服装の重要性


 ククとアスミちゃんの件が終わってから、特にすぐ悩みを持った人が現れることはなかった。割と頻繁に人が出入りしていた気がしたから、大丈夫なのだろうかと思って聞いてみると「君が来る前までは、月にひとりかふたりしか来なかったよ」と言われたので、むしろ順調なのだろう。
 相談者がいないので彼に会う必要もないのだけれど、放課後に彼と会うことが、この短期間ですっかり習慣化してしまった。とはいえ、休日まで会いに行くのはさすがにどうなのだろうかと自分でも思う。けれど、彼に拒絶はされていないので、それでいいんじゃないかと思っている私もいる。


「これ、アスミちゃんからのお礼です」
 言いながら紙袋を差し出すと、彼が不思議そうに首を傾げる。
 相変わらず派手な服装だけれど、暑くはないのだろうか。今日は少しばかり蒸し暑く、真夏とは言えないけれど、着実に夏が近づいているのを感じさせる気温だ。彼の、学ランの上からパーカーを着てフードまで被っている姿は、さすがにこの季節にそぐわない。
「なにこれ?」
「さあ……私は中身を見てないので」
「ふぅん。飼い犬が戻って来たわけでもないのにお礼なんて、類は友を呼ぶってやつかな。まあ、ありがたく受け取っておくよ」
 比較的素直に紙袋を受け取った彼は、さっそく中身を見た。
「……やっぱりいらない」
 紙袋を雑に押しつけられる。
「えっ、どうしてですか? なにか、好きじゃないものでも?」
「好きじゃないっていうか、こういうのにいい思い出がないっていうか……とにかく、いらないから」
 咄嗟に紙袋を受け取ると、すぐに彼は机の上に座り込み、今日の差し入れである紙パックのジュースを飲み始める。その様子をしばらく眺めたあと、気は引けるけれど、仕方ないので紙袋の中身を見た。
 中身はどうやら服のようだ。彼はずっと同じ服を着ているし、アスミちゃんが気を使ってくれたのかもしれない。特に、問題のあるものには見えない。
「ただの服じゃないですか。なにが嫌なんですか?」
「僕の趣味じゃない」
 ずばっと一言で切り捨てられた。確かに、服なんかは個人の好みがあるから、よほど親しい間柄じゃない限りプレゼントには向かないかもしれないけれど。
 しかし、失礼を承知で言わせてもらえるのなら、彼の服の趣味は相当悪い。パッションピンクのパーカーとライムグリーンの帽子は言わずもがな、さりげない小物まで趣味が悪い。彼が常に履いている上履きの色は、どこで売っているのか思わず聞きたくなる濁った紫色だし、パーカーに隠れていて普段は見えないけれど、彼が身に着けている小さいウエストバッグは人の顔のデザインになっていて、中には脳みそみたいなポーチが入っている。
 悪趣味もここまで来ると気にならなくなりそうだけれど、彼の場合は静かな印象を受ける美貌を持っているおかげで、常にその目にも心にも痛いギャップに晒され続けるのだ。気にならないほうが無理がある。アスミちゃんが服をあげたくなるのも当然だ。
「……なんか、失礼なこと考えてるね」
 じっとりとした目で言い当てられてどきりとする。
「い、いえ……それより、一度くらいは着てみましょうよ。このまま返すのはアスミちゃんに悪いです」
 紙袋を差し出すと、彼は少しばかり嫌そうに顔をしかめたけれど、多少思うところはあるのか、おとなしく紙袋を受け取ってくれた。
「はあ……一度だけだよ。着たら、ちゃんと彼女に返してね」
「わかりました」
 一度着て、それで気に入らなかったなら、アスミちゃんも納得してくれるだろう。


 私をひとりにするのは危険だからという理由で、後ろを向いている間に彼が着替えることになった。背後から聞こえる衣擦れの音に羞恥心を煽られながら待つこと数分、彼のいいよという声に振り向く。
「見てよこれ。気味が悪いくらいサイズぴったりなんだけど」
 彼が服を見せるように両手を広げる。けれど、残念ながら期待した彼の姿とはだいぶ違っていた。
 変わらず身に着けられているパッションピンクのパーカーにライムグリーンの帽子。そのおかげで、ぱっと見ほとんど服装の変化がわからない。よくよく見れば、パーカーの下に着ているものが学ランではなくシャツやデニムなので、着替えているにはいるのだけれど。
「……それ、意味ないですよね」
「なんでさ。ちゃんと着てるでしょ」
 着てはいるのだけれど、そういう意味ではないというか。
「帽子とパーカー脱ぎましょうよ。その服には似合いません」
「え〜……」
「ちょっとだけですから、ね?」
 あまり脱ぎたがらない彼を必死に説得すると、渋々というふうにパーカーのフードを脱いだ。パーカーと帽子を完全に脱ぐと、もはや彼のイメージを形作るものはなにもない。
 アスミちゃんチョイスの服は、彼によく似合っていた。シンプルかつキレイめに揃えられた服を着た彼は、普段の彼を知っている人が見れば、別人のようだと思うだろう。
 普段から綺麗なひとだとは思っていたけれど、服装を変えるだけでこんなにも印象が変わるのかと驚く。それと同時に、なんだかいたたまれなくなる。彼の前に立っているのが、ひどく恥ずかしい。
「うぅん……やっぱり違うな。涼しいけど、こういうシンプルなのは落ち着かない」
「そ、そうです、ね……」
 ぎこちなく相槌を打ちながら、目を泳がせる。まっすぐ彼を見ることができない。
「ほら、もういいでしょ。今度こそ着替えるから後ろ向いて」
「は、はい……」
 油の切れたロボットのような動きで後ろを向くと、背後からかすかにふっと笑うような息づかいが聞こえた。いつものにんまり笑顔を想像しようとして、失敗する。今の笑い方は、きっとそういうのじゃなかった。もっと、自然な笑い方だった。
 とっさに振り向いていれば、たまに見せる彼のやわらかな笑みを、帽子やフードに遮られずに見ることができたのだろうか。思わず想像しようとして、やめた。




 後日、アスミちゃんに服を返却する際に詳細を話したら、「ハンナもやっとイケメンの良さがわかったんだね!」と同士認定を受けてしまったのは、彼だけには絶対に内緒だ。
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