空白の瞬間の中で act.2 -2-

私達は連れ立ってスペイン料理の店にやってきた。
鏡で顔を確認して、思ったより化粧が崩れていない事にホッとする。

「お酒飲む?」

メニューを見ながら政宗に聞くと政宗は首を横に振った。

「これから遙に会うのに酒の匂いをさせる訳にはいかねぇ」
「そっか。そうだよね」

サングリアと料理が合うのにもったいないな、と思うけど、遙の事を思ってくれているので仕方がない。
私はコース料理とソフトドリンクを頼んだ。

「で、ハネムーンはどこに行きたい?」

私は携帯のサーチを立ち上げながら政宗に尋ねた。

「honeymoonってどんな感じなんだ?」
「ん?普通、5日間くらい泊まるらしいよ。新婚ラブラブするためのものだし」
「I see. じゃあ、適度に観光出来て、外に出なくても退屈しない所がいいな。まあ、遙といて退屈する事はねぇけど」

政宗がニヤリと笑う。

「あ、やらしい事考えてるんでしょ?」
「さあな」

政宗は涼しい顔で笑っている。

「料理が美味い所がいい。静かで、落ち着けて」
「ふーん。海辺の温泉宿とかがいいのかな」
「そうだな。But…温泉宿だと風呂は部屋と別だよな、普通。野郎の裸見て風呂入るのは俺の趣味じゃねぇ」

政宗が苦り切った表情をする。
政宗は殿様だ。
きっと、自分の城では広いお風呂に入っているんだろうし、温泉に逗留しても勿論貸し切りだろう。

部屋から出ない方がいいなら…。

私は部屋付き温泉宿を探した。
伊東温泉に、海の見える部屋付き温泉宿を見つけた。
料理のコースも色々とある。
遙に食べ切れるのか心配になるくらいの量だけど、政宗の『食事の美味い宿』と、部屋から出なくても退屈しないという条件は満たしている。
貸し切り露天風呂と違って、時間を気にしなくていい所が新婚旅行にぴったりだ。
部屋の温泉の写真が載っていたが、大人4人は広々と入れる。
予約状況を確認すると、この時期なのに奇跡的に空室だった。

「部屋付き温泉の宿見つけたよ。静岡の伊東。宿の目の前は海だって。ほら、これが写真」

私は政宗に宿の写真を見せた。

「へぇ、檜の風呂桶か。懐かしいな」
「気に入った?」

政宗は私の携帯を何やら弄っている。

「料理もいいじゃねぇか。ゆっくり食事が出来る。部屋も広いし。畳の部屋は久し振りだ」
「気に入ってくれて良かった。じゃあここ予約しちゃっていい?」
「ああ、いいぜ」

政宗は口許に微笑を浮かべて私に携帯を返した。

私が携帯で予約を入れている間に料理が運ばれて来た。

「予約完了。私の住所と電話番号で、伊達藤次郎と伊達遙の名前で予約しておいたから。全部こっちで手配するから、何かあったら政宗に連絡するね」
「Thanks。……伊達遙…?」

政宗が怪訝そうに首を傾げる。

「今の時代は女性も名字をみんな持ってて、結婚すると旦那さんの名字に名前が変わるんだよ」
「伊達遙…か……」

何度か噛み締めるように呟いて、政宗は至極嬉しそうに口許を綻ばせた。

「何だか本当に遙が俺のものになったような気がする。伊達を名乗るとはな」

くすりと笑う政宗はとても幸せそうで胸がキュンと疼いた。

「さあ、冷めないうちに食べようか」

私は料理を政宗の皿に取り分けた。

政宗と和やかに話しながら食事を楽しむ。
何度か政宗に会っているけど、こうして店で食事をするのは初めてだ。

「イスパニア料理ってこういうのだったのか」

政宗が感心しながら料理を口に運ぶ。
ナイフとフォークの使い方が自然で、とても戦国時代の人間には見えない。
流石南蛮かぶれの伊達男。
トリップして来たのが政宗で本当に良かったと思う。
どこに出しても恥ずかしくない。
口は悪い政宗だけど、マナーはしっかりしていて好感が持てる。

