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空は快晴。夏も近付く時期、気温は高めである。スマホで調べた天気予報によると今日は一日中よく晴れて雨の確率はゼロパーセント。気温は二十七度まで上がるだろうとのことだった。
そんなわけで今日の私の服装は、半袖のシャツにデニムパンツ、薄手のカーディガンという薄着だ。それでも日向を歩いていると少し汗ばむくらいである。
先日病院に行った際、腕の怪我の完治までもう少しだろうとのお言葉をいただいた。先生の言葉通り相当無茶な動きをしない限り痛みもないし、ある程度の重いものも持てるようになった。銃で撃たれた痕だし、皮膚がつったような違和感は完全になくなるまでにかなりの時間がかかるだろうとのこと。傷跡も完全には消え切らないと言われたけど、二の腕のあたりだしさほど目立たないから正直あまり気にしていない。腕の傷の包帯も取れた。
お腹から背中にかけての刺傷と言い、腕の弾痕と言い、歴戦の勇者みたいな体だななんて思ったりして。思わずくすりと笑った。

のんびりと住宅街を進んでいくつめかの角を曲がり、そうしてしばらく進めば丸いフォルムのお家が見えてくる。阿笠博士のお家だ。
今日は、少年探偵団の子供達が博士のお家に遊びに来るから、良かったらミナさんもと博士からお誘いを受けたのである。少年探偵団の子供達とは、コナンくんと哀ちゃんを除いて記憶を失った時に会ったきり。哀ちゃんに至っては会うのは大分久しぶりだ。
コナンくんから私の状況は聞いてるだろうけど、すっかり会いに来るのが遅くなってしまったことが心苦しい。ものすごく心配をかけてしまっただろうなぁ。
元太くん、光彦くん、歩美ちゃん、コナンくんからもらった折り鶴は丁寧に畳んで鞄の中に入れてある。私のお守りだ。

「こんにちはー」

阿笠博士のお家の前までやってきて、インターホンを押してご挨拶。すると、インターホンから声が聞こえるよりも前に家のドアが勢いよく開いた。

「ミナ姉ちゃん!!」
「ミナさん!!」
「ミナお姉さん!!」

転がるように飛び出してきた小さな三つの影。元太くん、光彦くん、歩美ちゃんだ。彼らはドアを飛び出して一度足を止め、門前に立つ私を見てあんぐりと口を開けた。

「こんにちは。…皆元気だなぁ」

へらりと笑えば、三人は飛び出してきた勢いはどこへやら顔を見合わせてもじもじとしている。視線を交わし、時折こちらをちらちらと見つめてはどうしたら良いかわからないと言うように下を向く三人の姿に、私は目を瞬かせたまま首を傾げる。
…え、なに。どうしたの。

「おいおめーら、何してんだよ」

そんな三人の後ろから声をかけたのはコナンくんだ。コナンくんの声に勢いよく振り向いた三人は、再び顔を見合わせて視線を落とす。

「コ、コナン…」
「いや、そのぉ…」
「…だって…、…えっと、」

子供達の返答はやはりはっきりしない。その様子に、コナンくんは深い溜息を吐いて肩を落とした。
本当にさっきまでの元気はどうしたんだろう。いつもの子供達らしくないし、少し心配になる。
とりあえず中に入っても大丈夫かなと思いながら、門を潜って私は子供達の少し手前で立ち止まる。…なんとなく近付くのも気が引けるというか…子供達が動かなくなってしまった以上、私からその距離を詰めるのもなんだか変な気がしてしまって。
どうしたものかなと思っていたらコナンくんが動いた。コナンくんは元太くん達の横を抜けて私の側まで来ると、ちょいちょいと私の袖を引いた。…耳を貸せってことかな。その場にしゃがんでコナンくんに耳を近付ける。

「ミナさん、あいつらのこと呼んでやって。多分あいつら、ミナさんの記憶が戻ってるのか自信ないんだ」
「…あ…」

コナンくんに言われて目を瞬かせた。
…そうか。お見舞いに来てくれた時、私を気遣った子供達が初めましてと挨拶したのを思い出す。…そりゃ、声も掛けにくいよね。友達が自分のことを忘れてしまって…記憶が戻ったと人伝に聞いたところで、本人を前にして怯むのは当然だと思う。まだほんの子供なら尚更だ。
情けないな、と思う。そんなことにも気付かないで…子供達に気を遣わせるだけ遣わせて。
顔を上げると、三人はどうしたら良いかわからないといった表情でこちらを窺っている。
記憶と向き合う勇気に繋がるきっかけをくれたのは子供達だ。なら、歩み寄るきっかけは私から。

「元太くん」

「光彦くん」

「歩美ちゃん」

しっかり目を見て、一人一人の名前を呼ぶ。すると子供達は少しだけ身動ぎして、戸惑いながらも私をじっと見る。不安にさせてごめんね、心配かけてごめんね、そんな気持ちが溢れて、それと同時に優しい子供達が愛おしくてたまらなくなった。

