
謎の少女
砂利を踏みつける音が、また人界に戻ってきたのだと実感させた。人界にきてから半日は経つが、町の状況はほとんど変わりがない。相変わらず町の人間は謎の殺人事件に怯えていた。さすがに悪霊のときのようにはいかないらしい。
日は暮れ、空は赤く燃えていた。もう捜索はやめておいたほうがいいだろう。初日に比べて人界の空気には慣れてはいるが、疲れはある。休めるときに休んでおかないと、いざというときに動けなければ意味がない。そうなると宿を探さなければならないが、人間がそばにいると眠れるものも眠れない。
そう思いながらも、儂の足は自然とあの屋敷に向かっていた。小道を抜け、大きな屋敷の裏口、庭に見えるあの青い紫陽花、そして──
「…………」
紫陽花と同色の着物を着て、赤い膝掛けをかけた少女が、縁側からこちらを見ていた。この前と、同じように。凝視するように少女を見ていると、少女もまた儂をじっと見ていた。見えるはずのない儂を。
「また、来ると思ってた」
そう言うと、少女は可憐に微笑んだ。
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いつもは閑散とした閻魔の執務室に、数人の死神たちが集っていた。皆、冥府でもかなり名の知れた地位のある部長たちで、そこいらのヒラ死神が見れば、緊張で失神してしまうだろうと予想できるほど、珍しい光景だった。
そして、その全員の視線を一身に受ける閻魔ディルクは、厳しい表情で机の上に腰を下ろしている。
「……なるほど。つまり、私たちは冥府にいる裏切り者を秘密裏に探せばいいわけですね」
──特務課刑死部部長兼閻魔側近 マニゴルド
「そう簡単にいくと思ってるのかい? 相変わらず馬鹿だね、きみは」
──普通課失血死部部長兼閻魔側近兼秘書 エマトロジア
「つーことは、ゼノも容疑者ってことじゃん!」
──普通課老衰部部長 デリク
「そうなるね〜」
──普通課老衰部部長 デリカ
ディルクの話を聞き終え、各々が好き勝手に話し始めるのを後目に、ひとりだけ納得がいかなそうに眉をひそめる死神がいた。
「彼らを呼ぶのはわかる。信頼の置ける者たちだし、実力もそれ相応だ。だが、なぜ非戦闘要員の僕を呼んだ?」
──特務課医療部副部長 ユッカ
「おぬしは前部長で永逝の事情も知っておるし、なによりおぬしだけは絶対に裏切れぬと知っておる。それだけで十分じゃろう?」
押し黙るユッカ。それでも納得いかないのか、しかめっ面は直らない。それに苦笑しつつも、ディルクは皆に向き直る。
「マニゴルド、おぬしには容疑者になりえる者を内密に探ってほしい」
「わかりました」
「デリクデリカ、おぬしらはいざというときにすぐ確保できるよう感づかれぬように仕事をしつつ待機」
「はーい」
「ユッカ、おぬしには治療しに来る死神たちから情報収集を頼む」
「……仕方ない」
「エマ坊、おぬしはこのまま、江戸の状況報告を」
「承知しました」
それぞれがそれぞれに執務室を後にする。ディルクは静かになった室内でひとり、大きなため息を吐いた。
なぜこんな大事になってしまったのか。それは一概に拙の責任だと言える。死神を統率しきれなかった拙の。死神の力を持っているとはいえ、神であることに変わりない永逝を長期間滞在させることになってしまった。ああ、やりきれない。
ディルクは抑えきれない苛立ちをぶつけるように強く机を叩く。その音だけが虚しく静寂に溶けていった。
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どうやら、あの悪霊がやられてしまったらしい。せっかく悪霊でも魂を狩れるように力を分け与えてやったのに、やっぱり雑魚は雑魚ということなのだろう。
