邂逅
今日はとことんついてなかった。
朝起きてスマホを確認したら家を出る10分前で、そのスマホは充電コードが抜けていたのか私に時間を告げたあと事切れてしまった。急いで用意して家を飛び出したら、階段から盛大に転げ落ちて膝を擦りむいて血だらけに。電車に間に合ったと思ったら、痴漢に遭遇。その後も小さな不幸に見舞われ続けて残業を終えたら空からは雨がザーザーと降ってきていた。
「私が何をしたっていうの…」
今は、近くのコンビニまで走って傘を購入して帰宅しているところだ。流石に傘は売り切れてなかったのが今日の唯一のいい事だった。電車の電子公告で見た私の運勢は最高だったはずなのに。
幸いにも今日は金曜日で明日から休日のため、夕食は贅沢に好物でも作ることにしよう。冷蔵庫に頂きものの少し高いお肉が入ってたはず。シンプルに塩コショウで焼いて、キンキンに冷えたビールを頂こうかな。
そこまで考えてやっとテンションを持ち直すことが出来た私は、足取りも軽く家路を歩いた。おにく、ビール、おにく、ビール。と心の中で歌いながら歩いていたのが悪かったのか、何か柔らかいものに足を引っかけてしまい「ぎゃあ!」と女らしからぬ声をあげて本日二度目の転倒を果たした。
せっかく走ってコンビニまで向かい最低限濡れないように配慮して傘まで購入したというのに、今の転倒によって全身びしょぬれになってしまった。朝から続くあまりの不運の連続に涙が滲んだが、なんとかグッとこらえて先ほどつまづいた原因を探る為に立ち上がって後ろを振り返った。私をこんなにした責任をとってもらおうか!
「え・・・人・・・?」
「いたい・・・」
「ああああごめんなさい!大丈夫ですか!?」
なんと、私が躓いたのは人間だった。責任を取ってもらおうと思ってはいたが、物ならば追加で蹴り飛ばそうと思ってはいたが、まさか人間だなんて。これでは蹴とばせないではないか。いや、一回はすでに蹴とばしてしまっているのだが。
人気の少ない住宅街とはいえ、道端で寝ていたこの人にも問題があるが、浮かれていた私が蹴とばしてしまったのも事実。怪我などしていないか確認する為にも、先ほどからピクリとも動かない、もはや濡れてないところを探すのが難しいくらい濡れている真っ黒な背中を揺らした。
「あの、大丈夫ですか?」
「・・・・・・」
「え、まさか死んで」
「ません。」
「よかったー。蹴ってしまってすみません。どこか痛み・・・ひええ・・・」
その言葉の続きは言えなかった。口をふさがれた訳ではない、暗くて雨も降っている為よく見ないと気が付かなかったが、謎の人間は血だまりの上に伏せていた。雨に混じって広がっている為どれだけ出血しているのか判断できないが、普通の擦り傷レベルをはるかに超えているだろうことは一般人の私にも理解できた。
どうしよう、こういう時ってどうしたらいいんだ?あ、そうだ、救急車。えっとスマホ・・・って充電ないんだったー!私のあほ!
朝から眠り続けているスマホを握りしめてどうしようかとあわあわ焦っていると、私の手首を褐色の手がガシっとつかんできて、「ひええ」とまたもや間抜けな声をあげてしまった。相変わらず顔が見えないので非常に怖い。ゾンビか。
「なにも、呼ばないでください・・・あと少しで、・・・友人が迎えに来てくれるので・・・。」
「ゆ、友人って。こんなに血が出て、雨も降ってて冷えちゃいます。」
「見た目ほどたいしたこと、ありませんので、放っておいてください・・・」
「ええええ」
焦って支離滅裂な私の言葉を流して放っておけというこの人は、ゆっくりとした動作で起き上がり、先ほどよりも道の端に寄った後、壁にもたれて座り込んでしまった。苦しそうに眉を寄せ、右手を左腕に添えて目を閉じた男性は、ひどくきれいな顔をしていて、思わず見惚れてしまう。綺麗に染まった金髪は薄暗い住宅街でも一際輝いていて、苦悶の表情が整った顔をより引き立たせて妙な色気を感じてしまうほどだ。20代前半に見える男は金髪でイケメンだしホストか何かをしているのだろうか。ひどい怪我をしているのに誰も呼んでほしくないなんて、まさか、ヤのつく人達に・・・!
