確定消すな  



 
折原臨也
 新宿であろうと深夜になれば一つくら
い街灯も人気もない路地はある。そこに
呼びつけてスキップしながら現れた男の
頭部を目掛けて背後から鉄パイプを勢い
よく振り下ろせば、男は夜の闇の中でも
わかるほどの血飛沫を上げながらゴミ捨
て場にぶっ飛んだ。頭蓋を割った衝撃が
鉄パイプを伝って自分の両手に響く。持
っていられなくなった鉄パイプは不快な
金属音と共に地面へ落ちた。
 ふらつく足を動かし、荒い呼吸を必死
に落ち着かせながらゆっくりと汚いゴミ
に埋もれた男へと近づく。本当は触りた
くもないけれど、乱暴に片手で男の短い
前髪を掴むと無理やり上を向かせた。僅
かに息を吐いた音が聞こえ、まだ息があ
る事に気づく。私が憎々しげに奥歯を噛
みしめれば男はなにが面白いのか、口元
を歪めて笑って見せた。
 怒り、憎しみ、苛立ち、気持ち悪さ、
全ての感情をぶつけるように男をきつく
握った右手の拳で殴る。鈍い音と共に男
の顔が歪む。痛みに呻いたかと思えば、
こんな状況にも関わらず再び笑みを浮か
べた男の挑発的な態度が酷く癇に障る。
 そして、どれだけの時間が経ったのだ
ろう。私は右手を血だらけにして男を殴
り続けた。女の細腕で殴られた程度で鉄
パイプほどの威力は与えられない。けれ
ど何度も何度も殴り続ければさすがに効
いたのか、男の口元にあった余裕はいつ
の間にか消えていた。
 右手が痛い。見れば腫れている。指を
動かす事すらままならない。それでも痛
みを堪えて再び前髪を掴んで上を向かせ
れば、乾き始めた血を新しい血で湿らせ
る男の今にも事切れそうな顔があった。
 そうだ、そうだそうだ!私が見たかっ
たのは、この男のこういう顔だ!
 折原臨也という、私の人生をめちゃく
ちゃにした張本人である男が、私にして
きた悪行の全てを後悔する顔が。
「二度と私に……関わらないで」
 そう言って返答を待つが、臨也は途絶
えかけの呼吸を繰り返すだけでなにも言
わない。思い切り平手打ちをして意識を
戻して同じ事を言えば、今度はなにかを
言おうと口元を動かしたのが見えた。
 上手く聞き取れずに顔を近づける。
 すると次の瞬間、私の胸ぐらを臨也の
両手が掴み上げ、強い力で引かれるまま
男の方へと倒れこんでしまった。驚く私
の唇に湿り気を帯びた男の生暖かい唇が
触れる。慌てて離れようとするが臨也の
力は簡単に抗えないほどに強く、死にか
けていた姿からは想像もつかない。
 油断した。相手がただの男ではなくあ
の折原臨也であることを完全に忘れてい
た。不意打ちとはいえキスを受け入れて
しまった自分の愚かさと詰めの甘さに叫
びだしたくなる。
「ん!っんぐっ……ぐううっ!!」
 臨也から離れるために懇親の力で臨也
の唇を噛んだ。すると反射的に唇が離れ
臨也の腕から転がるように抜け出す。
 口の中が血の味で気持ち悪い、臨也の
体温が自分の体にまだ纏わりついていて
気持ち悪い。けれどそれ以上に鉄パイプ
で襲ってきた挙げ句顔面をひたすら殴り
続けてきた女にキスしようと思う折原臨
也の思考が理解できない、気持ち悪い。
「ど、ういうつもり……!?」
「どうも、こうも、ない、さ……」
「……は?」
「俺は、人間を……愛しているんだっ!
俺は人間が好きだ!人間を愛する人間を
人間として愛している!だから人間であ
る君も心から愛しているし、君も人間と
して……俺を愛するべきだ!」
 突然ゴミ袋の中から上半身を起き上が
らせたかと思えば、夜風が吹き抜ける路
地で人間愛について持論を語り始める臨
也の異質な姿に呆然とする。
「……だから私を邪魔したの?」
 この男は、私が幸せを手に入れようと
する度に幾度となく邪魔してきたのだ。
一人目の恋人を脅し私と無理やり別れさ
せ、二人目の恋人には莫大な借金を負わ
せて人生を破綻させた。三人目の恋人は
痴漢をした最低男として社会的に抹殺さ
れ、四人目の恋人は臨也がでっちあげた
私の浮気写真を信じた。
 必死に否定する私を問答無用で殴りつ
け、罵倒して部屋を出て行く四人目の恋
人の背を見て、私は例え殺人の罪で一生
刑務所に入る事になろうとも折原臨也に
復讐すると決めたのだ。
「……ふざけるな、ふざけるな!私が愛
されるためにした努力も!時間も!全部
無駄になったんだ!お前のせいで!」
 手探りで鉄パイプを拾い上げ、ふらつ
く足取りで立ち上がる。重だるい両腕で
鉄パイプを頭上に掲げる。振り下ろす先
はもちろん、折原臨也の頭部。
「不思議だよ……こんなに殴られても、
全然痛くないんだ、シズちゃんとは大違
い……君から与えられるなら、痛みだろ
うと嫌悪だろうと喜んで受け入れるよ」
 臨也が両手を広げる。とても正気とは
思えない行動に嫌悪感が鳥肌となって全
身を駆け巡る。今まさに自分が殺される
かもしれないというのに、どうしてこん
な楽しそうに笑っていられるんだ。
 理解できない、理解したくない。こん
な異常者に人間というだけで愛されてし
まうなら、私は今すぐにでも化け物にな
ってしまいたいたかった。


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