薄暗い証明の中、ビリヤード台が所狭しと並んでいる。
受付でチェックインを済ませると、キューを持って自分の台へと行った。
元彼との思い出が走馬灯のように蘇ってくる。
ビリヤード台に軽く腰をかけて、優しげに微笑む元彼の姿…。
やはり、ビリヤードじゃない方がよかっただろうか。
「Hey, このstickで何をするんだ?」
突如、わくわくしたような政宗の声で現実に引き戻された。
隻眼はきらきらと輝き、期待に満ちている。
私は小さく微笑んで、ルールを説明した。
「この棒はね、キューって言うんだよ。この台のボールに数字が書いてあるでしょう?」
「Ah〜、そうだな。異国の数字だな」
「読める?」
「独眼竜は伊達じゃねえ、you see?」
「Alright。この白球をこのキューで突いて、1から順に当てていくの。もし、白球以外の玉がポケットに入ったらプレイ続行。入らなかったり、決められた数字の玉に白球が当たらなかったり、白球がポケットに落ちたら交代ね。先に9のボールをポケットに落とした方が勝ちよ」
「Okay, got it。ルールは簡単だな」
「でしょ?じゃあ、始めようか。政宗は初めてだから、私がブレイクショットを打つね」
ルールはナインボール。
9個の玉を菱形に並べて、白球を台の上に置いてキューを構えた。
狙いを定めて勢いよく白球を突く。
カーンと小気味よい音を立てて白球が1の球にぶつかり、色とりどりの球がブレイクした。
このビリヤード場は台がよく手入れされていて、球がよく転がる。
ぶつかりながら弾けとんだ球はころころと転がり、4番の球がポケットに入った。
「Coolじゃねえか!!球がポケットに入ったってことは、あんたの番か?」
「そういうこと。次は、私が1番の球に白球を当てるの」
「1番か…。あの位置だと、右手じゃ打てねぇな」
政宗が軽く眉間に皺を寄せて思案している。
1番の球と白球は台の右端の、かなり奥にあり、前かがみになっても届かない位置にあった。
「フフ……。そういう時は、こうするの」
私は台の上に腰掛け、片足を床につけ、後ろ手にキューを構えて白球を突いた。
白球は紛うことなく1番の球に当たり、しかし、角度が悪かったので、ポケットには入らず、台の縁に当たって跳ね返った。
「It was close(惜しかったな)!!あんた器用だな!It's cool!!」
「まあ、道具を使えばもっと狙いやすいんだけど、ビリヤードは見せる遊びだから。片足さえ床についていれば、どんな姿勢で打ってもいいんだよ」
「Okay。じゃあ、次は俺の番だな」
見よう見真似でキューを構える政宗の姿は、とても初めてとは思えないほどに様になっている。
狙いを定めるその視線はまるで獲物を狙うしなやかな猫科の肉食獣のようで。
形のよい唇の端は軽く吊り上り、不敵な笑みを浮かべているように見える。
やはり、伊達に修羅場を踏んでいないことが窺い知れる。
前かがみになった政宗の胸元でゴシックなネックレスがしゃらりと揺れる。
まるで映画の一場面のようなその空間を私はいつまでも眺めていたかった。
「白球を1番の右側に当てれば、左側に転がって6番に当たりそうだな。上手くいけばポケットに入るかもしれねぇ。そうだろう?」
「その通り」
私は政宗の向かい側へと移動し、しゃがみこんで角度を確認した。
「この辺りを狙えばいいかな」
キューの先で、狙うところを示しながら政宗に視線を移すと、真正面から政宗の鋭い視線とかち合った。
私と目が合うと、政宗は挑戦的な視線のままフッと笑った。
思わず心臓が飛び跳ねる。
今の笑顔は反則じゃない?
