裏切り者


 息を大きく吸って吐く。酸素を必要としないこの身体でただそれだけをするだけで新鮮な気持ちになるのは、人間と一番近しい死神だからこそか。まだ眠ったままのすずを起こさないよう戸を開けずに出てきたが、勘のいいあの少女なら気づいていたかもしれない。
 人気のない道を、儂は情報を求め歩き出した。




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 やって来た死神は、永逝さんだった。ディルク様がなにを考えているかはわからないけれど、どうせ彼では私を見つけることはできない。地に堕ちて手段を選ばなくなった死神の行動など、わかるはずもない。
 でも、ちょうどいい。純血の神がいれば、人間なんかの魂をちまちま集めるよりずっと手っ取り早い。
 早く早く早く。渇きを、飢えを、癒してほしい。


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「うあ、ぁ……ッ!」

 かろうじて聞き取れたかすかな悲鳴と、一瞬感じた死神の気配。あきらかに前回とは違う。小道を駆け抜け、小さな一軒家にたどり着く。気配を探っても、もう死神の気配は微塵も感じなかった。だからといって屋内に潜んでいないとも限らない。
 念のため慎重に戸を開けて中に入ると、部屋には布団の中で魂を無理矢理はぎ取られる痛みに苦しんで死んだであろう若い男が横たわっていた。もちろん、魂はここにない。

「チッ、……まるで食い逃げだな」

 実際そうじゃないとも言い切れない。主神に使える農夫である死神が丹精込めて育てた人間を、主神にも身内にもバレないように食い逃げをする死神。まったく、笑えない話だ。
 しかし、死神の気配が一瞬しか感じられなかったことが妙に引っかかる。確かに儂は探知系の死神ではないが、部長である以上、平均よりは探知にも優れている。にも関わらず、件の死神は儂にさえ探知することができない。ましてや、一瞬にして気配を消すなんていう芸当はデリクデリカ並みの手練れか、エマのような異空間移動系の力でもないと成し得ない。
 それ以外に方法はあるにはある。が、まさかそこまで身を堕としているとも考えにくい。だが、それ以外に方法はないのも事実だ。

「調べる価値はありそうだな」

 そう独り言ちて、男の亡骸だけが残る部屋をあとにした。


「すず」

「永逝っ……!」

 すでに見慣れてきた美しい青い紫陽花が彩る屋敷の離れを覗くと、縁側に寝転がっていたすずが慌てて身を起こす。

「やだ、もう来ないかと思ってたのに」

「迷惑だったか?」

「そんなわけないじゃない!」

 怒ったような顔をするすずの頭には、昨日着けてやった髪飾りが変わらず着けられていた。だが、自分ではうまくいかなかったのか、昨日より少しばかり乱れている。
 そんな様子を目の端で捉えながら、すずの隣に腰を下ろした。

「儂も戻って来る気はなかったんだがな、少し用事ができた」

「用事って?」

 ある限りの可能性をすべて潰しておきたい儂としては、ここに住む人間の話を聞く必要があった。だが、死神は人間に接触することはできない。今のところ、このすずを除いて。

「お前に聞きたいことがある」

「いいわよ、わたしで答えられることなら」

「最近、妙な死人が出てるのは知っているな?」

「ええ、身体になにもおかしなところがないって聞いたわ」

「その死人が出始めてから、以前となにか変わった行動をする人間に心当たりはないか」

「え……」

 それまで真剣に話を聞いていたすずの表情が驚きに染まる。足のないすずでは町のことがわからないかと思いあまり期待はしていなかったが、どうやらそうでもないらしい。

「そんなことを聞いて……どうするの?」

「詳しくは言えない。だが、儂が今ここにいる原因に関わることだ」

「あなたはっ……、」

 一体何者なのだと、すずの目は儂にそう言っていた。強く握られたすずの両手は、やり場のない感情を必死に押さえつけているようにも見える。永遠にも感じられた、長い沈黙を終わらせたのはすずだった。
 諦めたように深く息を吐きながら俯き、握られていた拳も今は緩く握られているだけ。