「ただいま」

なんだか泣きそうになってしまって、引き攣った不細工な笑みしか作れなかったけど…子供達はその言葉に息を呑むと、三人顔を見合わせてから今度こそ勢い良くこちらに向かって駆け出した。

「ミナお姉さん!」

歩美ちゃんが飛び付いてきて、その小さくて温かい体をぎゅうと抱き締める。その後ろから元太くんと光彦くんもやってくる。

「ミナさん、…もう、大丈夫なんですか?」
「うん、元気になったよ。今度ドローン飛ばそうね、光彦くん」
「オレ達のこと、わかるんだよな!?」
「もちろん。…しばらくの間、少年探偵団を無断でお休みしてしまって申し訳ありませんでした、リーダー」
「い、いいってことよ!……なぁ、むだんって何だ?」
「何の連絡もしないでってことですよ」

元太くんと光彦くんも少し照れ臭そうに、それでも嬉しそうに笑ってくれる。歩美ちゃんを抱きしめるのをそのままに、もう片方の腕を広げれば元太くんと光彦くんも飛び付いてくる。三人まとめてぎゅうと抱き締めると、三人はけらけらと笑い声を上げた。
…考えてみたら、この世界に来て初めて会ったのはこの子達だった。不審でしかない私に声をかけて、助けようとしてくれた優しい子供達。この世界に来てすぐにこの子達に出会えたのは、この危険な街ではとても運が良かったんだと思う。
見れば、私と三人の様子をコナンくんが微笑ましそうに見つめていた。さすがに私の腕では子供三人でいっぱいだけど、後でコナンくんと哀ちゃんにもぎゅーってしたいな。許してくれるかな。

「いつまでやってるの、あなた達」

なかなか入ってこない私達に痺れを切らした様子の哀ちゃんが、呆れたような表情を浮かべて玄関先に立っていた。へらりと笑えば、彼女は仕方ないわねと言わんばかりに溜息を吐く。

「哀ちゃん!哀ちゃんもおいでよ!」
「私はパス」

歩美ちゃんが哀ちゃんを呼ぶけど、彼女はいつも通りクールである。哀ちゃんはやれやれと肩を竦めて家の中を指差した。

「博士が首を長くして待ってるわよ。せっかくの揚げたてドーナツが冷めちゃうって」
「揚げたてドーナツ!!おいおめーら行くぞ!」
「あっ元太くん待ってくださいよ〜!」
「コナンくんとミナお姉さんも、早く!」

哀ちゃんの一言に目の色を変えた子供達が、我先にと家の中へと戻っていく。…揚げたてドーナツか、それは大変に魅力的だ。私も是非ご馳走になりたいと考えたらごくりと喉が鳴った。恥ずかしい。
駆けていく子供たちの背中を見送ってから、私はコナンくんと哀ちゃんをそれぞれ見る。コナンくんと哀ちゃんは不思議そうに目を瞬かせている。…さすがにハグさせて欲しいなんて言っても素直に聞いてくれる子達じゃないよなぁ…大人びてる子達だし…。

「?…なによ、その顔」
「…え、私今どんな顔してる?」
「物欲しそうな変な顔」
「ははは」

私ってそんなにわかりやすいのだろうか。
うーんと考えてから、ぱ、と両腕を広げてみた。案の定二人から刺さる冷たい視線である。
…そんな顔しなくたっていいじゃないか。元太くんも光彦くんも歩美ちゃんも喜んで飛び付いてきてくれたのに、やっぱりこの二人は一筋縄ではいかない。

「……ミナさん何してるの?」
「ハグ…したいな…と思いまして」
「バカじゃないの」
「バカじゃない!」

私は真剣である。む、と口を尖らせて反論すると、コナンくんと哀ちゃんは顔を見合わせた。私は手を広げたまま、じっと待つ。こうなれば持久戦というか…私から折れるつもりはない。
半ば睨むような顔になっていたのかもしれない。先に折れたのは、哀ちゃんだった。
彼女はじっと私を見つめてやがて溜息を吐き、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。それから、ぽす、と私の肩口へと寄りかかった。

「…良かったわ、元気そうで」

その一言。たった一言だったけど、その声からどれだけ心配してくれていたのかを感じて胸が詰まった。哀ちゃんは顔を上げて、ほんの少しだけ困ったように笑う。

「ほら、江戸川くんも」
「えっ、オレ?」
「まさかあなただけ来ないつもり?」

哀ちゃんがじろりとコナンくんを見つめると、彼は困ったように視線を泳がせていたが…私と哀ちゃんの無言の圧力に耐えきれなくなったらしい。諦めたように肩を落とすと、おずおずとこちらに近付いてくる。
今度こそ私は、二人を両腕にぎゅうと強く抱き締めた。

「わっ、ちょ、…ミナさん、」
「…全く、力加減くらいしなさいよ」

…かけがえのない子供達。少年探偵団の子供達に、私は今までどれだけ支えられていたのかを実感する。
記憶を取り戻せて良かった。コナンくんに、哀ちゃんに、元太くんに、光彦くんに、歩美ちゃんに…もう一度、“会えて”良かった。