私が取り繕うように立ち上がろうとすると、政宗がそれを引き止める。
「おっと、動くんじゃねぇ。あんたのcuteな顔を目印に打つからな」
Cuteな顔って……。
どうして恥ずかしげもなくそんなことが言えるのだろう。
私は、呆れつつ、同時に恥ずかしさに逃げ出したくなりつつ、しかし、低いハスキーな声は、至極楽しそうで、私は仕方なしにそのまま政宗の視線の先に佇んだ。
再び視線が交錯し、時間が止まったかのような感覚に陥る。
政宗はその綺麗な顔立ちと同じくらい綺麗な所作で白球をキューで突いた。
狙い通り、白球は1番の右端をかすめるように当たり、1番の球は6番の球に当たり、6番がポケットに入った。
「Get it!!!!!!このgame、楽しいじゃねぇか!」
唇の端を吊り上げて笑いながら喜ぶ政宗の瞳は少年のように輝いている。
まだ少年と言ってもいいくらいの年だけれども。
奥州筆頭という地位のせいか、政宗の雰囲気は老成していた。
それが本来の年齢に戻ったかのように実に生き生きとしている。
私もつられて微笑んだ。
「Okay、次いくぜ。次は2番だな?」
声はうきうきと弾んでいるのに、チョークでキューに滑り止めを施しながら次の球を狙う政宗の一連の動作は洗練されていて、薄暗いビリヤード場に相応しく、そう、正しくcoolとしか表現出来なかった。
「Shit…。2番の球に当てるには、8番が邪魔だぜ」
綺麗な発音で悪態をつきながら、政宗が8番の球を睨み付けている。
「ああ、それはまともには狙えないね。一旦、台の縁に当てて、跳ね返して狙うの。入射角と反射角は同じだから。ただ、強く打つと鋭角になるけどね」
私はキューを寝かせて、球の軌道を示した。
「この角度で打てばこういう風に跳ね返ってうまく2番に当たるはず。後は政宗がどれくらいの強さで打つかによるかな」
「Alright。大体の理屈は分かったぜ」
私がキューを下ろすと、政宗はまた、すっと構えた。
また時が止まったかのような、心地よい緊張感に包まれる。
何て絵になる人だろう。
当然か、ゲームのキャラなのだから。
それでも、私は政宗に見蕩れずにはいられなかった。
すっとキューを引いて、そして勢いよく政宗は白球を突いた。
それは、狙い通りの軌道だったけれど、勢いが良すぎて鋭角に反射し、白球は2番の球に当たることはなく、他の球に当たって動きを止めた。
「Damn!!結構難しいな」
「仕方がないよ、初めてなんだから」
「当たらなかったらどうするんだ?」
「次のプレイヤーが白球を好きなところに置いてプレイするんだよ」
「あんたにとってluckyってことだな」
「そうでもないかな。2番の球とポケットの間に3番があるから。真っ直ぐは狙えない」
私は思案しながら、前かがみになりキューを構えた。
その狙う角度を参考にするために、政宗が私のすぐ後ろから覆いかぶさるように立ち、じっと私の視線の先を見る。
微かな吐息が私の首筋を掠め、私はぞくりと身を震わせた。
「政宗、くすぐったいってば」
「Sorry。じゃあ、向こう側から見せてもらうぜ」
政宗は私の向かい側にしゃがみこみ、私の視線の先を探った。
また政宗と視線が交錯する。
球の軌道を読もうとするのに、政宗の綺麗な顔に思わず視線が釘付けになってしまう。
私の視線に気付いて政宗がくすりと笑う。
私は怪訝そうに首を傾げた。
「あんた俺を誘ってるのか?あんたの熱烈な視線、その格好、随分sexyだぜ?」
ホルターネックの背中は広く開いていて、肩甲骨から上はむき出しになっている。
加えて、Vネックになった胸元は、かがむと、谷間がくっきりと見える。
私はさっと頬を赤らめた。
「もう、からかわないでよ」
「ビリヤードは見せる遊びなんだろう?今のあんた、それにぴったりだぜ」
「Shut up!!」
私は、焦点を白球と2番、3番の球に合わせて、極力政宗を見ないようにした。
少しずつずれて並んだその二つの球がどのようにぶつかれば3番がポケットに入るか計算する。
目測を定めると、白球だけを見つめ、そして、私はそっと白球をついた。
緩やかに転がった2番の球は、3番の球の中心よりやや右にずれたところに当たり、3番の球はころころと転がってポケットに入った。
「Damn、打つ強さによって転がり方をcontrolするんだな。さっきの俺の挑発に動じないなんてな。あんた、やっぱり最高の女だ」
「動揺させようなんて、姑息よ。奥州筆頭がそんなことするなんて、信じられない」
「戦は騙し合いだぜ?」
「もう、知らない!」
プイと私が顔を背けると、政宗が慌てて私に近寄り、ぐいと肩を抱き寄せた。
「Sorry, come around. I was just kidding.(悪かった。機嫌直してくれよ。ただの冗談だ)」
また、元彼と同じ台詞、同じ仕草。