「……死人が出始めたあたりから、夜な夜な家を出てどこかに行くようになった人がいるわ」

「それは、誰だ?」

 俯いていた顔を上げ、意を決したようなすずの口がゆっくりと開かれる。

「わたしの父よ」

「お前の父親……だと?」

 聞き返すと、すずは軽く頷いた。儂から視線を外したすずは、青く咲き誇る紫陽花を遠く眺めながらゆっくりと話しだす。

「父が母と出会ったのは、わたしが母のお腹の中にいるときらしいわ」

「それはつまり……父親と血が繋がっていない、ということか」

「ええ。母はわたしが生まれてすぐ亡くなってしまったけれど、父は血も繋がっていないのにこんなわたしに良くしてくれたわ」

 その言葉を意外に思う。母屋ではなく離れにひとりで住まわせられていて、それで“良くしてくれた”というのだろうか。人間のことはよく知らないが、違和感を覚えずにはいられなかった。

「父が世間体を気にしていたことも知っていたから、籠の鳥のような生活でもつらくはなかったのよ。夕餉だけはいつも一緒だったし」

 だが、嬉しそうに笑うすずは、そんなことを露ほども思っていないようだった。それほどまでに、すずの中で父親という存在は大きいものなのだろう。人間のことはよく知らない。だが、その気持ちはなんとなくわかるような気がする。

「でも、その死人が出始めてから夕餉も一緒にとらなくなったし、夜中にひとりでどこかに出かけてるみたいなの」

「……なるほど、な」

 灯台元暗しとは言ったものだ。思い返せば、最初にここにきたとき、かすかながらも死神の気配を感じていた。あのときは気のせいかとも思ったし、悪霊のせいですっかり失念していた。

「それで、父がどうかしたの?」

「いや……大したことではない」

「嘘。重要なことなんでしょ、わたしの家族のことなんだからわたしにも知る権利があるはずよ」

 重要なことなのは確かだが、いやだからこそ、可能性が高いというだけで家族であるすずに話すのは躊躇われる。儂が今言えることはなにもない。

「悪いが、まだ可能性の段階だ。お前に教えられることはなにひとつない。……だが確証を得たら、すぐに教える。これでいいか?」

「ええ、ありがとう」

 聞きたいことは山のようにあるはずなのに、それを我慢して大人しく引き下がるというのは存外難しいことだ。しかもそれが、自分の身内に関することなら尚更。
 すずは強い女だ。底が知れないほどに。だからこそ、恐ろしくもある。受け止めきれないほどの傷を受けたなら、一体どうなってしまうのかと。
 すずの父親が儂が思う通りなら、儂はすべてを明かさなくてはならなくなる。儂が何者なのかさえ。だが、いずれは話さなければならないだろう。すずは儂が見えてしまうのだから。知らずにいることなど、無理なのだ。


 すずもすっかり寝静まった丑三つ時。儂は母屋の裏口から足音を潜ませてひっそりと出て行く人影を、屋根の上から見下ろしていた。まさか今夜も動くとは思ってもみなかったが、予想通り、白い息を吐きながら夜道をひとり歩いていく人影──もといすずの父親は、少しばかり挙動不審だった。
 力を行使してその様子を真上から観察する。死神にバレていない力のため本当はあまり使いたくはないのだが、儂の勘では平気なはずだ。

「……それにしても、寒いな」

 思わず呟く。一応コートを着てはいるのだが、寒さになれていないせいか、肌を刺す寒さに凍える。死なないとわかってはいても、凍死しそうだとすら思う。
 しばらくして、すずの父親はとある場所にたどり着いた。町外れにある、誰も使っていなさそうな古びた厩舎。父親は、あきらかに怪しい雰囲気のその中に、なんの躊躇いもなく入っていった。
 儂は完全に入っていったのを確認して、厩舎の入り口に降り立ち、念のために気配をなるべく絶って中を覗く。中は明かりもなく、薄暗い。だが、父親の異変にはすぐに気づいた。ぐらぐらとふらつきだしたかと思うと、がくりと崩れ落ちる父親。そして、代わりにそこに立っているのは、

