Side A…4

霞ヶ関からの帰りに昼間も寄ったスーパーでオムライスの材料を調達した。その際に嫌いなものはないか確認したが、佐山さんは特にないとのこと。…様子から見て、嫌いなものがないというよりは食にこだわりがない、という感じだな。まぁインスタント食品が主食なら無理もないが。断じてインスタント食品を馬鹿にする意図はない。俺も徹夜続きの時はよく助けられている。
のんびりと他愛のない話をしながら佐山さんのマンションに戻り、俺は早速オムライスの準備に取り掛かった。その間彼女は少し手持ち無沙汰な様子で俺の方を見たり、風呂を沸かしに行ったり、そうしてまた戻ってきてローテーブル前に座り込んだり。そわそわと動き回っていたが、ローテーブルの傍に腰を下ろしたきりこちらをじっと見つめられては、さすがに気になってしまう。

「すみません、お腹空きました?」

少し申し訳なさそうに言えば、彼女は慌てて首を横に振る。

「いえっ、違くて…いや、お腹は空いたんですけど…!すごい手慣れていらっしゃるなぁと思って…すみませんじっと見ちゃって…」
「料理はよくするので。もうすぐ出来るので少し待っていてください」

料理が苦手と言っていたし、まぁ無理もないのかもしれない。料理の仕上げに取り掛かりながら、ふと視界の端で佐山さんが見慣れない携帯を取り出したのが見えた。
彼女自身のスマホでは無い。彼女は携帯を確認し、暗い表情のまま小さく息を吐いた。それから何やら文字を打ち始めている。
…ここ最近ちゃんと寝られていない様子と、インスタント食品に頼りきりの生活、時間が勿体ないという発言…合わせて考えればなんとなくの察しはつく。職場の携帯だろう。彼女がどのような仕事をしているかはわからないが、恐らくはオフィス内での業務や事務作業。残業続きなのは明白だ。
ぼんやりと携帯を見つめるその姿は、どこか危うく見える。睡眠時間に関しては俺も人のことは言えないが、一体どんなブラック企業に勤めていることやら。
俺は小さく息を吐くと、用意出来たオムライスの皿二つをローテーブルへと運ぶ。

「お待たせしました」
「あっ、ありがとうございます!すみませんぼーっとしちゃって…えっ、わ、すごい」

テーブルに置けば、彼女ははっとして顔を上げた。それからすぐにオムライスに視線を移して、わかりやすく目を輝かせる。まるで子供のようだなと思いつつも、素直な反応はありがたい。
ふわふわの卵にたっぷりのデミグラスソース。我ながら自信作である。

「えっ…お店で出てくるようなやつじゃないですか…」
「そうですか?嬉しいです。デミグラスソースも上手く作れたと思うので、是非召し上がってください」

時間がない為ブイヨンから作れなかったのが残念だが、まぁそれはまた機会があればで良いだろう。
佐山さんはごくりと唾を飲むと、スプーンを手にして両手を合わせた。いただきますの声の後にスプーンでオムライスの山を崩し、そっと口に運ぶ。そして目を丸くすると、じっくりと味わうように咀嚼しながら目を細める。ほんのりと頬を染めながらもぐもぐと口を動かす彼女は、まぁなんと言うか。可愛らしいというか。
…こう、作った料理を食べてもらってはっきりとわかる良い反応というのは見ていて気分がいい。

「〜〜ッ、めちゃくちゃ…美味しいです…!」
「お口に合ったなら良かった」

オムライスを味わう彼女は、ふとぱちぱちと目を瞬かせてから何やら不思議そうに首を傾げている。…どうやらデミグラスソースが気になるようで、思わず笑みが浮かぶ。
セロリを入れていることを伝えれば、何故考えていることがわかったのかという驚きの表情。佐山ミナという女性は存外表情が豊かでわかりやすい。
俺も手を合わせて食べ始める。

「……私って、そんなにわかりやすいですか…?」
「ええ、まぁ。…佐山さん、嘘が吐けないタイプでしょう。正直者の証拠ですよ」

そう。良くも悪くも素直なのだ。流されやすく、あまり自分の意思をはっきりと伝えられないようなタイプ。…職場で面倒事を押し付けられそうなタイプ、というのは偏見が過ぎるだろうか。まぁどの道彼女から職場についての話は聞いたことがないから俺の憶測でしかない。
難儀だな、と思いながら、ポーカーフェイスを目指すと言う彼女に軽く言葉を返した。