心臓がどくんと一際大きく鼓動し、内側から熱いものがこみ上げてくる。
私は唇を噛み締めて堪えようとした。
震える私に気付き、政宗は正面から私を抱き締めた。
「Sorry, don't cry. まいったな。そんなに傷つくとは思わなかったぜ」
私はふるふると首を振った。
「違うの、そうじゃないの……。ちょっと思い出して……」
頭上で政宗が舌打ちをする。
「前の男のことか……」
「うん……。彼もね、よく私のことをからかって、その後、政宗が言ったのと同じ台詞を言って肩を抱いてくれたんだ……」
私の耳元で政宗は軽く溜息をついて、低い声で囁いた。
「いいか、あんたを抱き締めているこの俺は、独眼竜政宗だ。あんたと別れた男じゃねえ、you see?」
「うん……」
「あんたが俺の女だったら、俺は絶対に別れたりしねえ。こんな顔させるわけにいかねぇからな」
「政宗……」
政宗はぎゅっと私を抱き締めると、身体を離して私の顔を覗き込んだ。
「少し休むか?」
「うん…」
私達は、壁際の小さなテーブルへと向かった。
小さな椅子が2脚あるが、隣の台の客に、1脚占領されていた。
何食わぬ顔で政宗が椅子に座ると、自分の膝を叩いた。
「Hey, 遙, come here. On my lap(こっちに来い。膝の上だ)」
そんなところまで、彼と一緒だなんて…。
泣きたい気持ちになって複雑な表情をしていると、政宗がぐいと私を引き寄せた。
自然、政宗にしなだれかかり、膝の上に座る形になってしまう。
足を大きく広げて座った政宗の片腿の上に私は座り、力強い腕が腰に巻きついた。
「……政宗……lady firstって言葉は知らないかな?」
「Ha!!俺は一国一城の主だぜ?あんた、俺を立たせる気か?」
「だからって、こんな……。膝の上に座るなんて……」
「あんただから特別だ。感謝しろよ?」
「もう……呆れた……」
それでも、Tシャツ越しに伝わる政宗の温もりが心地よくて。
恥ずかしいのにこうして触れ合うことに途方もなく安堵してしまう。
政宗と出会ってまだ一日も経っていないのに。
「煙草でも吸って一服すれば落ち着くだろ?…shit。俺のはなかったな…」
「いいよ、どうせ安物だし」
私はポケットから煙草とライターを出した。
一本差し出すと、政宗がそれを咥える。
政宗の煙草に火をつけると、私も煙草を咥えた。
火を点けようとすると、政宗が私の手からライターを奪い取った。
「I wanted to try it since yesterday. Let me do it!(これ昨日からやってみたかったんだ。やらせてくれ)」
そんな子供っぽい言い分も彼そっくりだ。
I wanna do it!
I wanna try it!
じわりと涙が滲みそうになって私は瞳を伏せた。
政宗がかちりとライターに火を点ける。
私は煙を肺いっぱいに吸い込むとゆっくりと吐き出した。
身体が軽い浮遊感に包まれる。
政宗は相変わらず私の腰に手を回したまま、ゆっくりと煙草を吸っている。
煙を吐き出す時の表情がアンニュイでどきりとしてしまうほど格好いい。
こうして近くで見ると、彼と全然似ていないのに。
仕草や物言いが似ている……。
私はまた泣いてしまいそうで、政宗から離れようとした。
「政宗、もう、いいよ。私、立つから」
「Rejection。俺が吸い終わるまで、あんたはこのままだ」
政宗は私を抱く腕に力を込めた。
久しぶりの温もり。
よく彼とじゃれあうようにして、こういう風に座り、彼の首に腕を回して頬に口付けていた。
どうしよう……。
すごく政宗に抱きつきたいかも……。
彼と重ねて見てはいけないのに。
政宗は政宗なのに。
どうしようもなく、懐かしくて。
愛しさがこみ上げてきて。
この思いは錯覚なのに。
それでも私は止められなかった。
おずおずと政宗の首に腕を回す。
政宗が気付き、私をじっと見る。
その眼差しはとても優しかった。
「いいぜ、前の男の代わりでも。今だけはな。そのうちそいつの記憶は俺で塗り替えられる。I told you. If you wanna cry, you can cry in my arms(言っただろう?泣きたかったら俺の腕の中で泣いていいって)」
政宗は私の頬に口付けた。
柔らかい唇の感触に、心の箍が外れた。
私は政宗の首に抱きつき、肩に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
顔を埋めると分かる。
彼と違う香り。
政宗が彼とは別人だという証。
政宗なら私を傷つけない…?
政宗は私をずっと抱き締めていてくれた。
その温もりが、酷く嬉しかった。
いつまでも、いつまでも、こうして抱かれていたかった。
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