種明かし

 ついに解放してくれる日がやってきて、久しぶりの聖女ジュアナ・ラピュセルにどきまぎした。三ヶ月も経てば国が少し変わっているかもしれない。きっとみんな心配しているだろう。ラムズは好きにしろと言うから、皆を困らせないためにも、『密かに修行をしていた』と言うことにした。すべてが間違っているわけではない。以前の私なら『嘘なんて』と言うところだが、いちばん大事なのがそこではないことをもう知った。だからこれでいいのだ。
 最初に着ていた甲冑を着せてくれる。魔法ももとに戻してくれた。メイクに苦戦していると、彼が貸してみろと言って私の正面に座る。
「いつもは侍女がやってくれていたから……。メイクは苦手なの」
「へえ」
 近い距離で彼の顔を見ていると脈が早まった。すっと通った鼻筋に、上にも下にも影を付けるほど長い睫毛が青眼を飾っている。いくら彼がおかしな人でも、美しい顔立ちには少し見惚れてしまう。
「いつまで見蕩れてんだ、終わったよ」
 気づかれていたことにバツが悪くなり、甲冑のヘルメットを装着する振りをする。
「……ラムズは、本当に、何がしたかったの」
「さあ。なんでしょう」
 床を見る。結局敵国のスパイなのかどうかすらわからなかった。血のことを考えるならそうではないのだろうか。
「私は貴方を恨むべき? 感謝するべき?」
「知らん。両方持っとけ」
 彼は私を押して、|魔法円《ペンタクル》の上に乗せた。このままヴァロレンスの首都まで飛ばしてくれるらしい。
 なんとはなしに牢屋を一望した。暗くて、床や壁は擦り傷がいっぱいあって、魔石灯はいつも青白く、光の神の作る太陽とは一線を画した場所だった。今となっては懐かしい感じがする。
「帰んねえのか? まだ俺といたいか?」彼が呆れたように尋ねる。
「ごめんなさい。行くわ」
「はい」
 さよならもごめんなさいもなかった。すごくさっぱりとした別れ方で、ある意味彼らしい。ラムズの澄んだ詠唱の声が聞こえる。長いそれが終わると、下に敷かれた|魔法円《ペンタクル》が白く光った。淡い光が宙に溶けこんでいく。細かな光の粒が目の前にまで上がっていくころ、彼は三日月を傾けたように嗤った。
「ああ、言い忘れてた。ヘルメットのバイザー、しばらくは外さないほうがいいぜ。死にたくねえなら」
 聞き返すまもなく転移先に飛ばされる。時を刻む音が数回聞こえたあと、ヴァロレンスに着いていた。

 まだ昼間だ。噴水の前では多くの人が行き交い賑わっている。平穏に見えるヴァロレンスの様子に思わず笑みが零れた。最後彼が言っていたの、なんだったんだろう。一応忠告どおり顔は見せない方向で、王城のほうへ向かう。
 昼間から甲冑を着て歩いている者はいない。一通りの多いところで、何人かとぶつかった。
『早く届けに行かなきゃ。間に合わなくなる』
『お腹が空いたわ。あの店に行こうかしら』
『まさか、嘘だよなあ。信じたくねえよ』
『帰ったら旦那に怒ってやらないと。まったくもう』
『裏切られたよ。彼女を信じていたのに』
『あの子かわいいな。あとで声掛けてみようかな』
『どうしてあんなことしたんだろう。いや、元々聖女ではなかったんだな』
『恐ろしいわ。会いたくない。国中が探し回ってるんでしょう?』
『母親も捕まったって聞いた。聖女が人を殺していりゃあ……なあ……』
『食ってたって話も聞いたぞ』
『私は火炙りにして拷問していたって』
『そもそも乙女じゃなかったんだろう? そこから間違えてる。王はちゃんと調べたのか?』
 足が止まった。
 裏切られた。
 いや、違う。最初から彼は悪人だった。勝手に……私が期待しただけだ。
 ヘルメットの中でぼろぼろと涙が零れていく。固く拳を握り、肩が震える。容赦ない日光が甲冑に照りつけ、さらに体を熱くした。
 嘘だ。酷い。酷いよ。どうして。
 こうなることを知っていたなら、どうして「本物の聖女は」だなんて語るの。私の相談にのって慰めてくれたの。ねぇ。どうして?
