極彩色の消失

「やはりお前は出来損ないだな」

その日はたまたま二日目で、人よりもそれが重いらしい私は自室で蹲っていた。個性で体を温めても何ら意味を為さずに、ただお腹を抱えて眠るしかなかった。個性故に少し寒さに耐性があっても、個性故に民間療法が効きづらかった。
波のある痛みに呻いていると襖が突然開けられ、何か話しながら父が入ってきた。正直痛みでそれどころではなかったが、どうやら鍛錬の時間に焦凍と戦え、と言っていたらしかった。らしかった、というのは内容など頭には入っておらず、道場に引き摺られていって流れを理解したのだ。体調の悪さなど考慮してくれないようだった。父の事だ。女特有の不調など、理解するつもりもないだろう。
何度も言うようだが、本当にその日は体調が悪かった。傍目から見ても分かる程には。あまりの私の様子に焦凍も反対していたが、父は聞く耳を持たなかった。
図体だけでなく態度も声も大きい父は決闘を急かした。頭も大きかった。そんな体調で十分に戦える訳もなく──焦凍も早く終わらせた方が良いと判断したのだろう──すぐに決着がついた。当たり前だ、既にふらふらの体だったのだから。
床に倒れて動く様子のない私を見て、父が放ったのが冒頭の台詞だった。もう腹も立たなかった、そんな気力もなかったし。体調管理がどうの、やはり焦凍がどうの、とその後もご高説を垂れていた。管理できるようなものなら、こんなことにはなっていないのだ。こんな馬鹿みたいな理不尽で、私の努力は台無しにされるのか。こんなにも、簡単に。

ここで、私の今までの経歴を話そうと思う。
先程の話に頻繁に出てきていた悪漢──父と個性婚させられた母との間に焦凍と共に産まれた。母はほとんど買収された形で父と結婚させられた。父が求めていたのは半冷半燃の完全な子どもだった。それが焦凍だった。父は焦凍ばかり気にかけ、私のことなど見てすらいなかったように思う。そんな私たちを母は必死に愛し、守ってくれた。
けれどそんな劣悪な環境にいる内、母は徐々に精神を病んでいった。それを子どもの私たちに察しろと言うのは難しい話で、母はついに壊れてしまった。その時のことは、忘れることができないだろう。勢いだったのだと思う、母はやかんで煮立てていた熱湯を私たちにぶちまけた。この時の火傷は未だ体に残っているし、消えることもない。焦凍は顔の右半分を、私は首から左肩にかけて火傷した。この事がとどめとなって、母は病院に入院してしまった。優しかった母は、いなくなってしまった。
それからは父の土壇場だった。兄や姉の言うことなど耳に入れるはずもない父は、焦凍を鍛え上げた。焦凍を一人にしたくなくて、焦凍と一緒にいられるように私は必死に努力した。燃焼の個性がない私にできることは、氷結の個性を極めることだけだった。
ある日、父に私も焦凍と共に鍛えるように言った。焦凍と戦って私が勝ったら、一緒にして、と。その時は私が勝った。これで焦凍を一人にせずに済むと、心から嬉しかったのを覚えている。その日から鍛錬の時も焦凍と共にいられるようになった。
けれど、私が勝ってしまったのは父にとって非常に面白くない話で、焦凍の鍛錬が一層厳しくなってしまった。それでも焦凍は私を責めなかった。
それから何度も父は私と焦凍に競わせた。今回のような決闘もたまにさせられて、私が負けてしまえば道場から締め出されるであろうことは明白だった。必死に勝ち続けた。勝ち続ける度、焦凍への自責の念も増えていった。

そうして今回の決闘まで至った。万全の体調であったなら、まだ私はこの場にいられたかもしれないのに。父に言わせれば、そんな不調でも勝利してこそ、ということだろう。あーあ、この痛みを父に伝染してしまえたらよかったのに。そうすれば、この理不尽がなかったことになるかもしれないのに。そんなどうしようもない考えが過ぎる。なるわけがないのだ、そんなこと。こんな簡単に、私の努力は否定されてしまった。すべて水の泡。もう、どうにもならない。本当に馬鹿みたいで。
ああ、もう。もう。何にもわからなくなっちゃった。
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