断章のグリムパロ 橘家


 それはちょうど、私が14歳になろうとしていた頃のことだった。私はある日病人になった。便宜上花咲き症と呼ばれたその病気は、文字通り身体のあちこちから植物が芽吹き、花を咲かせるというものだった。今までに前例のないそれを、罵られても奇異の目で見られても私に心当たりなんてなくて、それが隠せなくなってすぐに、私は不登校になった。
 それが泡禍であることを知るのは、全てが終わった後だった。

 東京の中心部に大きな屋敷を構える橘家は、家系図を遡れば華族とも関わりがあるようなお家だったらしい。本家があって、分家があって、遺産の相続にひと悶着あるような、私はそんな家族と共に住んでいた。
 橘紫月は数多く居た親戚の一人だった。年の離れた従兄弟で、火事で焼け出されたからと一時うちに身を寄せていた。本当のところは知らないけれど、紫月さんは本業の警察業の傍ら、趣味で植物の研究をしたり医療を学んだりしていて、私を治すために火事を口実に呼び戻されたのだという。
 親戚の集まりで何回か見かけたきりの紫月さんは、私を看て他の様々な医者と同じように「まるで見当がつかない」と言った。でも違ったのは、彼が血を糧にして成長する種を知っていた事だった。残念ながら持っていたものは家と一緒に燃えてしまっていたが、何かの役に経つかもしれないと、作り直してみると尽力してくれた。
 確かに最初はちょっと怖いと思っていたのに、私はその進捗が待ち遠しくて仕方がなくて、何度も何度も紫月さんの部屋に通った。紫月さんは仏頂面で素っ気ない人だったけど、私を邪険にすることはない優しい人だった。

 そうやって暫く過ごして、ついに種が完成した。それが終わりの日だった。

 その日の夕方、種ができたからと、私は紫月さんの部屋に呼び出された。何回も通った紫月さんの部屋、その机の上には真珠のように美しく輝く小さい種がいくつも並べられていて、それに向き合う紫月さんが、薄く隈の残る顔でそれを眺めていた。ほんの少しだけだけれど、笑っていたと思う。私が扉を閉じると紫月さんは振り返って、「来たか」と種のひとつを指差した。
「種は完成した。後はお前の血液を吸わせてみて、反応を見てみたい。血を貰うぞ」
「……分かったわ」
 注射針を刺して、引き抜いて、あんまり痛くなかったななんて思いながら紫月さんの手元を見ていた。そこから先のことを、私はよく覚えていない。
 種に血が落ちたと思った瞬間、視界は真緑に埋め尽くされた。息が詰まって、呼吸ができないと思ったことは覚えている。そうして気を失って。起きたらむせ返るような植物と血の匂いが辺りに充満していた。
 部屋は見る影もなく巨大な蔓と花に覆われていて、元の調度品は一切見ることができないほどだ。辺り一面に蠢く蔦は香菫の倒れていた場所だけを奇妙に避け、頭を垂れるように蔦を床に這わせていた。香菫はかすり傷ひとつ負っていなくて、それがとてつもなく気味が悪かった。

 紫月さんは、胸部を蔦に貫かれて死んでいた。壁に張り付けにされるように縫い止められた体はだらりと垂れ下がって動かない。蔦はその大きくない体躯から搾り取るように流れる血を絡めとり、脈動して、生き物のように動いていた。その生き物のような蔦が、葉が、花が、ひたすらに屋敷の全てを巻き取って、埋め尽くして、食い尽くしていた。
「やめて……やめてよ、なによこれ」
 震える足で屋敷を歩く香菫に、追従するように緑は成長していった。ただ蔦や花だけが鎌首をもたげ、するりと首を伸ばしていく。最初はあちらこちらに見えた人間の体も、少し経つ間に全身を覆われて、一体の化け物のようになって香菫の後ろをついて回った。
「わ、私?私のせいなの?」
 何歩歩いても、走っても、植物はついて回った。広大な屋敷の全てを這い回り、緑が、緑が、緑が、緑が、緑が、緑が、緑が、緑が視界を埋め尽くす。
「私が、治そうなんて思ったから?……いや、いやよ。止まって。止まって!!」

***

「……気が付いたら、私は騎士に保護されていたわ」
 からり、と音を立ててマドラーを回し、香菫は伏せていた視線を上げる。米倉は同情とも憐れみともとれないような、微妙な顔をしていた。ひどい顔だ。騎士としてはどうかと思うが、彼にはとても笑顔が似合う。
「植物で埋め尽くされた屋敷はそのまま警察が入った。……警察だった紫月さんも居たから、きっと大問題になったと思うわ」
「でも、じゃあ君は」
「嫌疑は掛けられなかったわ。あの子の〈食害〉のお陰でね。……まあ、そうやってロッジに来て、今は騎士って訳よ。どう?役に立った?」
「いや……」
「そうよね、人の〈悪夢〉なんかで思い出せるほど、あんたの〈泡禍〉は小さくなさそうだもの」
 香菫は笑う。
「私はまだいいけど、過去の事を思い出したくない人なんていくらでもいるんだから、もう聞くのはやめなさい」
 そう締め括って、香菫は米倉の前を後にした。



 事件は、庭師事件や、サナトリウムでの悪夢という〈泡禍〉の潜有者になるはずであった橘紫月と橘香菫が出会うことで新たに発生した悪夢。二人ともが事件の潜有者であり、また紫月は後に香菫の断章になる〈暴植〉に喰われたため、香菫(+後に米倉)にのみ視認出来る形で断章の一部として出現している。
 正史との違いは、実は「橘紫月の家に火災が発生する」ということだけ。品種改良した種は南玲子や相模原に渡る前に焼失している。
 南玲子は教団の種を横流ししたことがバレて謹慎中のため生け贄にならず、橘紫月が死んで居るため相模原たちは無事に的場を捕えている。生存ルート。
 尚、植物に巻き取られて死んだ橘の遺体の写真は的場の美しい死体コレクションに入っているだろう。
 


断章〈暴植〉
断章詞「私のせいよ。私が治そうとなんて思ったから」/「私のせい(短縮版)」
→香菫の肉を突き破って、内から成長する植物が表れる。香菫が追加で血液を与えると成長する。
 痛みを抑えるため、普段はカッターなどで傷を作りそこから植物を出す。捕縛から戦闘まで補える優秀な断章。

紫月「血を貰うぞ」
香菫「分かったわ」
→紫月の力も使うことで、さらに広範囲に植物を使役することが出来る。しかし相応の苦痛と精神的ショックを受けるため、切り札として普段は使っていない。