#60
チョコレートはいとも簡単に人を幸せに出来るんだと、私は痛感した。
私の目の前に置かれた店内飲食限定のチョコレートケーキを見て、その神々しい姿にふるふると手が震えてしまう。
生チョコレートからビターチョコレートまで。何層にもチョコを吸い込ませたスポンジを、パリッパリのチョコがコーティングしてあり。さらにココアパウダーで化粧を施した、まさしく、ザ・チョコレート。
フォークでその華麗なる層を全て堪能しようと縦に切り取って。口の中へと導くと。
パリっとした食感からのふわふわ、しっとり濃厚チョコレートが口内へ瞬く間に広がって。
確かに、このパリふわじゅわーな食感は出されて直ぐしか味わえないかもしれない。
店内飲食限定なのも頷ける…というか、本当、美味しすぎて身体中が喜びの悲鳴を上げている…!
「なにこれ。幸せの味がする…!!」
「あんた本当、幸せそうに食べるね。グルメリポーターにでもなれば?」
「だって!本当にやばいほどに美味しい!馨ちゃんも哀ちゃんもちょっと食べてみて!!」
興奮気味の私に、哀ちゃんは呆れながら笑っている。馨ちゃんはどれどれ、と結構な量をぶんどっていった。ああ、ちょっとって言ったのに!!
「うわ。本当美味しい」
「でしょでしょ!!ほら、哀ちゃんも!」
「じゃあ、少しだけ」
「ちゃんと全ての層取って食べてね!この美味しさはそのハーモニーにある…!!」
私の必死のプレゼンに苦笑しつつ、ちゃんと縦に綺麗にとった哀ちゃんも、食べて少し目を見開いた。私はその様子にふんふんと頷く。
でしょうでしょう!これ、やばいでしょう!
この幸せを一人占めには出来ない!分けあいたい!
ってことで、馨ちゃんと哀ちゃんの選んだケーキもちょっと頂戴しつつ。
馨ちゃんの選んだフォンダンショコラも、哀ちゃんの選んだショコラムースがチョコでグラサージュされてるやつも物凄く美味しかった。
こういう時女子っていいなってつくづく思う。シェア出来る喜び!!幸せの味!
満足しまくった後に飲んだコーヒーも香りもよくて、酸味も少なくコクが強く。チョコに合う豆を選んでいるのか、本当に美味しい。
私ここ、常連になる。
ちょっと高いけど、その価値は存分にある…!
美味しいモノを前にすると、人は簡単に打ち解けると思う。
ここのチョコケーキの美味しさのおかげなのか、初対面の筈の哀ちゃんも馨ちゃんもすっかり打ち解けていて。
タイプの違う2人だけど、我が道を行くっぽいところは似てるかも、としみじみ思う。
そんな風に仲良く話す美女2人を肴にコーヒーを味わって飲んでいると、馨ちゃんがこちらに視線を向けた。
「ここ来た時から思ってたけど。あんたのそれ、クロバから?」
それ、と指が指し示した先は私の首元で。
そう。黒羽印の世界に1つのオリジナル。なんて贅沢過ぎるネックレスを頂いた私は。勿体なさすぎて中々普段使いをする事が出来ず。
今回、女子会だし、ちょっと贅沢なティータイムだし!
とウキウキと着けて来たのだ。
さすが馨様。目敏く見つけてきなさる。
「え、えへ」
笑って照れると、哀ちゃんも「あら。黒羽君中々センスいいのね。どっかの頓珍漢とは大違い」と褒めてくれた。頓珍漢って誰のことだろう。
一瞬、哀ちゃんとマジックショーの時に一緒に居た眼鏡の男の子が頭に浮かんだ。
うーん。でも、小学生男子にセンスの良し悪しは求めないかな?いくらなんでも。哀ちゃん大人っぽいし、小学生はお呼びじゃなさそう。
「確かに可愛いわ。どこで売ってる奴なん?聞いた?」
「いやー、えと、あの。…なんか、手作りみたいで。ほら私凄いドジだから、なんか普通じゃ切れにくいような頑丈な作りにしてくれたらしく…」
「「は!?手作り!?」」
あ。ハモった。
いや。気持ちはわかる。驚くよね。本当売り物並みのクオリティだもんね。
「──手作り。ネックレスを手作りしてプレゼント…重い。思ってた以上に重い男ね、黒羽君…」
「──いや、まじで売り物並みにクオリティ高くてめっちゃ可愛いけど。…手作りのネックレスを付き合いたての彼女にって──クロバ、イタい」
なんか2人してぼそぼそと話だした。
おーい、聞こえてますよ、お二人さん!
何さ。貰った私は嬉しいからそれでいいじゃないか!黒羽君は痛くないし重くもない!はず!きっと!
私がそうしてむくれていると、2人が笑った。
どうやら全力でからかわれていたようだ。
酷すぎる。会ったばかりで意気投合しすぎだよ!