隠し蓑がいなくなった今、私が魂を狩ればまたすぐに死神が来る。悪霊が私のことについて話していれば、内密に調査しているかもしれない。特にマニゴルド。あれはかなり厄介だ。いくら私といえども、心を読まれれば隠しようがない。会わないようにしなければ。
永逝さんは気づいただろうか、私のメッセージに。いや、きっと気づかないのだろう。彼は私と似ているようで、全然違うひとだから。
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「お前、儂が見えるのか」
聞くまでもないかもしれないが、どうしても確認しておきたかった。どこをどう見てもただの人間である少女がまさか死神である儂が見えるなど、信じられなかった。霊魂ならまだしも、死神の見える人間など聞いたこともない。
だが、少女は見間違えようもなく、確かに頷いた。
「ええ、見えるわ。はっきりとね」
「……何者だ」
「どう見たって人間でしょう。それともなあに? あなたにはわたしがアヤカシにでも見えるって言うのかしら?」
まくし立てて言い返される。探査や感知は得意ではないが、これでも数多の死神を束ねる部長。人間だということはわかる。逆を言えば、人間だということしかわからない。
儂はさらに眉をひそめるが、そんなことを気にした風もなく少女は手招いた。
「そんなところに立ってないでこっちに来てよ」
「断る。儂は急いでいるんだ」
「嘘」
咄嗟に出た嘘を簡単に見破られてしまった。鈴の音のような美しい凛とした声色で。少女は真っ直ぐに儂を見ていた。儂が人間ではないということを感づいているはずなのに、それに臆することなく儂を見ていた。すべてを見透かされているような奇妙な感覚。それが不思議と、嫌ではなかった。
暫し睨み合いが続いたあと、少女から少し距離を置いて縁側に座る。だが、そんな些細な抵抗も少女が儂のほうへ体をずらしてきたおかげで徒労に終わった。
「ねえ、あなた珍しい着物を着ているのね。髪や目の色も不思議な色をしてる。外国の人?」
興味津々で儂を見ている。どうやら儂が死神とまでは気づいていないようだ。霊魂かなにかだとでも思っているのだろうか。
「違う」
「ふぅん。でも綺麗ね、あなたの髪……わたし青色って好きなの」
「そうか」
「そういえばどうしてこんな小道に来たの? 昨日も来ていたわよね」
「昨日は野暮用でな。今日は……今晩の宿を、探していた」
間髪入れずに質問してきていた少女の声が詰まる。表情を盗み見ると、儂の返答に心底驚いたようで、まるで時が止まっているかのように微動だにせずにただ儂の顔を見ていた。
近くで見ると、少女の瞳は漆黒のように見えていたが実は濃い紫色であることがわかる。髪も、光に透けた部分が綺麗な紫色に見えた。しかし、この地域に住む人種は確か黒髪ばかりだったように記憶しているのだが、やはりこの少女は他の人間とは違うのだろうか。
「あ、ごめんなさい。じっと見てしまって」
「別に構わん。お前らには儂のようなのは珍しいんだろう」
「ええ、でも……。おかしなことを聞いてもいいかしら」
「なんだ」
「あなた、死んだ人ではないの?」
「……いや、違う」
「そう……」
ひどく儂のことについて聞きたそうにしていたが、聞かれてもなにも答えないと察したか否か、少女はそれ以上なにも聞いては来なかった。
居心地の悪さに茜空を見上げていると、少女が「あ」と声を漏らす。
「宿を探しているのよね?」
「ああ」
「ならここに泊まればいいわ。ちょうど話し相手が欲しかったところだし」
「いいのか、儂のような怪しい者を泊めて」
「わたしがいいって言うんだからいいの」
死神を家に泊める人間なんて聞いたことがない。だが、確かにその申し出はありがたいものだった。
「……世話になる」
そう返すと、少女は満足そうに大きく頷いた。
「わたしは、すずっていうの。あなたは?」
「永逝という」
