Side A…5
「安室さんも彼女さんとかと来たりしたんですか?」
「え?」
「えっ?」
翌日、佐山さんと一緒に東都タワー(こちらの世界では東京タワーと言うらしい)へと向かった。この世界にいる以上連絡ツールは必要だろうということで、俺のガラケーを調達した帰りである。帰る方法を探すにもその方法すらわからないし、まずはこの日本を知ってみるのはどうだろうという彼女の提案だ。
同じ日本と言えど、世界線の違う日本。当然同じだと思っていてもほんの少しのズレがあったり、あるはずのものがなかったり、なんてことは充分に有り得る話。俺としても今自分がいる日本を知れるのは助かることだし断る理由もない。願ったりな提案に快諾したのだが、佐山さんの問いかけには目を瞬かせるしかなかった。
なるほど。東都タワーはデートスポットとしても有名だったが、こちらの東京タワーもその辺は同じらしい。話の流れはそんなところからだったはずだ。
「…あぁ、すみません。いえ、僕に恋人はいませんよ。東都タワーへも何度か行ったことがありますが、デートというわけではないですね」
女性相手だとベルモットを連れてきたことがあるくらいか。デートなんて言う空気ではない。
佐山さんは驚いて目を丸くしながら、ぱくぱくと口を開閉させている。そこまで驚くことか。
「えっ。えっ?!あ、安室さん彼女いないんですか…?!」
「はい。そんな意外ですか?」
「…恋人はいないけどご結婚はしてるとかそういうオチじゃ」
「僕独身ですよ」
逆に言えば俺は結婚して世帯を持っているように見えるということだろうか。なんというか、あまりに現実味のないことに苦笑した。
誰か女性と結婚して、一緒に暮らす?もしかしたら子供なんかもいて、休みの日は家族で出かけたりとか。ダメだな、全く想像すらつかない。自分には縁のない生活。夢でさえ見たことも無いし、俺はきっとそんな生活を望むこともないんだろう。
「安室さんが独り身…?お、おかしいですよ、だって絶対に世の女性は放っておかないでしょう…?かっこよくてなんでも出来てこんなにスマートで素敵な方なのに」
「そんなに手放しで褒められると照れますね。ありがとうございます」
そんな褒め言葉も幾度も聞いてきた言葉だ。さらりと笑って受け流せば、佐山さんはほんの少しだけ困ったような表情で小さな溜息を吐いた。
「っくしゅ、」
そして、そのすぐ後に小さなくしゃみをひとつ。東京タワーへやって来て、中に入るでもなく外から鉄塔を見つめているだけだ。寒空の下にじっとして体が冷えたのだろう。軽く鼻をすする彼女を見て、俺は辺りを軽く見回した。少し離れたところに自販機がある。
「冷えたんでしょうか。何か温かい飲み物を買ってきますよ。それを飲んだら移動しましょう。ここで待っていてください」
東京タワーももう良いだろう。俺の世界の東都タワーと見た目は同じ、恐らく中の店舗や施設もほぼ同じだろうし、それがわかれば長居する理由もない。
佐山さんをその場に残し、自販機の方へと足を向ける。
恋愛も、結婚も、今の仕事に就いてから考える暇もなかった。本来の身分を隠し、犯罪組織に潜入して早数年。自分の近しいところで、または知らないところで、友人達も死んでいった。自分の幸せだとか自分の将来を考えられるような余裕もない。
だから、という訳では無いが。この世界にいると、どこか気を抜いてしまうことが多くて困る。
インターネットのニュースを見ても殺人事件の発生率は米花町とは比べ物にならないくらい低い。それと同時に、この世界に俺を知る人物はいない。気を張っているのもいっそ馬鹿馬鹿しくなってくるほどの平穏だ。
もちろん見過ごせない事件もあるが。どっち道今の俺には手を出すことも出来ないし、一枚透明なガラスを通した向こう側の出来事でしかない。
自販機に硬貨を入れて、温かい飲み物に視線を向ける。コーヒー、紅茶、緑茶、ココア…いろいろあるが、俺は迷わずココアのボタンを押した。
この中なら、ココアが一番体を温める効果がある。ココアなら持続して体を温めてくれるし最適だろう。
がこん、と音を立てながら転がり落ちてきたココアの缶を手に、佐山さんの元に戻ろうと顔を上げる。と、彼女が誰かと対面しているのが遠目に見えた。
…男と、女?カップルのように見えるけど、知り合いだろうか。とはいえ、仲良く話をしているようには見えない。佐山さんはこちらに背中を向けてしまっているから表情は見えないが、彼女の背中が少しずつ丸まって俯いていくのがわかる。
…穏やかじゃないな。周りは雑音だらけだし、何を話しているのか声は到底聞こえてこない。ひとまず急いで戻ろうと足を動かし、少しずつ近づくにつれて…男の方に見覚えがあることに気付く。
「…あいつは、」
――…へへ、どうせ俺は殺される。なら皆道連れだ。
――全員吹っ飛べ、
思わず息を飲む。
あいつは。あいつは、俺達公安が追い詰めていた爆弾犯と同じ顔をしている。俺が佐山さんと出会う直前まで対峙していた相手。あいつの爆発に巻き込まれて俺は意識を失い、気付けばこの世界にいた。
でも、そんな。そんなことが有り得るのだろうか?あの世界とこの世界は違う。それは誰よりも俺自身が身をもって理解している。
他人の空似?偶然たまたま、佐山さんと話をしている男性があの爆弾犯と同じ顔をしていただけ?何の関係もなく本当に偶然で、手掛かりにもならない些細なこと…なのだろうか?