「…おかえりなさい」

哀ちゃんに耳元で囁かれて、嬉しくて、泣きたくなった。


***


「本当に元気になって良かった」
「ご心配おかけしてしまってすみませんでした」
「元気になってくれたならいいんじゃよ」

その後、阿笠博士のお家のリビングで揚げたてのドーナツをいただくことになった。博士手作りのプレーンドーナツは程よい甘さですごく美味しい。少しだけ油っこいけど、それが冷たいオレンジジュースととても良く合うのだ。じゅわ、と口内で溢れる油がたまらない。
阿笠博士も私の快復を喜んでくれて、柔らかく笑ってくれる。…ほんと、私はこの世界での人間関係に恵まれている。恵まれすぎてちょっと怖いくらい。
たくさんの人に支えられて、たくさんの人の恩を受けて私は生きている。コナンくんと随分前にした、ちゃんと生きるって約束を…これからも、守っていかなきゃと思う。

「それにしても、ミナさんは巻き込まれ体質というか…少し危なっかしいのう。安室さんも気が気じゃなかろうて」
「うっ耳が痛い」

自覚はある。
この歳になるまで大きな怪我や病気もすることなく健康に育ってきたけど…、…いや、前の世界で働いていた時は正直いろいろぶっ壊れていたような気もするけど…。……記憶を無くしていた時の間のことは、きちんと覚えている。…点滴を引っこ抜こうとするなんておかしかったとしか言い様がない。
とはいえ、大怪我という意味ではほぼ無縁の人生だったわけで。この世界に来てから生傷が絶えないというのはなんとなく思っていたことだ。感覚を無くしかけたり、背中からブッスリ刺されたり、銃弾の雨から逃げながらあちこちに掠り傷を負ったり、スマホが暴発して手のひらに火傷を負ったり、…まさか銃で撃たれることになるなんて思ってなかったというか。いやそれにしても怪我し過ぎである。いくら犯罪率が高い街とは言え、私今までよく生きてたななんてちょっと思ったりする。

「どれ、今度ミナさんにも何か役立つ道具を作ってあげようかの」
「えっ、そんな申し訳ないです。探偵団バッジだけでも充分すぎるくらいなのに。私がもっと日頃から警戒心を持って過ごせば…」
「探偵団バッジではスマホが使えない際の連絡手段くらいにしかならんじゃろ。人生何が起こるかわからんぞ、備えあれば憂いなしじゃ」

阿笠博士は、任せておけぃなんて言いながらどんと胸を叩いているけど…そんな甘えてしまっていいのだろうか。

「ボクも、ミナさんには防犯グッズみたいなものがあった方がいいと思うよ。作ってもらいなよ」
「コナンくんまで…」

今までの私の行いが悪いのは重々承知だけど、コナンくんにまで危なっかしいと思われてしまっているのは情けなさが過ぎる。埋まりたい。
そんな発明品の話をしていたら、元太くん達が声を上げた。

「なんだ?!博士の新しい発明か?!」
「今度は何を作るんですかー?!」
「歩美達にも教えてー!!」
「君達には夏に向けて、夏にぴったりの発明品を作製中じゃよ。あっと言わせてみせるぞい!」

わいわいと盛り上がる子供達を横目に、オレンジジュースをこくりと飲み込んだ。
警戒心を持って過ごさなきゃ、なんて思った直後だけど、平和な光景に頬が緩む。記憶を取り戻さなかったら、こんな気持ちになることもなかったんだろうなぁ。

「だらしない顔してるわよ」
「へへ…なんか嬉しくって」
「全く…しっかりしなさい」
「ふふ、はぁい」

隣に座っていた哀ちゃんが、呆れたような顔で溜息を吐いた。それから、不意に何かを私にそっと握らせる。
…なんだろう。こそりと渡されたそれに目を瞬かせ、そっと手を開いて見てみれば鮮やかな紫陽花色が目に飛び込んできた。
小さな折り鶴。それに息を飲んで、はっとして哀ちゃんを見るけど、彼女はつんとそっぽを向いてしまっている。

「哀ちゃん、これ…」
「渡せなかったから。いらないなら捨てて」

捨てるはずなんてない。
お見舞いに来てくれた子供達からもらった、折り鶴。哀ちゃんには会えなかったけど、哀ちゃん…用意してくれていたんだ。…緩んだ頬は戻らない。じわじわと嬉しさが湧き上がってきて、私はむずむずとする唇を抑えるのに必死だった。

「捨てないよ、嬉しい…。ありがと、哀ちゃん。これ、ここで開いてもいい?」
「中には何も書いてないわよ。…私、あなたと初めましてなんかじゃないもの。伝えたいことは、さっき伝えたわ」

──良かったわ、元気そうで。
先程告げられたその言葉が、きっと哀ちゃんからのメッセージなんだろう。丁寧に折られた折り鶴に視線を落とす。また宝物がひとつ増えたな。
結局むずむずとする唇を抑えきれずに、気付けば私は満面の笑みを浮かべていた。


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