本当に絵になるなあ…。
遙も惚れる訳だよね。
私だって彼氏がいるのに何だかときめいてしまう。

「なあ、美紀。カクテルってやつはどこで飲める?」

不意に政宗に問い掛けられて我に返る。

「ん?ピンからキリまでだけど。遙を口説くの?」
「まあそんな所だ。あいつ、カクテルが好きなんだろ?」
「うん、そうだけど。遙から聞いたの?」

問い掛けると政宗は言いにくそうに、遙のブックマークを見た事を告白した。

「あいつに贈りたいカクテルがある」

政宗が真剣な眼差しをしたので、私は思わず身を乗り出した。

「何ていうカクテル?」
「Ma Cherie」

聞いた事のないカクテルだ。

「うーん、聞いた事ないなあ。知識豊富なバーテンダーがいるバーがいいね。外資系の大きなホテルのバーなら優秀なバーテンダーがいるはずだからハズレはないかな。明日買い物に行くなら寄ってみれば?」
「そうだな」
「新宿ならMEN'S専門のデパートもあるし、ホテルもあるし。買い物たくさんするなら遙に車出してもらってそのまま泊ってくれば?飲酒運転させる訳にはいかないから」
「あいつ、酒弱いのか?」

飲酒運転と聞いて政宗が気遣わしげに眉を顰める。
私はくすりと笑って首を横に振った。

「遙はすぐに顔が赤くなるけど強いよ?私は飲んでも赤くならないけど潰れるのは遙より速いくらい。遙、苦手な人からのお酒は酔ったふりしてさっと逃げちゃうんだよね。私は素面に見えるから断れないんだ。まあ、そんな時は遙が酔ったふりして、私は遙を送るって理由で一緒に逃げちゃうんだけどね。結局遙が私を介抱してくれるの」

政宗は微笑ましそうに私の話を聞いて、くつくつと笑った。

「お前ら、本当に仲がいいんだな。妬けるぜ」
「私は遙と政宗があんまりにも仲が良くて妬けるよ」
「今、喧嘩中だけどな」
「あ……」

政宗はずっと愛しそうに遙の事を話していたので私は忘れかける所だった。

「ご、ごめんね…。ねぇ、早く帰った方がいいんじゃない?」
「そうだな。明日の段取りを決めたら帰る。明日、今日の喧嘩の埋め合わせをしてぇから。遙が酒を飲めるなら安心だな」
「その、贈りたいカクテル…マシェリだっけ?フランス語?」
「Damn straight!Ma Cherie means "Darling" in English.(その通り!英語でDarlingって意味だ)」
「ダーリンねぇ…」

本当に政宗は遙の事を愛しているとしみじみと思った。

「ねぇ、政宗。私の勘が正しければ、花火の日には遙の事、好きだったよね?」
「そうだな」
「早くない?」
「さあ…」

政宗は首を傾げた。

「今まで好きになった女がいねぇからわからねぇ」

私にはそんなに短期間で恋に落ちて、こんなに深く愛し合える事の方が信じられない。

いや、期間なんて関係ないかも知れない。
私は誰かにこんなに深く愛された事はない。
どこか友達付き合いの延長で、居心地がいいから付き合っているだけだ。

「どうして遙を好きになったの?」

政宗はふと考え込んだ。
しばらくしてようやく口を開いた。

「初めて会った時、あいつは前の男を俺に重ねて泣き出した。泣いているあいつを慰めたくて、添い寝してやったんだ。放っておけなかった。その時点で俺は遙に惹かれてたんだろうな…。今までの俺じゃ考えられねぇ。世話になっちまうってのもあったんだろうけど。決定的だったのは翌朝か。遙は寝ぼけて俺にkissをした」
「えっ!?」

私が思わず声を上げると政宗はおかしそうに寂しそうに笑った。

「笑っちまうだろ?でも…前の日までははらはらと涙を流していた女とは思えないほど幸せそうな愛しげな表情だった。それを見た瞬間、胸を鷲掴みにされた。遙のその表情をまた見たいと思ったけど…。出来れば俺に前の男を重ねてではなくて、俺だけを見て欲しくなった。これって恋だろ?」

私は曖昧に頷いた。

政宗は…。
失恋した女の子の所にトリップしたら、相手が遙じゃなくても恋に落ちた?
こんなに深く愛した?


例えば…。
失恋したのが遙じゃなくて私だったら。
遙に向けるような愛情を私に向けてくれた……?