 それとも宝石を狙ったから? 母やジルを殺す代わりにこの仕打ち?
 私は駆けだして、小さく詠唱をし、自分の体に魔法をかけた。姿を誤認させる魔法。とにかく何があったか知りたい。いつから国民が知っていたのか、私はこの先どうするべきなのか。
 ──大丈夫。
 何があっても、みんなにどう思われても、私は自分が正しいと思うことをした。辛くて悲しくても、彼を憎く思っても、この先をどうするかが大事なんだ。


 異端者として指名手配の絵が町じゅうに貼られていたが、私の魔法を看破できる人間はいない。日々顔を隠して逃げつづけ、必死に情報を集めた。エルフや|獣人《ジューマ》などの吟遊者を雇っていれば話は別だけれど、そう多くはなかった。城の中枢や母親の住んでいたところ、あちこちを巡ってようやくある仮説を立てた。
 ラムズは初め、どうやら母親に依頼されて私を攫ったらしかった。母はそれを主張し、私が化け物≠ノ変わったのはある貴族の男のせいだと言い続けていたらしいが、取り合われなかった。母に裏切られていたのはショックだが、私が聖女になってから疎遠になり、私の功績でもらった金や宝石に目が眩んでいたのは知っていた。だから……唇を噛み締める。
 そのあとは、やはり敵国のイルドゥラントと手を結んだんだろう。私を処女でなくし、聖女とは思えない噂を流す。それで私は機能不全となり、むしろ国に追われる存在に代わり、イルドゥラントは散々苦戦した私との戦いを避けることができる。
 処女でないことについては、王宮に破瓜のあとの血が送られてきたらしかった。もともと保存されていた私の血と照合し、同じ血が処女でなくなったことがわかった。宗教上、乙女かどうかは大事な問題だ。それくらいの魔法は最初から用意してある。
 噂の出処はわからなかった。だが乙女でない血が提出されたのも、噂が出回りはじめたのも、一ヶ月前、彼に抱かれたあとからだった。
 シュパール王とのことは知られていなかった。王が死んだことは公にされたが、その原因は不明とされ、私と寝ようとしたことも誰も知らない。おそらくラムズは、私の処女を奪うのに一手間加えてさらに金を得ようとしたんだろう。
 ラムズは言っていた。『すべては宝石のため』だと。宝石──すなわち金と言ってもいい。攫われた直後に母がもらった詫びの金品も、イルドゥラントと手を結んだ際の見返りも、シュパール王を含めた三人からも金を貰っていたのだろう。
 シュパールがヴァロレンスを侵攻しないという条約は本当らしく、実際に不可侵条約が結ばれている。だが、彼にとっては保険代わりの条件だったのではないだろうか。何かあって失敗したとき用に──まさに彼の危ぶんだとおりのことが起こり、代わりに私を抱いた。
 宝石を触れないようにステュクスに誓ったのは。ステュクスへの誓いを破ると、死後、この世界のどこかにあるステュクスという川で永遠に溺れつづけるのだ。生きているあいだも、神から様々な罰を与えられるという。誓いを破るわけにはいかない。復讐をするにしても、宝石以外の手段を取らなければならない。だが彼を殺すことは基本的には叶わず、宝石しか愛さない彼をどうやって復讐すればいい。あのとき私が宝石を狙ったのは意図しないところだろうが、次に来たときに怒っていたのは演技だったかもしれない。もしくは、本気で怒りながらもいい機会だと手を拱いたのかもしれない。
 あまりの悔しさに胸が痛い。彼を少なからずよく思っていた自分に嫌気が差す。彼が私を抱くことは……計算外だったのかもしれない。これ以上はわからない。そもそもときおり優しい素振りを見せていた理由もわからない。最後にこんな結末を用意しているのなら、最初からずっと酷く当たってほしかった。どんなに恨んでも憎んでも、すべてて否定しきれない自分の心が憎い。一瞬でも……彼に心を許してしまった自分が許せない。
 だが私は、くよくよと悲観しつづけるのをやめた。これも、皮肉なことに彼に教わった『本物の聖女』の話のおかげだった。彼を憎んでも、復讐しようとしても、それは聖女としてあるべき行為ではない。彼を嫌う気持ちも、憎む気持ちも残したまま、だが行動に移すことはしなかった。これも彼の掌の上かもしれない。それでも、復讐に取り憑かれるのは私の心が許さない。