***


食事を終えてお互いに風呂に入り、佐山さんがローテーブル前に腰を下ろしたのを見て小さく息を吐いた。
昨日と今日、集められるだけの情報は集めた。その上での俺の見解を、彼女に話さなければならない。…とは言ってもかなり突飛な話になるであろうことから、正直信じて貰えるとは思っていない。何せ俺自身が未だ信じ切れていないのだ、それを他人に信じろと強要することは出来ない。

「佐山さん」
「はい」
「僕があなたにこれから話そうとしていることは、恐らく到底信じられるようなことではないでしょう。僕の頭がおかしいんじゃないかとか、嘘を吐いているんじゃないかとか、そう思われても仕方の無い内容だと思っています」

不可能な物を除外していって残った物が、たとえどんなに信じられないものだったとしても、真実である。答えがそれしかないのなら、それが真実。当然だ。

「けれど、僕の中で答えが出たらちゃんとあなたにお話しする。そう決めていました。だから聞いて欲しいと思っています」
「はい」
「あなたにお願いしたいことも出来ました。しかし、それも断られて当然だとも思っています。…僕が言いたいのは、僕の話の内容がどうあれ、あなたにはあなたの選択をして欲しいということ。きちんと自分の意思に従って欲しいんです」

ほんの少ししか彼女についてはわかっていないが、受ける印象としては流されやすいタイプ。俺が少し強く押せば、恐らく大抵の事は頷いてしまうだろう。俺にとってそれは良いことでも、彼女のことを考えるのであれば良いこととは言えない。

「…つまり、安室さんのお願いを聞けないと思ったら、その時ははっきり断って欲しいということですか?」
「はい。…自分がどうしたいか、あなたにはあなたの意思がある。それを、ちゃんと選んでください」

自分で選ぶことが出来る。選ぶ権利がある。そのことをきちんと分かって置いて欲しいと思いながら告げると、彼女は何やら思うところがあったのか少し視線を下げて黙り込んだ。
流されるのは楽だ。自分の意見を明確にすることの方が余程難しく、苦しいことだと俺は思う。けれど流されるというのは自由なようでいて強い束縛の中だ。自分の意思を殺すことが、為になるのかどうか。…それを選ぶのも、結局は本人次第ではあるのだが。
佐山さんはしばし考え込んでいたが、やがて顔を上げると先程までとは違うしっかりとした瞳で俺を見た。

「どういうお話かは聞いてみないとわかりませんが…安室さんには正直でありたいです。だから、聞かせてください」
「…本当に、あなたは優しい人ですね」

そう、彼女は優しい。…けれどどうやら、ただ優しいだけではないようだ。流され続ける状況に身を置いていたというだけで、実は強い人間なのではないだろうか。…彼女への疑いを失ってはいけないと思うものの、絆されていく自分に気付いて苦笑した。
視線を落として息を吐く。
伝えなければ。

「正直、最初は僕も自分の頭を疑いました。けれど実際に僕の手元に残ったもの、ここで調べさせてもらったこと、あらゆる可能性と事実を目にして信じざるを得なくなった。…僕は日本で育ちました。日本で生活していました。けれどここには…僕と日本を繋ぐものが何一つとして見つからない」

そう。俺の手元に残ったものは、スマートフォンを初めとした通信機器、それからキャッシュカードの類など、ここでは何の役にも立たないのである。唯一硬貨や紙幣が使えたのは不幸中の幸いとしか言いようがない。
育ってきた日本。俺が守るべき日本とはどこか違う、この国。この国は俺に対して、どこか冷たくよそよそしい。

「僕は恐らく、この世界の人間じゃない」
「………え、」

佐山さんは、ぽかんと口を開けて俺を凝視した。予想していた反応そのままだ。世界がどうとか言われてもすぐに理解は出来ないだろう。俺だって自分自身に起こったことでなければ信じられない。

「これを見ていただけますか」
「…え?これ…どこの銀行ですか?」
「僕が普段から使っている銀行のキャッシュカードとクレジットカードです」

俺が佐山さんの前に広げたのは、俺が使っていたキャッシュカードやクレジットカードだ。この世界では全く聞いたことの無い銀行や会社名に違いない。借りたパソコンで検索をかけてみたが、銀行も会社もヒットしなかった。
米花町についても調べたがヒットする地名はなく、そんな場所は日本にはおろかこの地球上にさえ存在していないこと、俺が住んでいた東京との齟齬も見つけたこと、見た目は同じだが名前の違う東都タワーの話をすれば、さすがに混乱したらしい彼女はしばし情報を整理した後に眉尻を下げた。途方もない話、そう呟いた彼女の言う通りだ。俺が何らかの記憶障害だったと言われた方がよっぽど信憑性がある。
警視庁が霞ヶ関にあったことや、そもそも東京という地名や日本という国名が一致していることから、完全に全く異なる世界…という訳では無いらしい。

