこかに残る良心が、殺したのはすべての国民ではないと、あの子供は関係ないだろうと囁くのだ。それが煩わしくて、聞きたくなくて。もう、うんざりだった。
 私の母イザベルが捕まってしばらく、母の住んでいた邸宅は誰かに買われたらしかった。重い足を引きずりながらその土地へ向かった。だが、母の城のあった場所は見渡す限りの荒地が広がるばかりで、なにも見えなかった。そう、本当に何もなかった。
 城の裏側に回り、意識を凝らして魔法を解いた。数日に渡って数々の魔法を解き、長く精神疲労のある重い魔法に気絶しそうになりながら、ついに城にかかっていた魔法を解いた。
 久方ぶりの母の地に足を踏み入れる。ざく、ざく、と庭を踏みしめる音が聞こえる。ところどころ装飾は変わっているが、その面影はある。数個の石像を超え、限られた者しか知らない裏口へ回る。まだ裏口があったことに安堵し、木造の小さな扉をコツコツ、とノックした。
 いないかもしれない。宛が外れたかもしれない。でも──、まざまざと真実を見せつけるミラームが、私を裏切らないのであれば。
 ぎぃ、と扉が開く。私は顔を上げた。陽光に照らされ、銀色の髪がダイヤモンドのように煌めいた。鮮やかな青がこちらを見下ろし、薄い唇がゆっくりと弧を描く。
「おかえり、ジュアナ」



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