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土曜日。今日は黒羽くんと一緒のシフトの日だ。
先日黒羽くんにメールを送って、それに簡単な返事が返ってきてから特に私からも彼からも連絡はなく、黒羽くん自身として会うのは丁度一週間ぶりだ。まだ飛行船での事件から一週間も経っていないということに驚きである。けど、私のかぶれは着実に治ってきていて、確かに進む時間の流れを思い知らされる。

「…怪盗キッド、か」

なんとなく会うのが緊張する。
黒羽くんが怪盗キッドだということを知ったとは言っても、彼からその事について説明があったわけじゃない。私がソワソワしてしまっていたら、黒羽くんにだって気を使わせてしまう。それはダメだ。
平常心、平常心。いつも通りに挨拶して、いつも通りに一緒に仕事をする。黒羽くんが聞いて欲しいなら話を聞くし、そうでないなら私は何も聞かない。彼がキッドだと知ってはいるけど、それ以上踏み込むことをしない。それでいいじゃないか。何もソワソワする必要なんてない。
しっかりしろなんて思いながら開店の準備を進めていたら、入口のドアが開いた。

「おはよーミナさん」
「あ…、…おはよう、黒羽くん」

へらりと笑いながら黒羽くんが店内に入ってくる。平常心なんて言っておきながら挨拶が一瞬遅れてしまった。しっかりしろ平常心!
全然平常心を保てていない私を他所に、彼は全くいつも通りだ。レジカウンターの内側に入って荷物を置くと、エプロンを着けながら私に近付いてくる。

「今日はどんな感じ?」
「えっ、えっと、…あ、発注しなきゃいけないものが結構ありそう…取り寄せの問い合わせもあるから確認しないと」
「おっけ。じゃあ、いつもと同じ時間には終わりそうだよな」

ん、どういう意味だと思いながら黒羽くんを見れば、彼はレジカウンターに頬杖をついている。カウンターの位置が少し低いから今彼の頭は私よりも低い位置にあり、自然と見下ろす形になりながら私は首を傾げた。

「ミナさん、今日仕事終わった後少し時間ない?」

唐突な言葉に目を瞬かせる。
今日仕事が終わった後。これといって決まった用事がある訳では無い。帰って透さんと一緒に夕飯を作るくらいだが、それはもはや日課だし透さんの帰ってくる時間もまちまちな為私の帰りが多少遅くなったところで問題はない。

「…特に用事はないけど…」

でもどうして、と聞けば、黒羽くんはほんの少しだけ眦を下げて笑った。

「話、したくて。言ったじゃん?ミナさん、話してくれるなら聞く、もちろん口外しないってさ」

言った。飛行船でキッドとの別れ際に、秘密を共有しても良いかと言われて…私はそう答えたのだ。
少し前、毛利さんが逮捕された時にクレープを奢ってもらって、その時黒羽くんは何も聞かないと言った。話したいなら聞くけど、聞いても聞かなくても私のことを心配しているのは変わらないと。
私はその言葉がとても嬉しくて、その言葉に救われて、とてもほっとしたのだ。だから私もそうでありたいと思ったし、話してくれるなら聞くけどこちらから聞き出したりするつもりは一切なかった。
だから…このまま少しずつ何事も無かったように黒羽くんとの関係は続いていくのだと思っていたけど、彼はそうではなかったらしい。

「…話してくれるの?」
「話したいんだ。…不思議だよな、なんでだろう。誰にも俺の秘密は話したいと思ったことは無いのに…ミナさんには、知ってて欲しいって思ったんだ」

そう言って、黒羽くんは少し困ったように笑った。
その顔はいつもの黒羽くんの顔にも…キッドの顔のようにも見えて。酷く曖昧で。どう笑ったらいいのか迷っているような、そんな表情だった。
黒羽くんにしろ、怪盗キッドにしろ、どちらもいつも自信に満ち溢れているのが普通だった。けど、果たして本当にそうなのだろうか。
黒羽くんはまだ高校生だ。何故怪盗をしているのかは知らないけど、きっと深い理由があるはず。何かを背負って怪盗をしているのだとしたら…いつもの彼が自信に満ちていたとしても、ずっとそうであるはずがない。
黒羽くんだって悩むし、立ち止まるし、不安になることがある。それが誰にも話せないような秘密だとしたら尚更のことだ。
だったら。

