遙が眩しそうに空を仰いだ。
陽光がぎらぎらと地面を照り付けている。
「あ、そうだ。扇子渡すの忘れてた。本当は、団扇の方が祭りっぽくて風情があるんだけど、かさばるから…」
遙は巾着からちょこんと顔を覗かせた扇子を取り出し、俺に渡した。
「一応老舗で買ったものだから、浴衣と違ってこっちはまともなんだけど…」
遙から扇子を受け取り、広げてみると、深い蒼色の濃淡に浮雲のように薄く銀箔が散りばめられていた。
そして、左上に三日月が輝いている。
骨の部分は紫檀で出来ている。
「Coolじゃねぇか」
手にしっくりと馴染む、名品だということが分かる。
色といい、柄といい、俺好みだ。
「俺の兜の前立てと同じだな。What a coincidence!(偶然だな!)」
「本当に。何年も前に気に入って買ったのに。この三日月が素敵でしょう?」
「ああ、気に入った。城に帰ったら同じのを作らせるか。あんたのは?」
「私のはシンプルかな。浴衣が柄ものだから」
帯に挿した扇を遙は広げた。
竹の骨と、黒地の紙に小さな紫色の蝶が一匹。
銀の粉を撒き飛んでいる。
「あんたらしいな。この扇で舞うあんたは綺麗だろうな」
「え?私、舞なんて出来ないよ。政宗は出来るの?」
「出来るぜ。当然だろ?よく、小十郎の笛で舞ったな」
「すごい、すごーい!!見たいなあ」
遙は目をキラキラと輝かせて俺を見上げた。
そんな視線がくすぐったくて、俺は小さく笑った。
「小十郎の笛は見事だぜ。聞かせられなくて残念だ」
「政宗が舞ったら格好いいだろうなぁ……あっ!!」
ほうっと溜息交じりに呟いた遙は慌てて扇で口元を覆った。
覗いた頬が薄っすらと赤い。
「ごめ……。本人を前に何てこと……恥ずかしい……」
思わずポロリと出た遙の本音に俺は笑みを深くした。
今日の遙は紛れもない俺だけを見てくれていて。
それが嬉しくて堪らない。
俺は少し身を屈めて、遙の耳元で囁いた。
「期待してくれていいぜ。そのうちあんたに見せてやるよ」
遙はびくりと身体を震わせ、薄っすらと耳を染めた後、目を細めてこくりと頷いた。
駅に着くと、ホームには浴衣を着た人々が何人もいた。
目に鮮やかな、浴衣を着て、めかし込んでいる。
でも、遙が一番beautifulだ。
紫色の浴衣はひらひらとしていて。
扇に描かれた蝶のようだ。
「なぁ、遙。花火ってそんなに有名なのか?」
「うん、そうだよ。特に隅田川の花火大会は。多分、観客の数は何千人、うーん、一万人を超えるかな」
「Really!?Damn!!そんなに人が集まるのか?」
「うん。だから、電車もものすごく混むと思うんだけど…。あ、来た!」
電車の中も、色とりどりの浴衣で溢れていた。
「昨日の電車とは大違いだ。何だか不思議な気分だぜ」
「そうだね。はぐれないようにしなきゃ」
遙はぎゅっと俺の手を握り、身体を寄せてきた。
電車に乗り込むと、後ろからも押され、人の波に押された遙がはぐれそうになる。
俺は、人の波を掻き分け、遙の腕を掴むと引き寄せ、しっかりと抱き締めた。
俺が壁になってやれば、遙がつぶされることはない。
腰と背に腕を回して抱き寄せると、遙は頬を俺の胸に寄せてきた。
それが、後ろの人に押されたからということがわかっていても、どうしようもなく胸が高鳴ってしまう。
この鼓動が遙に聞こえてしまうのでは……。
そう思って呼吸を落ち着けようと思うのに、胸元にかかる熱い吐息に理性を奪われそうになる。
胸に手を当てなくても、早鐘のように心臓が脈打っているのがわかった。
唐突に、電車がガタンと揺れて、遙は俺の背に腕を回してしがみついた。
バランスを崩して、一人で立てないようだ。
遙の頬が一層俺の胸に押し付けられる。
「Are you okay?」
「Not really(あんまり)。すごい混んでるね。政宗は大丈夫?何か、ドキドキしているみたいだから、緊張してるのかなって…。やっぱり人混みは苦手だよね…」
頬にかっと血が上っていく。
遙にこの胸の高鳴りが聞こえてしまった!?
これだけ密着しているのだから、遙から俺の顔は見えないはずなのに。
遙に顔を見られたくなくて、俺は一層遙の身体を俺に押し付けた。
絶対に俺、今、有り得ねぇほど情けない顔をしている。
俺は周囲をちらりと見回した。
女達と目が合って、女達はきゃあきゃあと騒ぎだした。
どうでもいいが、今の俺を見るんじゃねぇ!!
俺はぎろりと睨みつけると俯いた。
遙の頭に顔を埋めると、いい香りがする。
シャンプーとは違う。
何かの花の芳香だ。
魅惑的なその香りに軽い眩暈を覚える。
細く、柔らかい身体はかき抱けば壊れてしまいそうだ。
なのに、力任せに抱き締めて、柔らかな唇に己の唇を重ねたい。
ダメだ。
俺はこいつを守ると決めたんだから。
こいつは決して穢しちゃいけない女なんだ。
俺はゆっくりと息を吐くと、安心させるように囁いた。
「大丈夫だ。少し人に酔っただけだ。あんた、香でもつけているのか?いい香りがする」
「うん。ジャスミンの香り。あ、こんなに近くにいたら、香りに酔っちゃうね。ごめん…」
胸元でくぐもった声で遙が答える。
遙が言葉を発するたびに、吐息が胸にかかり、ぞくぞくとする。
あとどれだけの間こうしていればいいんだ?
「あとどれくらいで着く?」
「多分、15分くらい」
「I see」
15分といえば、あっという間の時間なのに。
俺には、気の遠くなるほど長い時間のように思えた。
遙が身じろぎをするたび。
吐息が胸を掠めるたび。
身体は熱くなり、胸の奥が疼く。
欲情とは違う感情だということは分かる。
かき抱いて口付けたいと思うところまでは同じなのに。
慈しんで、大切にして、守りたい。
遙の快楽に溺れた乱れた姿ではなく、その愛しげな微笑が見たい。
その矛盾した想いに俺は混乱した。
この感情は一体何なんだ?
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