野球パロ 小貫の夜
どうにも眠気がやってこなくて、小貫はもう一度寝返りを打った。同室の皆はすっかり夢の中だ。昼はあんなにうるさく鳴いていた蝉もいつのまにか静かになって、部屋の中もしんと静まりかえっている。皆一日中動き回っていたのだから当然だろう。
小貫だって体はとても疲れているはずで、明日のためにも早く眠らなければならない。そうとは思うのだが、じっと固く目をつむっても、一向に眠れる気配がない。じっと瞼を閉ざしては寝返りを打ち、無心になろうと息を吸い、なんとなく寝心地が悪くなってはまた寝返りを打つ。眠ったような眠っていないような、ずっとそんな心地で、なんとも心は休まらなかった。
『それって憧れと何が違うんだ?』
彼女の言葉を思い出す。
浜辺での邂逅は小貫にとても大きな衝撃を与えた。
八百万命。野球の強豪校をけん引する先輩投手で、甲子園優勝校のエース。一度だけ対戦したときは、事も無げに部活の先輩たちを翻弄していた。お世辞にも強豪とは言えないが、こちらも県大会を抜けているというのに、まったく歯が立たなかった。小貫とは比べものにならないくらいだ。
そんなすごい人に何が分かるんだ、と少し思いつつも、小貫は彼女の言葉が、ずっと魚の小骨のように引っかかってしまっているのだ。
『火呑に憧れているだけじゃないのか?』
この言葉を聞いたとき、小貫は確かに、と思った。小貫は、火呑にも、八百万にも、憧れている。
八百万に負けたことに悔しさはある。寂しさも。でもそれ以上に、小貫は憧れた。正確に腕を振るそのコントロール、小貫が降板した後も投げ続けられるスタミナ。なにより......捕手と並んで、戦っているその姿に。
いつか自分もそうなりたいと思った。今よりずっと力をつけて、もっと沢山投げられるようになって、そうして、火呑の隣へ並べたら。
それが憧れなら、小貫は確かに火呑にも憧れているに違いない。
火呑さんは、すごい人だ。小貫は良くそう思う。自分たちの高校が甲子園に行けたのだって、火呑さんが居たからと言っても誇張じゃない。八百万さんにも認められている、二年生の捕手。高校のエース。いつか、小貫が並び立ちたい人。弱いとか、脆いなんて、思ったこともない。
(火呑さんは、すごい人だ)
目蓋を薄く開ける。八百万には、なにが見えていたのだろう。何度も考えて、何回もこの問いに戻ってきた。
憧れていては見えないもの。近くにいては見えないもの。......分からない。火呑といえば、いつもチームメイトに囲まれて、監督にも信頼されていて、後輩に慕われていて。
(他には......)
他、他に、なにかあるだろうか。よく食べるのは知っている。燃費が悪いと言っていた。でも、好きな食べ物は知らない。彼は、あまり自分のことを語らないから。
(あれ?)
そうやって考えてみると、小貫は火呑のことを、全く知らない。小学生がプロフィールに書くような簡単なことさえ、小貫は思い出せなかった。 血液型は?誕生日は、星座は?自分の課題について何か言っていなかっただろうか。得意教科は、苦手教科は?受験はするつもりなのだろうか。小貫は何も知らない。
今だって、振り返ればそこに寝ている。甲子園から、小貫は立場上誰よりも近い場所に立っていたのに、火呑がとんでもなく遠い存在に思えた。
小貫はその背を追ってきた。いつだって横に居てくれたのに、何も知らないままにいつか並び立ちたいとずっと追いかけて、憧れた。
ある意味、小貫は、本当に火呑に寄り添っていなかったろうなと思う。隣に居るのにずっと遠くを見てきた。火呑を目指すんじゃない。火呑は一緒に進もうとしてくれていた。小貫がその気持を受け取れていなかっただけだ。
横に立つ努力を、一歩目から間違えていた。
(知りたい)
プロフィールが埋められなくてもいい。小貫のピッチングに、何か思うところはあるのだろうか。何を求めたいのか。今はそれだけが無性に気になって仕方がなかった。
明日、聞こう。幸いにして、小貫は聞ける場所にいる。