「ねぇ、政宗。もし、政宗が現われたのが、私の部屋で、私が失恋して泣いてたら、政宗は同じように慰めてくれた?」

政宗は少し驚いたように目を瞠った。

「お前が?いや、お前は泣かねぇだろ、失恋しても。想像出来ねぇ」
「酷っ!」
「じゃあ、お前、失恋して泣いた事あんのか?」

政宗にじっと見つめられて、思い返す。
今まで喧嘩したり、楽しく過ごしたりっていうのはあっても泣く程深入りした事はなかった。
別れる頃には冷めきっていて、自然消滅に近かった。

「ない……かな。ムカついて悔しくて泣きそうになった事はあるけど…」

政宗はフッと笑った。

「お前らしいな。そうだな。お前が失恋してヘコんでたら、一緒に前の男を罵ってやけ酒に付き合ってやるぜ」
「なっ!?」
「違うのか?」
「…ち、違わない……」

政宗には完敗だ。
この洞察力は伊達じゃない。

政宗はおかしそうにくすくすと笑っている。

「Hey, さっきからどうした。俺に惚れたか?」
「……もしかしたらそうかも知れない……」

そう呟くと政宗は笑みを消した。

「そんな風に愛されたらなって。愛し合えたらなって。私はそんな風に誰かと本気で付き合った事ないから…」

口ごもり俯くと、政宗が腕を伸ばして私の頭をくしゃりと撫でた。

「いいか、美紀。俺は失恋した女だったら誰でも良かった訳じゃねぇ。弱みに漬け込んだ形にはなったけど…。あいつの…遙の一途な愛が欲しかったのは俺だ。綺麗だと思った。別れて尚、恨み言を言う訳でなく、静かに涙を流す姿が。前の男を一途に愛する姿が綺麗だった。お前から前の男の話を聞いて、納得した。遙には打算的な所がない。献身的で、勉強も恋愛も一生懸命だ。その、pureな心に惹かれた。お前が遙に惹かれてるのもそうなんだろ?遙は優秀だって誰かが花火の日に言ってたよな?頭角を現す女は孤立しやすい。女は妬むから。でも、お前は遙の傍にいる事を選んだ。それは、俺が遙に惹かれたのと同じ理由だろ?」

視線を上げると政宗の優しげな視線とかち合った。

「そう…だね……」

何故、政宗は僅かの間しか一緒にいないのに、こんなに遙の周りの状況を把握しているのだろう。

確かに遙は孤立している。
本人は一線を引いているつもりはないのに、家柄と能力と容姿で、男子には高嶺の花だし、女子からは妬まれている。
遙もそれを分かっているから、いつも優しく微笑んで、私達が歩み寄るのを待っている。

中には、大病院の院長の娘なんだから、そんなに勉強しないで私立の医学部に行けばよかったのになんて陰口を叩く子もいた。

私がまだ遙と仲良くなる前、よく医学部図書館の隅っこで遙を見かけた。
みんなが言うようにお高く止まっている様子ではなく、いつも少し悲愴なくらい集中して勉強している様子が印象的だった。
そして、6時きっかりには図書館を飛び出していく。
ある日、思い切って遙に話しかけてみた。

『何の勉強してるの?今、特に課題とかないよね?』
『あ…うん、授業の復習。科目数も多いし、進度が速いから。どうしても授業だけじゃ内容薄いし』

遙が読んでいたのは教授が授業で軽く触れて、ずらずらと列挙した参考文献の一つだった。

『そんなに真剣に読まなくても試験ない科目じゃない?』
『試験はないけど…。教授が勧めるのには理由があるはずだから。試験には出なくても構わないの。大事なのはね、医学を志す上で…人の命を預かる上で必要な事が書かれてるって事だよ』

上から物を言う訳でなく。
遙が本気でそう思っている事が、切れ長の澄んだ瞳から伝わって来た。
来栖は要領も良く頭がいい。
でも、同じくトップ争いの遙はどこか不器用な気がした。
遙の成績がいいのは、テストの山を張るとかそういうのではなく、医学に必要と思う知識をこつこつと学んでいるから。
それも、良い成績を取ろうとか目先の事を考えているのではなく、医者の卵としての心構えからだ。

遙の前で、テストの点数をあげつらって、優秀だとかそうでないとか言うのは陳腐に思われた。
医者になるってのはそういう事ではない。

何て擦れていない子だろうと思った。
みんな、遙を誤解している。
遙に負けて悔しがるにはみんな10年は早い。

言葉を失い、遙を見つめていると、遙はハッとしたように時計に目をやった。

『ゴメン、私、バイト行かなきゃ』

私は驚いた。
だって遙はお嬢様だからバイトなんてしないと思っていたから。

『何のバイト?』
『塾講師。短時間しかシフト入れないから』

慌てて飛び出そうとする遙を私は呼び止めた。

『今度一緒に勉強してもいい?』

遙は虚を突かれたように私を見つめた後、嬉しそうに微笑んで頷いた。


それから私は遙と一緒に過ごすようになって。
遙は高嶺の花でも何でもなくて、どこにでもいる普通の女の子なのだと気付いた。
冗談を言えば笑うし。
冗談で返す事もある。
遊んでいる時は楽しそうにするし、茶目っ気もある。
陰口を言われたら傷つくし、哀しむ。

