ドアが開き、人の波に流されそうになる。
ここが降りる駅か?
ドアの外に目をやると、遙が俺の袂を引いた。
「まだだよ。次の駅。大抵の人はここで降りるんだけど、次の駅の方が会場に近いんだ」
「そうか。まあ、少しは空くだろう」
電車を降りる人の波に流されそうになりながら、俺は遙を抱き寄せた。
人の波に浚われないように。
「ふぅ、すごかったね……」
ドアが閉まり、少し離れて立つことが出来るようになって、遙は俺の胸に手をついて身体を離した。
「守ってくれてありがとう。いつもね、友達とはぐれちゃうんだ。ああ、帯が曲がっちゃったかな」
「後ろ向いてみろ。俺が直してやる」
まだ熱を持っている頬を見られたくなくて。
俺は遙の肩に手を置き、そっと後ろを向かせた。
少し曲がった帯を整えてやる。
帯も、胡蝶が羽を開いた様な形をしていた。
そのまま羽ばたいていってしまいそうな…。
後ろから抱き締めてしまいたくなって思いとどまった。
何のために帯を直してやったのか、それではわからなくなる。
「終わったぞ」
「ありがとう」
吊り革につかまり、遙と手を繋ぐと、電車がゆっくりと止まり始めた。
「政宗、降りるよ」
先ほどの駅で大方の人が降りたとはいえ、ドアの前はやはり混んでいた。
遙の肩を抱き寄せ、電車を降りる。
狭いホームは人でひしめき合っていた。
「政宗、あのね。これから、政宗のことは藤次郎って呼ぶね。それでね、私の家のことなんだけど…」
「どうした?」
言いにくそうにしている遙を俺は見下ろした。
「あのね、私のご先祖様は、政宗様のご典医だったの。400年以上もうちの家系は医者なの。だから、伊達藤次郎は伊達家の末裔ってことにしておいてくれるかな?友達に聞かれたら説明しやすいし。うちの実家、伊達本家と交流あるし」
「What!?あんたはあのじいさんの子孫なのか!?」
遙が俺の知っている人間の末裔だとは考えもよらなかった。
遙は困ったように笑っている。
「うん。だから、美紀が私のことを『エリートの上生まれもいい』って言ってたでしょう?私は仙台の如月総合病院の院長の娘なの。私には妹しかいなくて、だから家を継がないといけないの。まさか政宗様本人に会うとは私も思わなかったけど」
「驚いたぜ……」
あのじいさんの顔を思い浮かべ、遙の顔をじっと見つめる。
全然似てねぇ。
当たり前か。
400年以上のtime ragがあれば。
「ずっと、家のことが重荷で嫌だったけど。今回ばかりは感謝かな。政宗のことも上手く説明できそうだし」
「わかった。適当に話を合わせてやるよ」
「ありがとう」
遙はホッとしたように微笑んで、階段を上り始めた。
その後姿を見て思う。
遙と俺にそんな繋がりがあったなんて。
他人とはとても思えない。
だから、絶対にこいつを守る……。
「遙〜!待ってたよ!!」
階段の上で美紀が手を振っていた。
「大丈夫、遙?藤次郎に酷いことされなかった?」
「おい、コラ、美紀。聞き捨てならねぇな」
俺は眉間に皺を寄せ、美紀の頭を小突いた。
「酷ーい!!私、女の子なのに!!セットが乱れる!!」
「もう、美紀、藤次郎をからかうのはやめなよ。美紀が悪い。ま…藤次郎は優しいよ?」
『政宗』と言いかけた遙に思わず笑いがこみ上げる。
喉の奥でクッと笑って、遙の耳元で囁いた。
(間違えそうだったら『殿』って呼んでいいぜ?)
遙が頬を染めてぱっと顔を上げて俺を見上げる。
恥らう様子が堪らなく可愛らしい。
また喉の奥で笑うと、美紀が間に入ってくる。
「藤次郎がセクハラしてる〜。遙が食われる!!」
「おい、美紀、止めろって」
俺の眉間にくっきりと刻まれた皺を見ても物怖じしないこの女、敵とはいえなかなかやるじゃねぇか。
むしろ美紀の隣に立ってる男の方が、さっと蒼褪めている。
「すみません。初めまして。俺は慶太郎です」
「私の彼氏だよ」
「お前は黙ってなさい」
ぽんと、慶太郎に頭を軽く叩かれて、美紀は幸せそうに笑った。
何で、こいつ、こんなことであんなに幸せそうなんだ?
