Look at me!
ああ、何てつまらないのだろう。
誰に言うでもないこの言葉を、心の中で幾度も繰り返した。とりあえず、自分でもうんざりするぐらいには。
別に、暇を持て余しているのではない。
不満の原因は、たった一つだ。
それは、此方を見ない二つの瞳。
何時もならば執拗だと思う程に注がれる視線が、今日はどういう訳か違う方向に釘付けになっている。
必要最低限の音しかしない部屋はとても静かで、臆病な孤独を浮き彫りにした。
一体何がそんなに面白いのか。
昼食用に買って来たハンバーガーに齧り付きながら、ディーンは読書に没頭するカスティエルを眺める。
高々と積まれた本の数々が、差し向かいで座る天使の前を占領していた。
タイトルに見覚えのあるミステリー小説や、ティーンが胸を焦がす恋愛小説。それらの間に紛れて、埃臭い古文書や鈍器レベルに達している辞典まである。
(まさかと思うが、あれ全部読み終わるまで動かないつもりじゃないだろうな。折角の休日なんだぞ。冗談じゃねぇ)
勉強熱心なのは彼の長所だが、流石にのめり込み過ぎだろう。苛立ちでガクンと味の落ちたハンバーガーを飲み込み、ディーンはカスティエルの持つ本を睨み付けた。
眉間には深い皺を刻み、態と音が出るように行儀悪くストローを吸い上げる。
もし口煩いサムが居たなら、間違いなく注意されていただろう。
(ったく、見向きもしねぇ。サムといいキャスといい、本の虫ってのは厄介だな)
怒気に揺れる翡翠の瞳が、語っている。
ーー誰の許可を得て、カスティエルを独占しているんだと。
現在進行形で放置された不満が、ディーンの幼稚な嫉妬心に火を点けてしまった。
山積みになった本を薙ぎ倒し、カスティエルの持つ本を床に叩き付けたいくらいには、怒りのゲージも上がっている。
「なぁキャス、面白いか?」
「ああ、とても興味深い内容だ」
話しかければ返って来る返事も、何処と無く素っ気ない。丁寧にページを捲る指が、焦がれるように活字を追いかける目が、ディーンの機嫌に油を注いだ。
「お楽しみの所悪いけど、この本は没収させてもらう」
言葉を言い終わるよりも先に、カスティエルの視界を占領する本を取り上げる。強硬手段に出てまで求めた視線は、清清しいくらいに澄んだ青い色をしていた。
「……ディーン、どうしたんだ?」
「いいから、一緒に食え。本の虫はサム一人で充分だ。ほら、キャス」
奪った本をテーブルの端に置き、紙袋の中で出番を待っていたハンバーガーを掴み出す。キレのある右ストレートを眼前に突き出したが、カスティエルは瞬き一つしなかった。
なのに奪われた本は気になるのか、視線はディーンと本を行ったり来たりしている。
「一応キャスの分も買って来た。お前のブラックホールじゃ、腹の足しにもならないだろうけどな」
「そうだったのか。それなら少しだけ待ってくれ。もう読み終わる所だったんだ。その後で一緒にーー」
「キャス!!」
遂に、我慢が限界に達した。
ハンバーガーを握っていない方の手でテーブルを叩き、カスティエルの名前を呼んでそれ以上の発言を拒否する。
豪雷のような一喝を落とされた天使は、優柔不断な視線をディーンへと固定した。乏しい変化ではあるが、眉を寄せた表情は困惑しているように見えなくもない。
「ディーン、何故そんな顔を? 私が原因なのか?」
カスティエルが鈍いのは百も承知だ。
人間の心の機微を理解しろと言うのが、無理な相談なのも解っている。
「今日は休日だからな。お前の過ごし方にケチつける気は無かったが、そんなに本が大事か? 折角の二人っきりなんだぞ」
だから、これはディーンのワガママだ。ヒステリックに、自分本意の考え。恋人にしたら面倒なタイプだと、冷静な自分が自分を非難する。
それでも、止められなかった。
「一緒に居れるって、浮かれてるのは俺だけか?」
回りくどい言い方で届かないのなら、素直になるしかない。握り潰しかけたハンバーガーを奪った本の上に置き、カスティエルにスライドして返す。
「それ読んでからでいいから、少しは俺にも構え」
「ディーン、君は寂しかったのか?」
右手を包む柔らかな体温と、確認するように覗き込んでくる優しい目に、胸がぎゅっと締め付けられる。
カスティエルは大事な所では鈍いのに、隠したい感情を暴くのは巧い。
認めたくないが、その通りだ。
例え喧嘩や理由があったとしても、恋人に放置されて寂しくない訳がない。
「あー……その、少しだけな」
時間差で追いかけてきた恥ずかしさに、ディーンは左手で目元を覆って答える。
口元付近に熱を帯びた空気が当り、仄かに湿った物が唇に重ねられたのは、視界を閉ざして僅か数秒後の事だった。
胸に巣食った黒い靄が晴れていく。
カスティエルの顔が見たい。
どんな顔でキスをしたのか。
どんな思いで触れているのか。
稚拙な口付けは温かいのに切ない。
離れていく熱を惜しんで、追いかけるように瞳を開けた。
「寂しい思いをさせてすまなかった。気付くのが遅くなったのも謝罪する。今からでも、一緒に食事をしよう」
呼吸と一緒に再び唇を掠め取られてしまい、出鼻を挫かれたディーンは瞬きを繰り返す。眉を寄せた顰めっ面を想像していたが、何故かカスティエルは笑顔だった。
人畜無害な皮を被っておきながら、何て狡い詐欺師だろう。
「…………何で笑ってんだよ?」
主導権を握られてしまったディーンは、腹いせにカスティエルを睨み付ける。しかし翡翠の瞳は穏やかで、怒っている振りをしているのは明らかだった。
「すまない、怒らないでくれ。君が素直になってくれたのが嬉しくて。それに、しおらしい君はとても可愛い」
先程までの執着は何処へ行ったのか。
指を鳴らして全ての本を消したカスティエルは、恭しく握った手の甲に口付けを落とした。
素面なのによくこんな気障な真似が出来ると、ある意味感心してしまう。
「キャス、俺は怒ってる」
「困ったな。どうしたら許してくれる?」
「何だ、許して欲しいのか?」
「勿論だ。怒った顔も美しいが、今は笑った顔が見たい。許してくれるか?」
頬杖をついて怒った振りを続け、カスティエルのネクタイを軽く引っ張る。今度はディーンの方からキスを仕掛け、握られた手をしっかりと握り返した。
「っん……そんな簡単に許すと思うか?」
キスを態と短めに終わらせ、焦らす。
恋には駆け引きも有効だ。余裕を見せて笑うディーンの唇を、カスティエルの指が物足りないと言いたげに撫でる。
「許すかどうかは、キャス次第だ」
官能を引き出す指運びに、唇がジクジクと疼いて熱い。抜け目なく忍び込んできた指先は、甘噛みをして迎撃した。
引いた指と唇を繋ぐ、透明な細い糸。
カスティエルの瞳が、欲情に揺れる。
向けられた妖艶な視線に肌が粟立ち、無意識にディーンは喉を鳴らしていた。
「……今の私には、この方法しか思い付かない。私なりの謝罪でもいいだろうか?」
重力の概念を無視したカスティエルに抱き上げられ、柔らかいとは言い難いベッドに二人で雪崩れ込む。
待ちに待った有意義な時間に、ディーンの頭は期待と興奮で埋め尽くされた。
カスティエルが熱心に読んでいた本が、恋愛の駆け引き指南書であると知る事はない。
END
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