ここまで妄想してから我に返った私は、カバンの中に入っている簡易救急セットの存在を思い出した。今朝ずる剥けになった膝をセルフ手当てするために購入した残りだ。コンビニで買った大きめのビニール傘に私とイケメンが入るように距離を縮める。その気配を感じ取ったのか、イケメンはうっすらと瞼を開いた。
「すみません。このまま放っておけないので応急処置だけさせてもらいますね。」
「放っておけと言っただろう・・・」
「・・・いやです。私が応急処置をした後ではがしてもらってもいいですから。」
そう言って、無理やり怪我をしているであろう左腕の服をまくり上げる。程よく筋肉のついた素晴らしい二の腕に、ぱっくりと刃物で切られたような傷があった。一瞬ひるむも、ここで引き下がっては女が廃る!勢いに任せて消毒液をぶちまける。痛がるだろうと思ったが、当の本人は私をじっとりと睨んだまま痛がるそぶりもみせない。こいつ・・・強い・・・!治療を拒否する言葉を言っていたので抵抗されると思っていたが、意外と大人しくしていてくれるので引き続き作業を続けていく。
やはり、ヤのつく人のカチコミに巻き込まれたのだろうか・・・。「お前イケメンすぎだろ!俺の女を骨抜きにしやがって!」「俺はなんもしてねぇよ。お前の女が俺に勝手にメロメロになっただけだ。顔をいじって出直してきな。」「こんちくしょうがあああ!」みたいな感じかな。平凡な顔に生まれた私には一生縁のなさそうなセリフだ、とまた妄想を繰り広げながらも手は止めずに処置を続けた。
「得体の知れない男を何故助けるんですか。」
「えっ。な、なぜって・・・」
「怪我をしてるといっても相手は男です。人通りの少ない住宅街でこんなに接近しては襲ってくださいと言っているようなものですよ。」
金髪イケメンは心底不思議そうな顔でそう問いかけてきた。余分な消毒液を拭い、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。結局この人は私が手当をしてる間ピクリとも動くことは無かった。こんなに痛そうなのに我慢強い人なんだなぁ。私にはとてもできない。
「目の前で怪我をしてる人がいたら助けます。たとえそれが自己満足でも。」
「偽善ですね。」
「はい。偽善です。自分の為にやってます。」
「・・・は?」
「でも人助けってそういうものでしょう?助けたいから助ける。相手の都合なんて関係ありません。私は目の前で苦しそうにしてる人がいたら助けます。たとえそれがどんなに怪しい人でも。」
それっきり褐色イケメンは言葉を発さなかった為、傘に雨が当たる音だけがいやに響いた。包帯を巻き終えるともう用はない。このあとこの人が包帯を引きちぎろうが燃やそうが自由だ。傘を肩に乗せながらにしてはなかなかの出来に満足して私は立ち上がった。
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼しますね。お大事に。」
「・・・お礼を言うのは僕の方では」
「無理矢理治療させてもらったので!私の家すぐそこなので、この傘使ってください」
すぐに友人が来ると言ってはいたが、嘘か本当かわからないし、既にびしょ濡れだった私よりも怪我人の方が濡れるべきではない。どうせ断られるだろうし、私は返事を聞かずにそそくさとその場を後にした。
今日どんなに嫌なことがあったとしても、超ド級のイケメンに合法的に触れて、家に帰ったらいいお肉とビールが私を待っている。そう思うと、案外運勢占いは合ってたのかもしれない。足取りも軽く小走りで家に向かう私は、もう夕食の事しか考えていなかった。
*
不幸に見舞われ続けた事件の日から何日かが経過し、R指定待ったなしの私の膝にやっとかさぶたができだした頃。いつものように残業を終わらせ帰路についている時、ふと、あのイケメンのことを思い出した。そういえばあの日もこんな時間だったなぁ。血がかなり流れていたが大丈夫だったのだろうか。友人は本当に迎えに来たのだろうか。
しかし、考えたところでもう一生会うことはないので想像することしか出来ない。想像の中でなら元気でいてもらいたいと、脳内のイケメンにはボディービルダーのポーズをとってもらった。超元気そうでよかった。
「こんばんは」
落ち着いて聞いてくれ。今、脳内で作り上げていた人が目の前に現れていたんだ。いや、ボディービルダーのポーズはとっていなかったがな。高級そうなスポーツカーにもたれかかってたよ、奴は。何を言ってるかわからないかとは思うが、私もわからん。
「こ、こんばんは?」
「借りていたものをお返しに来ました。」
「あれ、なにか貸してましたっけ?」
「ええ。傘を」
あの時無理矢理置いてったやつか。しかし、傘を返しに来たと言う割には何も持っていないので車の中に入っているのだろうか?