「…うん。聞かせて。誰にも話さないし、黒羽くんの秘密は…私の秘密にするから」

秘密を共有出来る人が身内以外にいるというのはきっと、心を支える力になるかもしれない。
私が頷くと、黒羽くんはほっとしたように微笑んだ。


***


「俺の親父、黒羽盗一って言って…世界的に有名なマジシャンだったんだ」

嶺書房の閉店後、外のシャッターを半分だけ閉めて入口のドアに鍵をして、私と黒羽くんはレジカウンターの内側で向かい合って座っていた。
どこか落ち着いた場所に移動しようかとも思ったが、閉店後のここが外部から接触もなく落ち着いて話せる一番の場所と考えたらしい。…本当は黒羽くんこと怪盗キッドの協力者として補佐をしてくれている寺井さん(テライと書いてジイと読むそうだ。黒羽くんはジイちゃん、と呼んでいる)の経営するビリヤード場に移動することも考えたらしいが、今日のところはここで、ということになった。

「黒羽盗一…」
「そう。八年前、マジックの最中に不慮の事故で死んだ…ってことになってる」
「…そういう言い方をするってことは、それが真実じゃないってことだよね」
「さすがだね、ミナさん」

黒羽くんが小さく笑って肩を竦める。

「実際は殺されたんだ。…ビッグジュエル・パンドラを狙う組織に」

殺された、という言葉に小さく背中が震える。
ビッグジュエル・パンドラってなんだ。どうして黒羽くんのお父さんが殺されなくてはならなかったのか。マジックの最中、不慮の事故に見せかけて殺害するなんて悪質極まりない。

「…どうして、」
「実はさ、初代怪盗キッドが俺の親父で、俺は二代目。親父はビッグジュエル・パンドラに手を出した。だから、それを狙う組織に殺されたんだ」
「ちょっと待って、そのパンドラって…人の命よりも重いものなの?」

黒羽くんの話が突飛すぎてややついていけなくなる。
黒羽くんのお父さんである黒羽盗一さんが初代怪盗キッドで…パンドラとかいうものに手を出したから、それを狙う組織に殺された?
そもそもそのパンドラっていうのがどういうものかはわからないけど、誰かを殺してまで手に入れなければならないようなものなのだろうか。…そんなはずない。

「不老不死になれるカギ、らしいぜ」
「…不老不死…?」

そんなもの、あるわけがない。そう思うが、黒羽くんの目は真剣だった。
…きっとそのパンドラで不老不死になれるなれないは関係ないんだ。黒羽くんがキッドになるのはそのパンドラが根本的な理由ではない。

「決めたんだ。親父を殺したヤツらがパンドラを探しているんなら…ヤツらよりも先にパンドラを手に入れて、そいつらの前で粉々に砕いてやるってさ」

それは、黒羽くんの覚悟の誓い。それが、彼が怪盗キッドになる理由。
この世界にはまだまだ私の知らないことがある。黒羽盗一という天才マジシャンのことも知らなかったし、そもそも怪盗キッドにそういう理由があったなんていうことも知らなかった。それは黒羽くんの秘密だから知らなくて当然なのかもしれないけど、なんとなくもどかしい。

「…じゃあ…黒羽くんが怪盗キッドになってビッグジュエルを狙うのは、パンドラを探しているから、なんだね」
「そういうこと」

キッドが折角盗んだ宝石を最後には返してしまうのも、その宝石がパンドラではないから。キッドが狙うのはパンドラただ一つで、それ以外のビッグジュエルは関係ないのだろう。

「パンドラってのはさ、宝石の中にもう一つ別の宝石が入ってるんだ。けどパッと見ただけじゃそれはわからない。パンドラかどうかを見極めるには…月の光にかざすしかない」
「月の光にかざす?」

月の光にかざすってどういうことだろう。首を傾げると、黒羽くんはレジカウンターの上に転がっていた消しゴムを手に取り、それを手の中で軽く転がして人差し指と親指でつまんだ。

「こんなふうに。月の光にかざすと、もしそれが本物のパンドラだったら中にもう一つの赤い宝石が見えるはずなんだ」

消しゴムを持った手を、天井の電気にかざして見つめる。
…なるほど。月の光にかざして透かすのが、パンドラを見つけ出す唯一の方法。
でもビッグジュエルなんて簡単に言うけど、パンドラ候補であるそれは世界中に散らばっているはず。それを一つ一つ盗み出し、月の光にかざしてパンドラかどうかを確かめるその繰り返しは…想像以上に過酷なものなのではないだろうか。期待を込めて盗み、違った時の落胆もあるだろう。もう嫌だと投げ出したくなることもあるんじゃないなな。そんな途方もないことでも、きっと黒羽くんは。