からりん、と軽快なベルの音を立てた店から出る。
また来ようね、と話をしながらわいわいと歩き出していた、その時だ。
1番最初に異変に気付いたのは哀ちゃんだ。
ば、っと辺りを警戒した姿は、とても小学生には見えなかった。
でも、少し遅かった。
気付いた時には馨ちゃんが軽く呻いて足を抑えながら屈み込んでいた。
脹脛を抑えている指の間から、血が滴り落ちる。
いきなりの事すぎて、私の頭は真っ白になった。
「…なっ!?馨ちゃん!?」
大丈夫!?と言おうとしたその直後に起こった出来事は、なんだかやけにスローモーションに感じた。
考えるより先に身体が動いたって言ったとしても。
馨ちゃんは怒るし、悲しむだろう。
それでも。
突進してくるガタイの良い男が、包丁を持って馨ちゃん目掛けて来るのを目の前にして。
思わず身体が動いてしまったとしか、言いようがない。
私のこの、異常な身体の再生能力が馨ちゃんにバレたあの日もそうだった。
馨ちゃんと一緒に暗くなるまで遊んでて。
子供ってどうしてか廃墟みたいなとこで遊びたいもので。ドジばっかりな私は、中々そういうところで一緒に遊ぶ友達も居なくて。
馨ちゃんだけが、そうして一緒に遊んでくれた。
あんな場所で遊んでいたせいか、子供のころからべらぼうに可愛い馨ちゃんを狙って、おじさんが襲いかかってきて。
必死におじさんを引き剥がそうとその太腕にしがみ付いた私を、ふり払おうと手を振り上げたおじさんの力か、ドジが相乗効果で働いたのか。
見事にふっ飛ばされた私がどっかに頭をぶつけて血塗れになったことにびびったおじさんが勝手に逃げてったから、まあ事なきを得たんだけど。
涙が溢れんばかりの馨ちゃんに、慌てて「ほら見て、大丈夫私すぐ治るから!」って言ったら「ふざけんな!」って大泣きながら返された。
痛くて泣きたかったんだけど、そんな馨ちゃん見てたら涙も引っ込んだのを覚えている。
それ以来、馨ちゃんはどんどんと強くなってった。
きっとずっと。馨ちゃんは後悔してたのに。
ごめんね。また、やっちゃった。
「──杏っ!!」
「杏さん!?」
腹部に激痛が走った。熱い、痛い、なにこれ。
息が上手く出来ない。
抜けるような息を吐きながら、なんとか意識を保とうと試みる中で見えたのは。
足から出る血をそのままに、馨ちゃんが私を刺した男を伸してる姿と。
手早く救急車を呼んで、的確に状況を説明しながら行き先を東都大学医学部附属病院に指定している哀ちゃんの姿だ。
「動かないで。怖いだろうけど包丁抜くわけにはいかないから。刺された周囲を圧迫して固定させるけど、意識失わないように。ここで意識飛んだら死ぬと思って我慢して」
──貴女の体質じゃ、むしろ抜いた方がいいかもしれない。肉の再生に異物が入り込んだままだと、きっと激痛を伴うわ。
小声でそう伝えられ。
「でも、ここでこれを抜いて大量出血したらどうなるかわからないから、抜くわけにもいかないの。いい?とにかく死ぬ気で頑張って」
そんな恐ろしい応急処置を受け、物凄い痛みが腹部を襲う中、なんとか必死に意識を保ちつつ。
錯乱したかのように怒り狂う馨ちゃんが男を殺してしまわないかが心配だったが、驚き出てきた店の人数人がかりで取り押さえられてた。
馨ちゃんも足怪我してるんだから、無理しちゃダメだよ。落ち着いて。そう言いたいのに痛みで全く声が出なかった。
哀ちゃんが店の人に馨ちゃんの足の処置の説明と、警察への連絡をと、次々と指示を出している。
痛みに朦朧とする頭で、本当、この子凄いなぁと感心してしまう。
でも、その瞳は心配に揺れているのがわかってしまって。
ごめんね。哀ちゃんも馨ちゃんも、本当勝手してごめん。
謝りたいけど、やっぱりあまりに痛くて声も出なくて。
救急車が到達した時点で、ほっとしたのか。痛みに耐えきれなかったのか。そこからの記憶がぱたりと途絶えた。
ピ ピ ピ ピ
一定のリズムを奏でる機械音が聞こえて。
ふわふわと意識が浮上した。
瞼が妙に重たくて、中々開けそうにない。
意識だけが上昇しているのかな、とぼんやりと思う。
瞼の奥に光が入らないので、今は夜なのだろうか。
時間の感覚がわからない。
なんだか口の中が酸っぱい。
あれ。いつのまに吐いたんだろう。
鼻に残る消毒液の匂い。動かない右手は点滴だろうか。
これまた、細胞が戻ろうとするのか、針が刺されているであろう場所が妙に痛い。
ここは、病院なのかな。
だめだ、救急車が見えてからの記憶が曖昧で。
なんか同じく重症患者で、救急車乗る側の筈の馨ちゃんが私が付き添うとか叫んでて、哀ちゃんが絶対零度の空気で諌めてた気がする。
馨ちゃんや哀ちゃんは大丈夫かな。
ぐるぐるとまとまらない思考を巡らせる。
そもそも、起きてもいないこの状態は、夢か現かもわからない。
腹部の激痛という訴えによって、何とか今が現実であると認識しているだけだ。
ふと。
からり。と音が聞こえた。
肌を掠める肌寒さに、窓が開いたんだ、と感じる。
音もなく忍びよってくる気配が、なんとなくわかった。
え!?とか
誰!?とか
怖い!!とか
いつもの私だったら思っていただろう。
でも。
意識だけがふんわりと浮上していた私は、近寄る気配が私を害さないことを何となく理解していた。
それだけじゃなく。
「──杏」
消え入るような、今にも泣き出しそうな声が聞こえたから。
何かを確かめるかのように頬に触れる感触は、つるりとした布越しのもの。
その指先が、少し震えていた。
「──杏」
再び小さく呟かれた声は、私の大好きな人の声だ。
震える指先を、今にも泣き出しそうな声を。
大丈夫だと包んであげたいのに。
うまく体が動いてくれない。
この手袋越しの感触を。私は知っている。
それが。
誰のものかも知っている。
何も見えてないのに。
すとん、と心の中に何かが落ちた。
それは、決して驚きだけじゃなくて。
なんだか、妙にしっくりと心に嵌ったのだ。
ああ。そうか。
キッドさんだったんだね。
またも遠のく意識の中で、ただただそう思った。