紫苑視点@
『ブラックトリガー』というものがある。普通のトリガーとは違い、それ一つで一つの戦争の勝敗を変えるとも言われる、膨大なトリオンを秘めた兵器だ。
ブラックトリガーは保有トリオンの多い人間一人が命を賭して作り上げることでしか生まれない。その希少性は一つの世界に十も揃うことがないほどで、その世界の戦力を大まかに図ることさえ出来る。
それは、地球の存在する玄界(ミデン)でも同じことだ。玄界を守る組織、ボーダーは、表向き二つのブラックトリガーを所有していた。今は二人のS級隊員によって扱われ、玄界の防衛に使われている。これが、大部分の隊員が知っている情報だ。ただ、事実は少し違う。
マザートリガーの前に立った忍田は、手に持っていた友人だった男の形見を、そっと繋がれた機械に嵌め込んだ。黒々としたそれは、ちかりと発光して起動を始める。
USBのような見た目をした小さなブラックトリガーは、作られてから3年間以上、一度しか起動がされていなかった代物だ。そのトリガーとしての特異性と、内蔵トリオンの殆どを戦闘能力以外に使う構造から、用途が見いだせないまま年月がたってしまった。忍田はそれを申し訳なく思うと同時に、やるせない気持ちになる。
技術部の力を結集してまで、人が起動するのではなく、マザートリガーに接続し……クラウントリガーのように起動する技術が生まれなければ、このトリガーは一生使われなかっただろう。それは、彼の望むところではない。
トリガーが起動される。側に現れた少女に向かい、忍田は静かに息を吸った。
「ブラックトリガー、紫苑だな」
そのブラックトリガーは、少女の形をしていた。
***
ふっと意識が持ち上がり、頭からゆっくりと温かいものが伝った。凍っていたようだった体に熱が留まり、動けとでもいうように脳が回転する。
起動されたんだ。気が付けば、紫苑は大きな機械のようなものの前に立っていた。
「ブラックトリガー、紫苑だな」
紫苑が振り返ると、そこには一度だけ見た覚えのある男が立っていた。以前起動されたときに、紫苑に名乗ったことがある。名前は確か、忍田といった筈だ。
「あなたが起動者ですか?」
「いや、違う。今回は君に……ボーダーについて説明するためにここに居る」
「では、誰が」
紫苑が首をかしげると、忍田はついと大きな機械へと視線を向ける。つられて瞳を動かすと、それに繋がる機械に刺さった黒いトリガーが紫苑の目にも入った。紫苑の核となる本体だ。
「あれは……」
「それも含めて、君に説明をしよう」
そうして忍田は紫苑に、ブラックトリガーのこと、そして、ボーダーについてのことを話し始めた。
ボーダーのこと、紫苑の本体……トリガーがマザートリガーに接続されていること、この四年であったこと。様々な話を聴きながら、紫苑は自分が起動されない間に4年が経っていることを不思議に思った。前回起動されてから、意識か一瞬沈み、もう一度登ってきただけのような感覚なのに、目の前の忍田は若さを少し失い、数えられるほどしか居なかなったボーダーは、何百人という数に膨れ上がっているというのだ。
(でも、私は、ブラックトリガーだから)
だから、そういうものなのだ。紫苑は息を吸い込んで、静かに吐いた。
「それで、どうして私を起動したんですか?」
「それは……」
「それは、俺から説明させて貰おうかな」
声は、紫苑から見てちょうど忍田の後ろの方から聞こえてきた。こちらも、聞いたことがある声だ。忍田が振り返れば、自然に紫苑の目にもその姿が映った。
「迅、悠一」
「お、覚えてたね。紫苑ちゃん久しぶり」
笑いながら手をひらひらと振る迅は、驚いたような顔の忍田の横まで並ぶと、何かを囁く。紫苑にはなにも聞こえなかったが、紫苑の怪訝そうな顔を見てか、迅が口を開いた。
「いや、ね。未来の話だよ。……君を起動した理由は、君が居てくれると、より良い未来に行ける可能性が高いからさ」
そのために、こんな変則的な起動になった。そう言って、迅は肩をすくめる。以前起動された時に説明を受けていた迅のSEは、紫苑も知るところだった。驚くと同時に納得も出来る。紫苑が軽く目を開く様子を見ながら、忍田は向き直った。
「理由はこの通りだ。君には、ボーダーに所属し、隊員として働いて欲しい」
忍田は少し屈み、紫苑に向かって手を伸ばした。紫苑は迷わずに頷く。