「永逝……名は体を表すって言うけど、あなたと一緒で不思議な名前ね」
名は体を表す、その通りだと思う。すずと名乗った少女の声はまさに、鈴を転がすような美しい声だった。そして、美しい笑顔だった。
しばらくそうして話していると、すずが小さくくしゃみをした。もうだいぶ暗い。長く話し込みすぎて、体が冷えてしまったのかもしれない。儂の手も、随分と冷えていた。
「冷えてきたわね、中に入りましょう」
「そうだな」
そう言って儂は縁側に立つが、すずは動かない。
「悪いけど、手を貸してくれないかしら」
すずはおもむろに、ずっとかけていた赤い膝掛けを取り去って見せた。一瞬なんのことだかわからなかったが、すぐにおかしいことに気づく。
すずの、膝から先がないのだ。
「言ってなかったけど、わたし生まれつき膝から下の足がないの。だから、」
「ほら」
「え……?」
手を差し出すと、すずはそれに戸惑ったかのように瞳を揺らがせながら儂を見上げる。その顔は、拒絶されることに対する恐怖で満ちていた。
「先に言っておくが、同情などしないぞ。五体満足じゃなくとも生きているだけで十分だろう」
「……ええ、そうね」
泣き出してしまいそうな笑顔をこぼして、すずは儂の手を握った。一体儂はなにをしているのだろう。まるで励ますような口を利いて、なにがしたいのだろう。正体のわからない人間の小娘風情に。
ただ、いつかどこかで聞いた話を思い出したのだ。人間は自分たちと同じでない者を受け入れ難いということ。それが事実ならば、この少女もそれなりに酷い目にあっているのかもしれない。これは決して同情ではない。漠然と、この少女に暗い顔は似合わないと思っただけだ。
すずの手を引きようやく部屋の中に入ったところで、すっかり存在を忘れていたものがポケットから滑り落ちた。コロコロと転がったそれは、すずの手によって拾い上げられる。
「あら、これはなあに?」
「ああ、それは髪飾りだ。知人から儂に似合うだろうと言われてな」
「変わった形ね……」
アニエスからもらった円柱形の髪飾りを不思議そうに眺めるすずに、ポケットから出したもうひとつの髪飾りも見せてやると嬉しそうに笑う。
「あなたのお友達は趣味がいいのね。個性的だけど、すごくかわいいもの」
「なんならくれてやるが? 儂はそういうのはあまり好きじゃないんでな」
「いいの?」
「ああ」
「あ、でも……こっちだけでいいわ」
そう言って勾玉のような形をしたほうを儂に差し出す。
「なんだ、気に入らないのか?」
「ううん、すごく素敵よ。でも、それはわたしよりあなたのほうが似合うと思うの」
少し距離を置いて座っていた儂のほうにすり寄ってきて、勾玉のような髪飾りで儂の髪を留める。留め方がわからなくて多少四苦八苦したようだが、その甲斐あってか綺麗に着けられたらしい。左手で頭に触れると、硬質な髪飾りの感触が伝わってくる。
「やっぱり。あなたの髪色にはこの髪飾りの色がぴったりだと思ったのよ」
自分の髪の色など深く考えたこともなかったが、そこまで言われるとそうなのだろうと思ってしまう。
「……貸せ」
「え、っ!」
すずの手元から髪飾りをかすめ取り、無理矢理後ろに向かせる。艶やかな夜色の髪をある程度纏めて、円柱形の髪飾りを難なく留めたところですずから文句が飛ぶ。
「知ってる? 乙女の髪に触れるときは、ひと声かけるのが常識なのよ」
「人間の常識を儂に求めるほうが間違っているな」
「もう。……でも、ありがとう」
「お揃いね」と言いながら嬉しそうに笑うすずを見て、今置かれている状況をふと思い出す。明日になったら一刻も早くここから立ち去らなければならない。もしすずが儂と交流のある人間だと思われれば、人質にされる危険性もなくはないのだ。
これは儂が人間の心配をしているということになるのだろうか。馬鹿馬鹿しい。早く寝てしまおう。明日も早いのだから。