「それはご丁寧にどうも、ってまた怪我してます!?」
「あぁ、こんなのかすり傷です」
「かすり傷なめたらえらいこっちゃですよ。絆創膏だけでも貼っときましょう」
綺麗な顔に擦り傷はかなり目立つ。絆創膏はより目立つことになるだろうが、跡が残ると人類にとって大きな損失となるだろう。いやほんとに。イケメンは人類の宝です。
カバンをゴソゴソと漁り、ポーチから絆創膏を取り出す。前みたいに嫌がられないかなぁと少し怯えながら距離を縮めると、意外にも私が貼りやすいように屈んでくれた。目を閉じて大人しくしている童顔イケメンは目に毒なほど顔がよかった。
「えっ、あの、」
「ほら、早く貼ってください」
「は、はい」
ぺたり、と傷を覆うように貼り付ける。ゆっくりと開かれた瞳は日本人離れした綺麗な青灰色で、吸い込まれるようにじいっと見つめてしまった。あ、飲み込まれる。思わずぱかりと口を開いたとき、その瞳が愉快そうに弓なりになった。その瞬間、ハッと我に返って後ずさる。
さっきまで従順な犬のようだったのに、今は姑息な狐のようだ。
「も、もう終わったので!」
「ありがとうございます。言いそびれましたが、この間も」
「いえ、大事ないようでよかったです」
「なにかお礼をさせていただきたいのですが・・・」
「そ、そんな、私が勝手にやってることなので結構です」
「・・・では、いつかまとめてお返ししますね」
そう言うと、別れの挨拶を告げてからもたれかかっていた車に乗り込んで颯爽と去っていってしまった。あまりにもスマート過ぎて私は別れの挨拶すらできなかった。名前も住所も知らないのにいつかまとめてって無理じゃね?
ていうか、
「傘返しに来たんじゃなかったの・・・」
本当によくわからない人だ。
*
それからというもの、定期的にイケメンに出会うようになった。未だに名前も年齢も何もかも知らないが、私が残業を終えて帰路についていると、たまにあの薄暗い住宅街にいる。そしていつもどこかしら怪我をしているのだ。ただのかすり傷の時もあれば、包帯が必要なほどの怪我をしている時もある。その度に私は彼を手当する。手当の間だけなんでもない話をして、終われば満足そうに去っていく。そして傘は未だに返してもらっていない。
少しずつ懐いてくる野生の動物みたいだなあと何度となく思った。いつ会うかわからないため、最近では常に救急セットを持ち歩いている。おかげであだ名は"歩く救急車"となった。
残業をする度に「今日はいるかな?」と少しワクワクしながら早歩きしてしまうほどには、名も知らぬあの人と会えることを楽しみにしている。たとえいつも怪我をしていようが、少し影があるような笑い方をしようが、なぜ私に何度も会いに来るのかわからなかろうが。
何一つ自分のことを教えてくれなくても、落ち着いた声で私に話しかける優しいまなざしだったり、手当した後の少しはにかんだ顔だったり、話し上手なところだったり。
もうすっかり惹かれてしまっている自分を見ないふりして、きっと次に会った時も私は何も聞かずに怪我の手当てをするのだろう。聞いてしまったらきっと、もう二度と会いに来てくれない。
はああ、と大きなため息を吐いて歩みを進める。
「悩み事ですか?」
「あ・・・」
「お久しぶりですね」
人好きのしそうな笑顔を浮かべてその人は立っていた。しかし、何かがおかしくて違和感に首をかしげる。
「今日、怪我してませんよね・・・?」
「・・・よくわかりましたね」
「いや、なんとなくですけど・・・。あれ、車で来なかったんですか」
「ええ。あなたと食事に行きたくて」
「・・・はい?」
今この人なんて言った?
「夕食はまだですよね?」
「ま、まだですけど、」
「それはよかった。いい店があるんです、行きましょうか」
「いやいやちょっと待ってください」
「ダイエット中ですか?」
「なんでそうなる。名前も知らない人と食事に行くなって母が・・・」
我ながら滅茶苦茶な言い訳だが、私も困惑しているのだ。仕方がない。さっきまでしんみり悩んでたというのになんで急にこんなに踏み込んでくるんだこの人は。
ふむ、と顎に手を添えて逡巡したかと思えば、普通に名乗られてしまった。
「それもそうですね。降谷零といいます。29歳、人には言えない仕事をしています。」
「ツッコミどころが多い」
「もっと知りたかったら、食事の場でお教えしますよ」
そういいながらこちらに手を差し出してくる。どう見ても怪しいし、本当に食事に行くのかも疑問だ。しかし、私にこの手を取らない選択肢など存在していなかった。もっと知りたいと思ってしまったから。
困惑で握りしめていた自分の右手を開いて、一回りは大きな褐色の手のひらに重ねる。降谷さんは、満足そうににっこりと笑って、
「では、行きましょうか名前さん。」
と、当たり前のように私の名前を呼んだのだった。