黄昏の放課後
柔らかな西日が心地よい放課後。
少し霞んだ夕陽の差し込む図書室で、一人の少年が読書に勤しんでいた。黙々と本だけに意識を向けている姿は、真面目な印象と読書家という言葉を思い起こさせる。
図書室の常連である男子生徒の名前は、カスティエル。変り者と称される彼は、喧騒から離れたこの空間を気に入っていた。
本は実に素晴らしい。
無駄な物が何一つなく、常に新しい発見や知識を分け与えてくれる。
他人と深く関わるのを拒絶し、一人の時間を好むカスティエルにとって、活字の世界だけが唯一の楽しみだった。
それは、この先も変わらない。
少なくとも、学校を卒業するまでは確実な時間だろう。
(次は……そうだな。この本にしよう)
二冊の本を選んで座った時は、約束された日が続くのだと思っていた。
勢いよく開いた扉の向こうから、無視する事の出来ない声を聞くまでは。
「お、やっと見つけた。お前こんな所にいたんだな。随分と探したぞ」
親しげに声をかけてきた少年に、カスティエルは思わず絶句した。短いダークブラウンの髪に、表立って騒がれる整った顔。
朗らかな笑顔で近付いて来るディーン・ウィンチェスターとは対照的に、カスティエルは眉を寄せて訪問者を見る。
何故彼が此処に来るのだろう。
カスティエルは返事をするべきか考えたが、広げる話題も必要性もないと判断した。
気にせず本へと意識を集中させるが、相手もお構い無しに近寄って来る。
「授業が終わっても本なんか読むのか? キャスは真面目だな。あ、それともセクシーな女の子が出てくる本とか?」
親しげな笑顔で本を覗いたディーンは、瞬時に興味を失ったようだ。その手の本が図書室に置いてある可能性は、極めて低いと解る筈なのに。
それに先程「探した」と言っていた。
確かに二人は同じクラスではあるが、挨拶をする程度の仲でしかない。
親しくもない人間を態々探すのは、録でもない理由だと相場が決まっている。
構わなければ、直ぐに帰るだろう。
ディーンに傾いている意識を取り戻し、カスティエルは今度こそ本に集中する。
「なぁ、一緒に帰ろうぜ」
──本当に理解に苦しむ。
仕方なくディーンを真っ直ぐに見つめたカスティエルは、敢えて笑顔を曇らせるように冷たく言い放った。
「すまないが、この本を読んでから帰るつもりだ。君の誘いには乗れない」
心証を悪くするのが目的ではないが、これで大人しく引いてくれるだろう。
カスティエルが無機質な目で告げると、小さく笑ったディーンが肩を竦める。
「そっか。じゃ、また明日な」
特に残念がる様子もなく、手を振って入り口へと消えていった。その姿を見送り、カスティエルはゆっくりと息を吐き出す。
耳に残った『キャス』という愛称は、彼が発案した呼び方だ。承諾した覚えはなく、無許可で呼ばれている。
(ディーン・ウィンチェスター……。彼はどうも苦手だ。ペースを乱されてしまう)
人を寄せ付けない冷めた瞳は、忠実に活字をなぞっていた。しかし思考は傾き、何故かディーンに着目している。
彼はどう思ったのだろう。
笑ってはいたが、怒った可能性もある。
又は皆が口にするように、つまらない人間だと解釈したかもしれない。
(……何にせよ、私には関係ない。私と彼では住む世界が違う)
カスティエルは今度こそ一人の時間を満喫するべく、散ってしまった集中力を掻き集めた。
* * *
柔らかな西日が心地よい放課後。
図書室で読書をするのが日課のカスティエルに、もう一つの日課が追加された。
まるでタイミングを計ったように、本を持って席に座った頃に訪れる。
「キャース。一緒に帰ろうぜ」
埃っぽさが否めない図書室に、飛び抜けて明るい声が響いた。入り口に移した視線の先には、ディーンが笑っている。
あの日から、今日で一月。
どんなに冷たくあしらっても、ディーンは足繁く図書室に通うようになっていた。それだけでなく、今はカスティエルの姿を見ると、特上の笑顔を振り撒いてくれる。
面倒だと嘆いたのは始めの一週間だけで、今では図書室のドアを注視するようになっていた。
だからと言って、急速に仲が良くなった訳ではない。言うならば『挨拶しかしないクラスメイト』から『顔を合わせれば話をするクラスメイト』にランクアップしたくらいだ。
カスティエルに向かって歩を進める足に迷いはなく、読もうと思っていた本を閉じて視線を合わせる。
「……やぁ、ディーン。今日も来たのか」
「おう。今日も読書か? 毎日本ばっかり読んで飽きねえの?」
「私も同じ質問を君にしたい。何故私に構うんだ? 目的があるのか?」
「あるぞ。一緒に帰るっていう、立派な目的がな」
得意顔で告げられた言葉は、カスティエルが頭を抱える内容だった。
正面に腰を下ろしたディーンから爛々とした眼差しを向けられるが、馴染みがなくどうにも居心地が悪い。
期待されるのは嫌いだった。
勝手に膨らませた人物像を押し付け、少しでも想像と違ったら幻滅する。