ただ、人より一生懸命で、真面目で。
ただ、周りにはそれが判らないから天才だと思われ。
生まれついた家柄と容姿がいいだけだった。

そして、私は自分自身の評価を有りのまま受け入れ、愚痴を零す訳でなく、それまでと変わらず一途に勉強にバイトに、そして遊びに打ち込む遙に惹かれた。

結局の所、遙と政宗を羨ましがる資格なんて私にはない、という事だ。
遙は愛されるべくして政宗に愛された。
それは遙が一途だったから。
クラスメイトに遙を妬む資格がないのと同じくらいに、私には政宗の愛情を受ける資格なんて初めからない。

「なぁにシケた面してんだよ」
「痛っ」

私は政宗に弾かれたおでこを擦った。

「酷いなあ。折角人が遙との思い出に浸ってたのに」
「遙との?」

政宗が身を乗り出すようにしたので、私は遙との馴れ初めについて話した。

「That's what I thought. 本当、あいつ不器用だよな」

そう言う政宗の表情は、至極愛しげだ。

「だから好きなんでしょ?」
「まあな」
「分かってるんだったらもう遙をなじったりしないでよね。遙が政宗を裏切る訳ないでしょ?」
「That's enough!言われなくてももう分かってる」

政宗はバツが悪そうに手をひらひらと振った。

「じゃあそろそろ帰りますか」

私達は会計を済ませて店を後にした。

地下鉄の入口の方に歩いて行く。

「美紀…。今日はthanks」
「No problem」

軽く返すと、政宗が物言いたげに私を見つめた。

「俺が力になれる事があったら何でも言ってくれ」
「ありがと」

また少し会話がぎこちなくなる。

「お前もいい恋愛出来るといいな」
「そうだね…。はぁ、私も遙みたいに一途にならなきゃダメかぁ…」

溜め息を吐くと政宗はくすくすと笑った。

「別に。俺達の恋が正しいって訳じゃねぇ。心穏やかな、夫婦みたいな恋愛も有りだろ?慶太郎と歩いてたお前は可愛かったぜ。お前と慶太郎が羨ましかった」

初めて政宗に可愛いと言われ、ドキドキとした。

そうか…。
私、慶君といる時幸せそうだったんだ……。

身近な幸せは案外自分でも気付かないものだ。
私がもう少し慶君に歩み寄れば、私達も変われるかも知れない。

「政宗、ありがと」

何だか少し元気が出た。

地下鉄の路線が違うので政宗とは別れなければならない。

「じゃあ、私、こっちだから」

政宗に手を振ると、政宗は両腕を広げた。
まるで、ハグを迎えるようなポーズに驚く。

「Come on, 美紀。Friendly hug!」

私は戸惑いつつ、ふらふらと引き寄せられるように政宗に抱き付いた。
男同士がするようにギュッと抱き締められて背中をポンポンと叩かれる。
何だか酷く切なくなった。

きっと本当の政宗との別れの時は、こうして会う事も出来ない。
さよならを言う事も出来ないかも知れない。
私にはこれが政宗との別れに思えた。

「政宗、元気でね」
「ああ」

遙の結婚式でまた会うのは分かっているはずなのに政宗は返事をしてくれる。
政宗もきっと、これが私と挨拶を交わせる最後の機会だと思ってるのかも知れない。

「天下、必ず取って」
「ああ」

耳元で政宗が力強く返事をする。

「最後まで、遙と幸せにっ!」
「っ…ああ、約束する。お前も慶太郎と幸せになれ」

政宗は私の頬に一つキスを落とすと背を向け、手をひらひらと振った。

「じゃあな」

政宗の背中が小さくなっていく。
頬に落とされたキスが酷く優しかった。
最後に抱き締めてくれて嬉しかった。


きっと私が遙に注がれる愛を欲しがったから、政宗は少しだけ分けてくれたんだ…。


ありがとう……。


私も幸せになるよ……。


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