「限りなく近い、けれども何かが違う世界。僕はそう認識しています」
「限りなく近い、何かが違う世界……」
「キャッシュカードが使えないと言ったのはこういった理由からです。クレジットカードも同様に使えないでしょう。その金融機関は存在していないのですから」

笑われても仕方ないと言う内容なのに、彼女は真剣な表情で俺の話を聞いてくれている。…自分のことでもないのに痛ましそうな表情を浮かべているのは無意識なのだろうか。人の良さが滲み出ている。

「…信じられない話の後で申し訳ないのですが、このまま話を進めさせていただきますね」

今の自分はこの“日本”にとって異分子だ。この世界に関わる術がなく、持っていた現金も正直残り少ない。キャッシュカードもクレジットカードも使えない。戸籍もなく、仕事をすることも家を借りることも出来ない。
けれども俺は、あの国へ帰らなくてはならない。

「…佐山さんにお願いがあります。帰る方法が見つかるまで、僕をここに住まわせてはいただけませんか。お金が支払えない身ですから、お返しにできることと言えば家事くらいなものですが…僕は、どうしても帰らなくてはならないんです。あちらには、残してきたものが多すぎる」

「…安室さんは、こことは違う日本から何らかの理由で…えぇと、この場合異世界トリップって言うんでしょうか。とにかく、ここに飛ばされてしまって…でも、どうしても帰らなければならないから、その方法が見つかるまでうちに居候したい、ってことですよね」
「えぇ、その通りです」

一人暮らしの女性の家に転がり込むなんて正直あまり考えたくはないが、現状藁にもすがる思いだ。なりふり構っている場合ではない。
到底信じられる話ではないことは承知の上だ。けれども今、この世界で無力な俺が頼りに出来るのは目の前にいる彼女だけなのである。

「安室さんが今してくださったお話に、嘘はないんですよね?」
「はい。…僕自身信じられない話なので、信じてくださいとは言えません。ですが、誓って嘘は言っていません。…これが、僕の出した答えです」

その上で彼女はどう答えを出すのか。即決できる問題ではないだろう。いや、どちらかと言えば追い出される方で即決の可能性はあるな。せめて明日の朝までゆっくり考えてもらうか、と思ったのだが、佐山さんはあっさりと頷いた。

「わかりました。安室さんの言う帰る方法がいつ見つかるかわからないですけど…うちで良ければ使ってください。あなたの言うことを、信じます」

嘘だろ。

「…こちらからお願いしておいて何ですが、佐山さん、少し疑うくらいしたらどうです?」

いや、いくらなんでも警戒心が薄すぎる。俺としては願ったりだが、せめてもっとじっくり考えるとかして欲しい。少しは疑えよ、昨日会ったばかりの他人だぞ。さすがに呆れる。

「だって私、確認しました。嘘はないんですよねって。安室さんが言ったんですよ、誓って嘘は言ってないって」

誓って嘘はない。こんな馬鹿げた話、信じて貰えるとも思わないからそもそも嘘でだって言ったりしない。こちらの人格が疑われるだけだ。
けれどもそれと俺への警戒が薄いことはまた少し別問題ではないか。少しキツめの口調で言い返してしまったが、彼女はどこ吹く風である。

「私、すごく安室さんに感謝しています。こんなに楽しかったのは本当に久しぶりでした。だから、安室さんが帰る為の協力、私にさせてください」

その言葉に嘘がないことは、すぐにわかった。
彼女は良くも悪くもわかりやすいのだ。
どうして俺が感謝されているのか。俺は彼女の家に転がり込んだ不審者も同然のはずなのに、どうして感謝なんて出来る?思わず頭を抱えた。
流され過ぎじゃないのか。そうは思うが、彼女の言葉や表情には確かに彼女自身で決めたという意思が見て取れた。…尚面倒だ。
けれど。

「…言ったでしょう。僕はあなたに感謝しているんです。マンションの前で倒れていたなんて、通報されたっておかしくない。あなたが僕を助けてくれたから、僕は落ち着いて自分の状況を考えることが出来ました。あなたと出会えたことは、この世界に来てしまったという不運の中で…最上の幸運だったんですよ」

それは、事実だ。俺は間違いなく幸運だった。

「…ありがとうございます、佐山さん。あなたに出会えてよかった」

顔を上げてそう言えば、彼女はほんの少しだけ頬を染めて擽ったそうに微笑んだ。
俺は上手く笑えていただろうか。


(本編 #5〜#6)

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