
罪悪
「右目の調子はどうだ?」「……大丈夫です」
僕は生き延びてしまったらしい。
あのとき、鬼百合に刺されたあのとき、僕は本気で死を意識して、覚悟していた。でもそれも、目の前の優秀な医者のおかげで無駄に終わってしまったけれど。死にたかったのかと聞かれれば、答えは当然ノーだ。ただ状況が状況だっただけに、助かる見込みは低いだろうと結論づけていただけで。
でも今思えば、死ななくてよかったと思う。僕がいなければディルク様はろくに働かないし、失血死部の部長のあとを継げるほどの実力を持った死神が今この冥府にいるとも思えない。それに何より、鬼百合に僕を殺したという咎を背負わせたくはなかった。
「エマ坊!」
「ディルク様……」
病室の扉を開く音に目を向ければ、ディルク様が入ってくる。その姿は、最後に見たときよりずっと疲弊しきっていて、いまにも倒れてしまいそうなほどに足取りも危うい。
「ディルク様、大丈夫ですか?」
「はは、見舞いにきたのは拙のほうじゃぞ。おぬしこそ身体は平気なのかのう?」
「僕は大丈夫です、ユッカ先生のおかげでピンピンしてますよ。でも、あなたはとても平気そうには見受けられません」
そう言うと、困ったように薄く笑うディルク様は本当に覇気がない。
さっき目覚めたばかりで、僕はいったい何があったのかを知らない。鬼百合がどうなったのかさえ。ユッカ先生に聞こうと思えば聞けたのだろうが、自分から聞けるほどの勇気も僕にはなかったから。
「……休んでくれと頼んだはずだったのだが」
「こんなときに休めなどと、おぬしも無茶を言うのう」
「こんなとき、だからだ。今あなたに倒れられては困る」
「ううむ、悔しいがそれも一理あるのう……。では、話が済めば必ず休む、これでよかろう?」
ディルク様の言葉に念を押してから、ユッカ先生は病室から出ていった。残された僕とディルク様だけの室内に、重い沈黙が降りる。だが、その沈黙も長くは続かず、意を決したディルク様がその口を開いた。
聞かされた話は、どれも救いのない話だった。鬼百合は親しくなった人間を殺された復讐のために身を堕とし、死んだ。永逝さんも死んだ人間に嘆き哀しみ、力を暴走させた。
僕は生まれてはじめて、神の存在に疑問を抱いた。主神のためにと働いている僕たちに、何もしてはくれないじゃないかと。そもそも見返りを求めるほうがおかしいのかもしれない。でも、それでもそう思わなくてはやってられなかった。
鬼百合はなぜ死ななければいけなかった? なぜ混血というだけで迫害されなければいけない?
そして何より、どうして僕は苦しんでいる鬼百合に気づいてあげられなかったのだろう。気づいてさえいれば止められたと思うほど、僕はうぬぼれてはいない。けど、今より少しはマシな状況になっていたかもしれないのに。
「……すまぬ」
「え……?」
「こうなったのはすべて、悪魔を甘く見ておった拙の責任じゃ。謝って済む問題ではないが、言わせてくれ」
まっすぐと目を見てそう言うディルク様が、だんだんぐにゃりと歪んでくる。そう気づいたときにはもう遅く、次から次へと涙が頬をつたっていく。
「やめてください……、ディルク様」
「……エマ」
「あなたばかりのせいでは、ないんです」
言わなければいけない。僕のせいでこうなってしまったことを。
「僕、僕は鬼百合が僕を襲う前に……っ、ユッカ先生に鬼百合が怪しいのではないかと……、報告を受けていたんです……! それを早く伝えなかったのは僕のせいで……! でも、伝えたくないとも思ってしまったのも事実です……! ですから……っ」
僕がすべてを言い終わる前に、ディルク様が僕の頭を両腕で抱きしめる。急な出来事に驚きすぎて、溢れていた涙が引っ込んでしまう。
「ディルクさ、」
「構わぬよ」
「え……」
「その状況でおぬしが早々に報告しておれば、拙がおぬしを見限るところじゃ。……それに、おぬしはちゃんとこうして拙に伝えたじゃろう。じゃからのうエマ、……それで構わぬよ」
ディルク様の言葉ひとつひとつが心に沁みていくようで、止まっていた僕の涙はまた溢れ出してディルク様のシャツを濡らしていくのに、それでも抱きしめるのをやめずにただ僕の頭を撫でてくれることに、また涙が出た。