 街に貼られた私の絵は、いろいろな人に切りつけられ、たまに『裏切り者』『異端者』『悪魔』とまで書かれた。悔しい。酷い。でも……すべて事実ではある。ただ明るみになってしまっただけで、私がやったことは変わらない。
 事実を覆す証拠は持っていない。処女を奪われる前と奪われたあと、両方の血を国が持っている以上、私は何もできない。いくらラムズに唆されたと、国を救うためにやったと言っても、処女でないものは処女でない≠フだ。失った理由など関係ない。ただその事実だけで裁かれる。
 名誉回復のためにただ我武者羅に叫びつづけるのも私の思う聖女≠ナはなかった。
 私は、戦場に戻ることを諦めた。
 それにどこかほっとしている自分もいる。思わずそんな心を否定しそうになったが、苦笑いで流した。そう、私が戦場に出ず、このまま隠れて生きつづければあの未来はないような気がするのだ。今回の理由で火炙りにされていたわけではない。こんなに巷を騒がせているのに、あの日見た未来予測に『処女』も『人を襲う』も叫ばれなかったのはおかしい。
 それでも私はめげなかった。自分のしてしまったことは責任を取るしかない。もともと人を殺して血を飲むのも、処女という名誉を捨てたのも本来悪とされることなのだ。償っていくしかない。
 聖女はやめなかった。
 別にいい。誰にも知られていなくても、血を吸う必要があっても、もう処女でなくとも、私は聖女だ。私だけがそう思っていれば、自分でそう誇りを持っていられるならいいのだ。
 私は顔や髪をわざと汚し、声を魔法で誤魔化し、頬にあったヴァロレンスの国章を泣く泣く隠した。そうして、戦場でないところで人を助けた。ヴァロレンスという国には、まだ救うべき人がたくさんいる。無理やり奴隷にされた子供、理不尽に虐げられる人。吟遊者ギルドで|獣人《ジューマ》のフリをして仕事をし、稼いだお金で食べ物を買って貧者に譲った。スラムや平民の家を回り、怪我人や病人を助けた。森に出かけ、魔物に襲われた兵士を救った。
 飲む血は最小限にして、殺さないように、姿がわからないように頂戴して過ごした。

 それから一ヶ月。彼が残したからくりがもうひとつあったことに気づいた。
「おばさん。ありがとう。これ、お礼だよ」
 子供に差し出されたアプルを手に取り、フードを被り目を隠した状態でもわかるよう、柔らかく口元を緩めた。「ありがとうねぇ」
「たべて、食べてよ!」
 美味しそうに見えるアプルを眺め、しばしの逡巡ののち、口に含んだ。不味くても我慢しろ。喜んでみせろ──。
「おい、しい」
 私は手に持ったアプルを眺める。どうして? なんで美味しいの? いつもなら泥が詰まったような味がしていたのに。私は夢中でアプルを食べ、人目もはばからずに泣いた。
「あ、ありがとう……。ありがとう、本当に、ありがとう」
「いいよ! 長生きしてね!」
 子供が去っていく。
 とにかく試してみようと、他の食べ物を買って口にしてみた。井戸の水を汲み飲んでみる。ぜんぶ、美味しかった。なんにも不味くなかった。
「は、っは、はは……。馬鹿だ、私。馬鹿だ……。は、あは、あは、あはははは…………」
 このせいで何人殺したんだろう。何人の血を吸ったんだろう。
 彼は私に魔法をかけたんじゃない。与えた食べ物すべてに魔法をかけたんだ。外見は変えないよう中身だけに腐乱魔法をかけた。息をするように魔法を使う彼のことだ。店で買った果物も一瞬にして腐らせてしまったのだろう。ラムズは平気で口にしていたが、人の肉さえ食べる男だ。腐ったものでも食べられるんだろう。
 もう、憎しみも湧かなかった。天晴れと言うしかない。物語のプロローグよろしく初めに自分の冒険噺を語り、おかしな神力を持つ者の話をしたのも、ぜんぶ、ぜんぶわかっていてやったのだ。彼には人の良心を消し堕落させることも、罪悪感を刺激し気持ちを鼓舞させることも、赤子の手を捻るように簡単にやってしまうのだろう。最上の悪人だ。
 私は改めて、殺してしまった人たちを思い浮かべた。心の中で何度も謝り、貴方たちの代わりに国民を救うと約束をした。