希望の種は(お題メーカー)

 ──咲かない花もある。でもそれは、いつかは咲く花だ。上手く正しく根気強く育ててやれば、いつかは絶対に咲くからな。

 そうやって、父に頭を撫でられた事がある。泣きべそをかいていた俺の頭にそっと手を当てて、父は優しげに笑っていた。とても温かな声だった。
 いつのことだっただろう、静かなオルゴールの音を聞きながら、じっと記憶のなかに思考を落とす。ぼんやりと思い出した風景を辿っていけば、双葉の芽やすくすくと延びた茎、青い鉢植えが目に浮かんだ。

(ああ、そうだ、鉢植えのミニトマト)

 小学生2年生の、父との最後の夏の記憶だ。生活の授業の一環で育てていた青い鉢植えのミニトマト。登校する度に毎日水をやって、大切に大切に育てていた。
 しかし早めの台風の影響か、水をやり過ぎたのか、花すら付けずに夏休みになり、そのまま枯れてしまったのだ。
 俺はそれがとても悲しくて、帰ってきたばかりの父になんとかならないか泣きついた。それでも、様々手を尽くしても、枯れたミニトマトは花を咲かせなかった。そんな俺を励ますために、言ってくれた言葉だった。
 いま思えばその言葉は、父の研究にも重なっていたのだろう。考古学はそういうものだ。根気強く粘り強く、証拠を探し、論拠を探し、歴史の真実を追い求める。研究畑の心構えとでも言うべきか、沢山の大切なことを、竹中は父に教わった。

(咲かない花は、いつか咲く花)

 ずっと蕾のままでも、いつかは咲くかもしれない。枯れてしまっても、戻るかもしれない。新しい種があれば、また挑戦することができる。素晴らしい言葉だと思う。でも今は、その言葉が辛い。
 この時間(ばしょ)には、咲かない花と、咲いて、枯れてしまった花しかない。
 咲かない花をいつか咲かせたいと思うように、この時間から脱出する術に希望を持てたとしたら、どれだけ幸せだっただろうか。研究をすれば、根気強く居れば、この時間から逃げ出すことが出来ると、思えていたら。
 でも現実は違う。自分は、この現象がなぜ起こるのかを知っている。過去どのように時間を動かしたかを聞いている。自分がどうして、こうなっているのかを、知っているのだ。
 手元には、育てられる種すらない。

(この世界には、雨も太陽も、何もないよ、父さん……)

 探しても、探しても、今のこの時間が既に完結した事実だけが、のし掛かってくる。無いも同然の希望は、10年以上経っても未だに見つからなかった。最悪の想定は、いつも自分の心に重くのし掛かる。
 明日は永遠に来ない。