無意識に、歩み寄る足の速度が上がっていく。少しでもあの男性と接触しなければと強く思いながら、けれど俺は見てしまった。
く そ 、 鬱 陶 し い
男の唇が、そう動くのを。
思わず立ち止まった。鬱陶しい、それだけの言葉なのにそれは酷く暗い呪いのようであった。
男の声は聞こえなかった。聞こえるような距離に俺はいなかった。けれど、彼の唇はその呪いの言葉を佐山さんに向けていたのだ。彼は確かに、そう言った。
自分でもよくわからない憤りのようなものを感じて唇を噛む。痴情の縺れかもしれない、俺が憤りを感じるなんてお門違いにも程がある。わかっているのに、俺は強くココアの缶を握り締めていた。
男と女がその場から立ち去り、残された佐山さんはぼんやりと立ち尽くしている。小さく息を吐いて、小走りで彼女に駆け寄る。
「佐山さん、お待たせしました。…佐山さん?」
ぽんと肩を叩けばびくりと身を竦ませる。慌てて振り向く彼女は泣いてこそいなかったが、その表情はどこか頼りなく心許無い様子が見て取れた。
「すみません、驚かせてしまいましたか。声をかけても反応がなかったので…」
「と、とんでもないです…!ありがとうございます、わざわざ買ってきて頂いちゃって…」
俺が差し出したココアを受け取りながら、佐山さんは口角を上げて笑った。とてもじゃないが笑えるような様子ではなかったというのに、無理矢理何事も無かったかのように笑う彼女に目を細める。
「…何かありましたか?顔色が悪いですよ」
「いいえ、大丈夫です。東京タワーの上の方ばかり見てたら、ちょっと目が回っちゃいました」
それとなく問いかけても、さらりとかわすような返答しか返ってこない。ああ、これは言い訳に慣れているなと悟る。
何か問い詰められても、何でもないと言い繕うことに彼女は慣れている。辛いことも悲しいことも全部抱え込んで、表面上笑うことに慣れている。嫌な感じだと思った。
あつ、なんて言いながらココアを口に運ぶ彼女を見つめるが、彼女は俯いてしまってその表情は伺い知れなかった。
…彼女が何でもないと言うのなら、俺がそこに深く踏み込むわけにはいかない。俺は所詮他人。今は彼女の力を借りなければいけない状況でも、いずれ俺は彼女の前から姿を消す。変な情でも湧いたらお互いに困る。
全身で、これ以上何も聞いてくれるなと拒否しているような彼女に俺は何も言うことが出来ない。俺に出来るのは…知らないふりを、することだ。
「…そうですか。貧血かもしれませんね。今日はもう帰りましょう。携帯も購入出来ましたし、東京タワーも見れましたから。遅めになってしまいますが、ランチは僕の手作りパンケーキなんてどうです?」
「…安室さんの作るパンケーキ、食べたいです」
「任せてください。それじゃあ、買い物をして帰りましょう」
俺がこれ以上追求しないとわかったのか、佐山さんはようやくほっとしたように微笑んだ。
***
とは言え、俺も気になることはとことん気になってしまう質である。知らないふりをすること、それが一番良いとわかりつつ、俺はつい言ってしまった。
「佐山さんは、何の為にお仕事をなさってるんです?」
彼女が、仕事を辞めるのだと言った。予想していたことだ。ろくに食事も睡眠も取らないような生活を送り、酷く疲労していることくらいわかっていた。だから彼女が仕事を辞めるのだと言った時もやはりという感想しか抱かなかった。俺は初めてその事を知ったような顔をして、「そうなんですか」とでも言えばよかったのだ。
なのに彼女が仕事に疲れていたであろうことを口にし、更には何の為に仕事をしているのかなんて言ってしまった。間違った選択だと理解しつつも、言わずにはいられなかった。
「誰かの為。自分の為。好きだから、楽しいから。理由なんていくつあったっていいんですよ。…あなたは優しい人だから、きっと欲を持つことを忘れてしまっていたんでしょうね」
欲がないというのは、目的以前の問題だ。このままでいいのかとか何の疑問も抱かずに、考えることをやめて自分を蔑ろにした結果。
「…安室さんも、何かの為に…って思いながら働いてるんですか?」
「はい。欲深いもので、理由はたくさんあるんですよ」
友の為。約束の為。俺を信じてくれる部下達の為。国の為。
人々の笑顔の為、なんてことはさすがに言えないが、皆が笑える国であればいいとは思う。
たくさんのものを取り零してきた。もう取り零したくはない。大切なものは、全部守りたいし叶えたいのだ。
「そっかぁ、」
佐山さんは小さく笑う。ほんの少しでも、彼女の気持ちが軽くなればいい。
「今までよく頑張りましたね」
そう言うと、佐山さんはぱちりと目を瞬かせた。頑張りを褒められたことも、許されたこともないのだろうか。
「息抜きしましょう。…目の前に異世界人なんてものがいるんですし、多分しばらく暇潰しには事欠かないと思いますよ。……だから、協力してくださいね。飽きさせませんから」
元の世界に帰るまでどれくらいの時間が必要になるか想像もつかない。何せ何もわからない手探り状態だ。今の俺に頼れるのは、目の前の彼女だけ。要は都合の良い存在だというだけの話だ。
でも、俺が元の世界に戻る為の方法を探す協力をする、というひとつの目的があれば彼女の気も紛れるのではないかと思ったのも事実である。
自分に自分で言い訳を重ねながら、何の疑いもなく笑顔を浮かべる彼女にちくりと胸が痛んだ。
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