「はぁあああ……ほんっと肩凝るわねェ」

 だるそうに肩を回す、死神。闇の中でも目立つ金髪に、赤みがかったオレンジの瞳、露出度の高い服。そのどれもに見覚えがあった。
 吐き気がした。眩暈がした。頭痛がした。腹痛がした。目の前が霞んだ。あれは、いや彼女は、普通課失血死部副部長の鬼百合。彼女は、あのエマの部下だ。
 一瞬だけしか感じられない死神の気配。普通はデリクデリカほどの手練れか、エマのような異空間移動系の能力を持った死神にしかできない技。だがそれを簡単に実行できるただひとつの方法。それは、人間に憑依すること。厳密に言えば、死んだ人間の身体にだ。
 死神とはいえ神という莫大な精神体が生きた人間の器に入りきることはできない。入られた人間は心身ともに木っ端微塵になり、入ろうとした死神は深手を負う。だが、死んだ人間の身体ならば、消耗はかなり激しい上に死神の力は使えないが、なんとか入ることができる。
 だがそれは悪魔と同じ行為をすることになり、死神が悪魔になることはないが、悪魔に堕ちるのと同義。冥府では死した人間に憑依することは、主神への冒涜とされ厳重に処罰される。だが、それはいい。
 死神にとって絶対の禁忌を犯してしまっているのだから、消滅させられてしまうのに変わりはないだろう。問題はそこではない。仲間を裏切り、人間を殺した死神が鬼百合であることが最大の問題なのだ。
 彼女は、死神と悪魔の混血だ。
 彼女にはマーシィという異父姉妹がいる。マーシィの父親はれっきとした死神だが、鬼百合の父親は悪魔だった。もともと死神と悪魔の能力が均衡しており、かろうじて死神としていられた鬼百合が悪魔のような行為をすれば、その均衡が崩れてしまいかねない。止めなければ、まずいことになる。

「今日の収穫はこれだけかァ……まァ、永逝さんがいるんだし仕方ないわよねェ」

「……!」

 ビー玉のようなほのかな光を放つそれを、なんの躊躇いもなく口に放る。鬼百合から感じる死神の気配がいっそう希薄になり、変わりに感じるのは悪魔の気配。均衡が、崩れはじめている。

「貴様、道を踏み誤ったようだな」

「っ! 永逝さん、どうしてここに……」

 振り向いた鬼百合が驚いたように目を見開くが、すぐににやりとした嫌な笑みを浮かべる。それがどうしようもなく不愉快で、自分の顔が歪むのを感じても直すことはできなかった。

「なぜこんなことをした。悪魔にでもなる気か?」

「……ふーん、永逝さんはまだアタシのこと死神として扱ってくれるのねェ」

「答えろ!」

「やあよォ、どうせアンタにはわからないわァ。アンタはアタシと似てるけど、ぜんぜん違うものォ」

 神でありながら、死神として生きる儂。悪魔でもなく、死神にもなりきれない鬼百合。似ている部分も確かにあるが、違う部分がそれ以上にあるのも確かだ。

「儂は仲間を殺したくはない。冥府に戻って然るべき処罰を受けろ」

「言われなくても戻るわよォ、アタシはあそこに用事があるからねェ。……まァ、処罰は受ける気ないけどォ」

 言いながら鬼百合は背を向けて厩舎の脆い壁を簡単に破壊し、暗かった厩舎に月明かりが射し込む。それとほぼ同時に鬼百合へ向かって走り、左手を突き出すが、その場にいたはずの鬼百合は忽然と姿を消していた。

「キャハハハハッ! 殺したくないって嘘だったのかしらァ」

「鬼百合、貴様……」

「アタシはやめないわよォ、この飢えを癒すまではねェ……。じゃあねェ、神殺しの永逝さん」

 それだけ言うと声は止み、近くに感じていた鬼百合の気配はかなりのスピードで離れていった。元々悪魔の翼を持っていて飛ぶことに長けている鬼百合に、儂がどう頑張ったとしてもついていけるスピードではない。

「チッ……」

 鬼百合の目的はわからない。だが『冥府に用事がある』ということと飛んでいった方向から考えて、目的地は冥府である可能性が高い。なんにせよ、その用事がろくでもないことなのは火を見るより明らかだった。

「急いだほうがいいな」

 儂は、できる限りの早さで冥府の扉に向かった。




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 ついに私の正体がバレてしまった。本当はあれを手に入れてからと決めていたのに。まあ、永逝さんでは私に到底追いつくことはできないだろうから、永逝さんが来る前に済ませればいいだけのこと。
 それにしても、2回目に来たのが永逝さんでよかった。もし部長が来てしまっていたら、私は冥府に侵入することさえできなくなる。
 ああ、いよいよだ。きっともうすぐ私の飢えは癒される。あれさえあれば。もう少しだけ魂を喰らえば。きっと、きっと。


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