変わりゆくこと

「ディルク様、頼まれてたものできあがったっスよ」

「おお、わざわざすまぬのう」

「いえいえ、とんでもないっス」

 執務室の扉を控えめに開いて入ってきたアニエスは、懐から白と桃色の湾曲のものを取り出し拙へ差し出す。それは、以前アニエスに頼んでおいたものだった。

「それにしても、ディルク様が私に髪飾りを作ってくれとおっしゃられることがあるなんて想像もしなかったっスよ」

「うむ、拙も思うておらんかったよ。……む、これはどう着けるのじゃ?」

「あ、それは……、ちょっと失礼するっスね」

 この湾曲の髪飾りは、あの事件の最中から永逝が着けはじめた髪飾りの揃い。つらいことも哀しいこともすべてひとりで抱え込もうとする悪い癖のある息子に、その荷物を分けてほしいという拙の気持ちが少しでも伝わればと思い、アニエスに作らせたもの。
 手伝ってもらいながらなんとか着けると、「お似合いっスよ」と満足げにアニエスがほほえむ。
 こんなことをするだけ無駄かもしれない。だが、何かつながりが欲しかったのは確かだ。元々、なんのつながりもない形だけの親子だったのだ。離れれば、その関係性が壊れてしまわないとも限らない。とても稚いつながりだが、何もないよりはマシに思える。

「失礼します!」

「うわ、なんスか!?」

「ああ……アニエス、いたんですか」

 突然扉を蹴破る勢いで入って来たのはマニゴルド。常に冷静なマニゴルドにしては珍しく、息も絶え絶えに扉に張りついて外の様子を伺っている。

「いったいどうしたんじゃ、マニゴルド」

「いえ、実は……あ、その髪飾りどうしたんですか?」

「ん? ああ、ちょっとした気分転換じゃ」

「……それはそれは、よくお似合いですよ」

 無駄にいい顔でほほえんでいるマニゴルドだが、未だ扉に張りついたままのおかげでシュールすぎる絵面になっている。そのことに本人が気づいているかは怪しいところだが。

「で、なんなんじゃ?」

「……あの、笑わないでくださいよ?」

「うむ、笑わぬ」

「…………マーシィくんが、『結婚して!』と叫びながら追っかけて来るんです……」

「ぶふっ」

 拙とアニエスは同時に吹き出した。笑いではないほうの意味で。
 いつもは追っかける側のマニゴルドがまさか追われているなんて誰が予想できただろう。しかも、つい先日自由の身になったばかりのマーシィに。

「よかったのう、マニゴルド。これで次期マニゴルドも安泰じゃ」

「全然よくないですよ! マーシィくんが自由の身になってからというもの頻繁にプレゼントや手紙が来るわ、自室に侵入されるわ、ものはなくなるわ、耳を塞ぎたくなるような内容の彼女の心の声が常に聞こえて来るわで散々なんですよ!?」

「それは、すごいっスね……」

 鬼気迫るマニゴルドに気圧され押し黙ると、アニエスが同情に満ち満ちた表情でつぶやく。マーシィはあまり他人に興味のない子だったから、そこまですごいとは思わなかったのだが、正直想像に余る。
 室内がマニゴルドへの同情ムードに満ちはじめたころ、マニゴルドが張りついていないほうの扉がさっきとは打って変わって重々しく開いた。

「……きみ、そこで何してるんだい?」

 扉から現れたのは、扉に張りつくマニゴルドを見て訝しげに眉間に皺を寄せる、隻眼のエマだった。
 鬼百合から受けた致命傷により目を失ってしまったエマだったが、身体の傷より心の傷のほうが深い。一番身近なところから裏切り者が出たのだ。仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。

「あの紫陽花、喜んでもらえたっスか?」

「うん、口では何も言わなかったけど喜んでたようだった。きみのおかげだよ、ありがとう」

「それはよかったっス!」

「……それで、永逝の様子はどうじゃった?」

 そう問うと、エマは言いにくそうに口ごもる。それは拙の予想していたもの通りの反応で、同時に気落ちもした。やはり拙らでは何もすることはできないのか、と。

「まあ、そうじゃろうな。たった数日そこらで癒える傷でもあるまいよ。拙にもわかる……痛いほどに」

 身体の傷はやがて消え、痛みの記憶さえ思い出すのが困難になるほど簡単に忘れてしまう。だが、目に見えない傷は簡単に癒えてはくれない。痛みは日が経つほどに膨れ、見えないから手の施しようもなく、ただいつか痛みが薄れるのを待ち続けるしかできず、ましてや忘れることなど、永遠にできはしない。
 拙がそうであるように。人がそうであるように。

「でも……でもいつかは癒えると信じています、僕は」

「うむ、そうじゃのう……」

「じゃあ、その第一歩として服装を変えてみるというのはどうですか?」

 しんみりとした空気を打ち破るかのように、いつの間にか扉から離れていたマニゴルドがやけに明るい調子で提案した。

「服装?」

「ええ、ディルクさんのように髪飾りだけってのもいいですけど、エマくんの場合は服装のほうがいいんじゃないかと思いまして」

「はあ? そんなの、」

「一理あるっスね。身だしなみは心の表れとも言うっスから」

「それとこれとは違うよ。僕は嫌、」

「それもそうじゃのう。前々から思うておったが、エマ坊は少し堅すぎるんじゃ」

 拙が頷くと、それを合図にアニエスとマニゴルドがエマの両脇を抱える。エマは咄嗟のことに驚きながらも抵抗するが、アニエスはともかくマニゴルドに力で叶うはずもなく、ふたりが密着しているせいで異空間転移もできない。

「多少嫌がってもフリッフリでかわいくしてやってくれ、拙が許す」

「了解っス!」

「さあ、行きましょうか」

「え、え? ちょっ……ディルク様!? 待っ──」

 引きずられていくエマを笑いながら見送り、扉が閉まる音を最後に騒がしかった室内はまた静寂を取り戻す。とはいえ、廊下からは未だエマの「離せ変態!」などという罵声が響いているのだが。
 エマが来たときから、どう切り出すかと熟考していた様子のアニエスに助け船を出したマニゴルドには感謝しなければならないだろうなと、その声を聞きながら思案する。
 実はもうひとつアニエスには頼みごとをしていた。それは、エマの眼帯を目立たないようにするための服を作ること。エマ本人は何も言わないが、失血死部の死神たちがエマをどんな目で見ているかは容易に想像がつく。
 “副部長の裏切りすら止められず、瀕死の重傷を負う惰弱なダメ部長”
 ヒラ死神に鬼百合のことを良く思っていない連中は少なくはないし、事情も知らないのならそう思ってしまうことは道理だ。だからこそ、それを連想させる眼帯から周りの目を少しでもそらしたかった。それこそ気休め程度の効果にしかならないかもしれない。だが、それでも何もせずにはいられなかった。

「……拙はダメな閻魔じゃのう」

 ひとり、誰かがいなくても世界は巡る。だが、その爪痕は決して浅くはなく、拙らも前までのようにはいかない。残された者は変わるしかない。その塞ぐことのできない深い傷を目立たないように。それしか、できないのだ。
 残された身として、おぬしも変わらねばならぬのじゃよ、永逝。

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