「…どんなに大変でも…黒羽くんは、探し続けるんだね」
「うん。決めたことだから」

柔らかく笑いながら、黒羽くんは手を下ろして軽く肩を竦めた。
彼が怪盗キッドで在り続ける理由。やっぱり彼は悪人なんかじゃなかった。犯罪者だけど、怪盗だけど、それでも黒羽くんは黒羽くんだ。
ならば私の彼に対する見方も、これからの関係も、何も変わることは無い。彼の為に私なんかが何か出来るってことはないと思うけど、秘密を知る人物がいるだけできっと気持ちは楽になると思う。

「…事情はわかったよ。そんな秘密、話してくれてありがとう」
「ううん。むしろ、聞いてくれてありがと。…話しといてなんだけど、忘れてくれていいからさ」
「忘れないよ」

絶対に忘れたりなんかしない。
秘密を打ち明けるのは勇気のいること。それもこんなとっても大切なことを話してくれて、それを忘れるなんてとんでもない。

「黒羽くんの秘密は私の秘密でもあるよ。誰にも話したりしないし、忘れたりもしない」
「ミナさん」
「…でも、だからね。…絶対に捕まったり、しないでね」

黒羽くんが見つかるところは見たくないと思った。彼が怪盗である理由がパンドラならば、きっとその目的を果たしたら怪盗キッドは人知れず消える気がする。そしていつか、普通の学生として黒羽くんが生活出来る日々が来れば良いと思う。その日まで、捕まらないでいて欲しい。
黒羽くんはきょとんと目を瞬かせていたが、すぐに嬉しそうに笑った。

「…トーゼンだろ?俺を誰だと思ってんだよ」
「わかってるよ。でも、心配なの。どんなに万全でも…信じられても、それでも大事な人が危険な目に遭っていたなら心配はするよ」

それは透さんにだって言えることだ。
彼はあらゆることにおいて完璧で、とても強くて。私なんかが心配することは無いのかもしれない。それでも大切な人のことを心配する気持ちは、無くそうとして無くせるものでもない。
黒羽くんにも無事でいて欲しい。

「…あー…もう…」

黒羽くんは頭を抱えると、レジカウンターに伏せて呻いた。
…なんでそんな反応をされるのかわからないけど、何なんだろう。首を傾げて見つめていたら、黒羽くんは私の方に首を向けて小さく溜め息を吐いた。

「……ミナさんのこと好きだなぁ」
「えっ?」
「一緒にいるとほっとする。すげー安心する。…ありがと、ミナさん。…ミナさんに話してよかった」

へら、と笑う黒羽くんに私も笑みが浮かんだ。
黒羽くんはレジカウンターに頬杖をつくと、私を見上げながら眦を下げる。

「なぁ、俺のこと快斗って呼んでみない?」
「え?どうしたの突然」
「ミナさんって知り合いっつーか友達っつーか、そういうの大体名前で呼ぶじゃん」
「えぇ…?そうかなぁ…」

少年探偵団の子達や蘭ちゃんや園子ちゃん、透さんのことは確かに名前で呼ぶけど…、…確かに名前で呼んでるな。透さんは呼んで欲しいと言われてから呼び慣れるまでに時間がかかったが。…そりゃ好きな人だもん、友達の呼び方を変えるのとはわけが違う。
快斗…、…快斗かぁ。…さすがに呼び捨てにするのは気が引けるし私も慣れないから。

「…それじゃ、快斗くん」
「くんいらねーんだけど」
「私呼び捨てにするの苦手なんだもん。ね、快斗くん」

この距離感が丁度良いのだ。黒羽くん…改め、快斗くんは少し不満そうな顔をしていたけど、やがて頭を掻いてまぁいいかとぼやきながら苦笑した。
きっと彼なりの甘え、なのかもしれないな。快斗くんが頼れる人、甘えられる人というのは多分相当に限られるはず。息苦しくなることもあるだろう。
そんな時に、快斗くんが少しでも呼吸がしやすくなる手伝いが出来たらいいと思った。


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