「分かりました。やりますよ、未来のために」
自分の働きで、未来を良くできるかもしれない。そんな期待が紫苑のなかにふつふつと湧いて、頭をめぐった。絶対に成し遂げる。決意を胸に抱いて、紫苑は忍田の手を取った。
***
紫苑は、次のC級入隊試験が終わるまで、ボーダーの研究員から、手取り足取り、様々な知識を教えられた。人間の常識や、外の世界の知識はしっかりと紫苑のデータベースに存在したが、作られたのが四年前とあっては、色々なものが足りない。現在の内閣から、若者に人気の娯楽、漫画、流行。隊員として溶け込むために色々なものを学びながら、それとは別に、中学校の教科書なども読まなければならなかった。
本当はしっかり中学生として学校に通うのが一番なのだが、流石に存在から機密中の機密である紫苑を外に出すわけにも行かず、また紫苑のスペックが良いのもあって、とりあえずと教科書だけを渡されている。
紫苑は別にこのままでも問題ないと思うのだが、その幼げな見た目からか、上層部の鬼怒田を始めとする開発部の面々としては、どうにかして紫苑に学校の授業を受けさせたいらしい。今度三門中学校の授業映像を録画できないか打診する、という話し合いがなされているのだった。
学びながら、紫苑は自分がまるで人間のように扱われるのが不思議でならなかった。ずっと同じ姿で成長することもなく、どうせずっと子供のふりをすることは出来ないのだから、はじめからブラックトリガーであることを明かしてしまえば良いのに。
実際、紫苑は一度忍田にそう問いかけたのだが、有益な答えは帰ってこなかった。きっと、機密に関わるからだろう。一応はそう納得して、それ以来訊ねていない。
そうやって過ごしているうちに、数ヵ月ごとに行われるというC級試験が目前となった。未来的にも大丈夫、話していても変には感じないと迅からも太鼓判を貰い、後に行うという筆記試験も問題なし。紫苑は晴れて、C級に組み込まれることになった。
C級隊員たちと共に案内された場所は、訓練室のようであった。先頭に立つ男……東が一人一人にトリガーを渡し、中に入った武器について伝えている。
試験で適正を見ているために、一般の隊員は一人一人使えるだろうという武器を配布しているのだそうで、紫苑にとっては馴染みのある開発部の一人が、名前を聞き、帳簿を見て、印をつけるという動作を繰り返していた。最後尾に並んでいた紫苑がその手元を覗き込むと、「有馬紫苑」という記載の横には銃手と書かれていた。
「お嬢ちゃんは……銃手か。銃に指定はないみたいだが」
東の問いに、開発部の男が頷く。
「紫苑ちゃんは事情が特殊ですから。種類については本人の選択に任せると伺っています」
東も既に紫苑については聞き及んでいたようで、それならばと銃手のトリガーをいくつか紫苑の前に並べた。
突撃銃、拳銃、変わり種の散弾銃が入っているというトリガーを、紫苑は代わる代わる見つめる。先にトリガーをもらって換装している訓練生も眺めながら、最後に手に取ったのは突撃銃だった。
「お嬢ちゃんの体には、ちょっと大きくないか?」
「これで良いんです。使いこなして見せます」
開発部員は何か言いたげだったが、紫苑が手を出せば、無言でその上にトリガーを置いた。開発部員に変わって名簿に印をつける東は、打って変わって少し面白そうに口角を上げている。
突撃銃を選んだのは、それを渡されている隊員が一番多かったからだ。トリガーを使用し、何気ない顔でC級隊員の列に戻る。いよいよトリガーを使っての訓練が始まるようで、皆緊張しつつもどこか興奮した面持ちで正隊員を見つめていた。
今回C級隊員と戦うバムスターと呼ばれるトリオン兵は、見かけこそ強大に見えるが、あくまで捕獲用に運用されるものだ。散漫な動きは隙だらけであるし、武器も持っていない。確かに訓練にはもってこいだが、紫苑にとっては時間がかかった時点で負けのような相手だ。一人一人が訓練室の真中へ立たされ戦う様子を、紫苑は温度の無い目で見つめていた。
3分。1分。……時間切れ。1分30秒。すぐに、紫苑の出番が回ってくる。
緊張はなかった。ただ、握った銃が、重く腕にのし掛かる。自分の体躯には少々大きいが使える筈だ。言い聞かせるように頭を振り、紫苑は銃を構えた。
(だって私は、ブラックトリガーだから)
誰よりも早く、倒さなければならないのだ。