そして皆、カスティエルに不名誉なレッテルを貼って離れていく。
俗骨な人間の考えだ。
そう割り切ったつもりでいるが、幾度と味わった苦味は消えずに残っている。
「すまない、今日も一緒には帰れない」
距離を縮める行為に二の足を踏むカスティエルは、翡翠の瞳を見つめて断りを入れた。この一月でディーンの人となりを見てきたが、彼は好感を持てる。
それだけに、今の距離が一番いい。
「そっか。じゃあ……」
本来なら、これで終わりだった。
また明日と、笑って帰るディーンの姿を見送る。そこまでが日課だったのだが。
「今日は読み終わるまで待つ」
この返答は予測していない。
徐にバッグからスナック菓子を取り出したディーンは、呆気に取られるカスティエルを置き去りに、我が家のように寛ぎ始める。
図書室は飲食をする場所ではないと、在り来たりな注意さえ忘れてしまった。
「……何時になるか解らない。時間を無駄にするだけだ。先に帰った方がいい」
「待つさ、何時間でもな。あ、キャスもチョコバー食うか? 一本やるよ」
純朴な笑顔なのに、有無を言わせない。
差し出されたチョコバーを無意識に受け取ってしまったカスティエルは、これは口止め料か賄賂なのかと勘繰る。
「色んなチョコバー食ったけど、俺的にはそのメーカーのが一番旨い。オススメだから食ってみろよ」
「いや、そういう事ではなく……」
菓子など、いつ以来だろう。
食べ物に求める価値は栄養成分だけのカスティエルにとって、自分で買うのも誰かに貰うのも随分と久し振りだった。
「……何が君をそうさせるんだ? 私は君の興味を引くような人間ではないだろう」
「逆だぜ、キャス。お前ほど興味を引く奴はいないさ。あ、迷惑だったか?」
少しだけ不安そうに首を傾げたディーンに、思わず言葉を詰まらせる。
それは、図星だったからではない。
その逆だったからだ。
「理解に苦しむ。だが、私に君を止める権利はない。好きにするといい」
感情が矛盾している。
自分から距離を置いているのに、興味を持たれて喜んでいるなど。
「おう。邪魔しないから安心しろ」
諦め半分で溢した声にも関わらず、ディーンは嬉しそうな表情を浮かべた。
蕩けるような、甘い微笑み。
同性であろうと、息を呑む可憐さを放っている。女生徒が持て囃すのも道理だと、喧しい程に騒ぐ心臓が証明していた。
(……困った。内容が頭に入ってこない)
どうするべきか。
さっきの笑顔が網膜と頭から離れない。
活字を追いかける目は結果的に何も映さず、カスティエルはいつもより一時間早く切り上げる事となった。
* * *
柔らかな西日が心地よい放課後。
背中を押す風は帰路を急かすように、目に映る夕陽は今日を惜しむように。
夕方独特の感傷的な空気に影響され、カスティエルは歩を緩めた。
変わる訳がない、と。
疑いもしなかった日常は、カスティエルが想像していたよりも簡単に瓦解した。
新たな日課を優先するようになり、唯一の楽しみだと豪語していた図書室通いは疎遠になっている。
本を素晴らしいと思う気持ちは、今も変わらず強い。ただそれよりも、有意義な時間の過ごし方を知ってしまった。
青色の瞳が眩しそうに見つめるのは、少し前を歩くディーンの後ろ姿。狭い世界で満足していたカスティエルを強引に連れ出し、価値観を変えた人物だ。
「どうかしたか、キャス?」
歩幅のズレに気付いて振り返ったディーンが、一緒に歩くのが当然だと立ち止まって待っている。
あれだけ煩わしかった他人との接触は、僅か数ヶ月で覆された。
それも、たった一人の手によって。
「いや、再認識しただけだ。ディーンと帰る時間が、私は何より好きなのだと」
だから、毎日態と時間をかけて帰る。
掛け替えのない時間を、一分一秒でも長く延ばす為に。カスティエルが思ったままを伝えると、ディーンは笑いながら肩を竦めた。
「好きなのは、それだけか?」
否定は、首を横に振って示す。
ディーンと深く関わるようになって、世界の広さに驚愕したのは良い思い出だ。
興味を抱く対象も格段に増え、毎日が充実している。
「一番好きなのは、君だ。ディーン」
後にも先にも、特別なのは彼だけ。
カスティエルの言葉に少しだけ色付いた頬が可愛く、手を伸ばして触れてみる。
拒絶はない。擽ったいと笑う唇が、真っ直ぐに見つめてくる大きな瞳が。
とても愛しいのだ。
「お前って、本当に恥ずかしい奴だな」
「事実だから仕方ない。君も、私を好いてくれているだろう?」
二人は気付いている。
この感情が、友情ではないと。
笑うだけで明確な答えを返さないディーンに、カスティエルも今はそれでいいと満足していた。
言葉でなくとも、態度で解る。
カスティエルの緩い歩みを嫌がる事もなく、同じペースを保つ行動の意味を。
二人は知っていた。
END
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