いつに増してhigh tensionだぜ。
「俺は、伊達藤次郎だ。遙の家とは代々付き合いがある。藤次郎と呼んでくれて構わない」
「伊達……ああ、遙ちゃんの家は伊達家のご典医だったね」
「うん」
遙の顔が僅かに強張っている。
家のことがそんなに重荷か……。
家の重圧は俺にも分かる。
俺も城主として、国を治め、そして、いずれは天下を取り、日本全国を治めなければならない。
幼い頃はそれを重圧に思ったことはあるが、今となっては嫡男として生まれてきてよかったと思う。
遙もいつか、それを乗り越えられるといいと思う。
そんな想いが伝われば、と遙の手を握ると、遙が俺を見上げ、少し表情を和らげて笑った。
あんたは、そうやって笑っている方が似合う。
「藤次郎、その浴衣!!あーっ、もう、何だか悔しいな!!派手な浴衣着てきっとヤンキーぽいから笑ってやろうと思ってたら、滅茶苦茶似合ってんの!!」
美紀の声に現実に引き戻される。
全くうるさい女だぜ。
こんな浴衣の一つや二つ着こなせねぇでどうする。
俺は独眼竜政宗だ。
「独眼竜は伊達じゃねぇ、you see?」
フッと笑って言うと、美紀が固まった。
そして、薄っすらと頬を染める。
あんたにその表情は似合わないから止めとけ。
「ちょっ、ちょっ、遙!!」
美紀が遙の袂を引いて耳元で囁いた。
(生ヴォイスだよ!!『独眼竜は伊達じゃねぇ、you see?』聞いちゃったよ!!あんた、こんなの一日中聞いてるの!?)
「え?そうだよ?」
全く意味が分からねぇが、俺のこの口癖は400年以上経った未来でも有名らしい。
ということは、藤次郎である俺が口にするべきじゃねぇな。
色々面倒だ。
「はぁ、遙。あんた、やっぱり大物だねぇ」
美紀は遙の頭をぽんぽんと撫でた。
遙は大きな目をぱちくりとさせて小首を傾げている。
「普通はね、藤次郎を見ただけでああなるのにさ」
美紀が顎をしゃくった先には、浴衣を着た女達が遠巻きに俺達を…いや、正確には俺を見ていた。
熱っぽいその視線には見覚えがある。
いつの時代も変わらねぇな。
視線は感じていたが、慣れているので気にも留めなかった。
しかし、遙は気付いていなかったようで、あたふたと慌てだした。
「ね、ねぇ、美紀。みんなはどこかな?早く合流した方がいいね。ここに立ってたら邪魔だもんね」
「じゃあ、行こうか。はい、慶君、行こ行こ」
美紀は幸せそうな笑みを浮かべると、慶太郎と指を絡ませるように手を繋ぎ、前を歩いていった。
その笑みは、美紀なんて可愛くないと思う俺ですら、眩しいと感じた。
何故だ……?
その表情は見覚えがある…。
昨日の朝の遙の表情がフラッシュバックした。
あれは……。
あの時の遙の表情に似てるんだ……。
俺にkissをした時の遙の表情に……。
「どうしたの、政宗?」
呆然と美紀の後姿を見送っていた俺を、心配そうに遙が見上げていた。
「いや、悪ぃ、何でもねぇ。見失わないうちに行こうぜ」
「うん」
遙は微笑んだが、あの朝の笑みではなかった。
前を歩く美紀は、慶太郎を見上げて、柔らかい笑みを浮かべて話しかけている。
俺に向かって軽口を叩いている時の可愛げのない顔と大違いだ。
「どうしたの?ま…藤次郎。美紀がどうかした?」
「あいつ、俺の前と全然違うじゃねぇか」
「そりゃそうだよ。愛しの彼氏さんと一緒だもん」
「何だ、その『彼氏』って?」
「恋人…想い人?のことだよ。恋する女の子は可愛いよね」
遙はフッと寂しそうな笑みを浮かべた。
また前の男のことを思い出しているのか……?
もう思い出すな。
あんたのその表情を見るたび、胸の奥が苦しくなる。
俺が辛い訳じゃないのに、やるせない気持ちになる。
ただ、幸せそうに笑っていて欲しいんだ。
「……また、前の男のことを考えてるのか…?あんたは、恋してるのに、辛そうな表情ばかりだ……」
遙に前の男のことを忘れて欲しいと思っているのに、蒸し返してしまう自分が嫌になる。
でも、気になっていた。
遙のその表情の訳を。
「私の恋はもう終わったから……。恋はね、実らないと苦しいの…。私にもね、美紀に負けないくらい幸せな時があったんだよ……」
そこで遙は言葉を切って、俺を見上げた。
そして、懐かしそうな遠い目になる。
「想いが通じるとね、ただ微笑み合うだけで幸せになったり。手を繋ぐだけで、指が触れ合うだけで、ドキドキして、相手のことしか目に入らなくなって。いくら、『I love you』って囁いても足りないの。いつも一緒にいたくて、声が聞きたくて、触れ合っていたくて。上手く言えないけどね、すごくすごく幸せなことなんだよ」
言いながら遙がうっとりとしたような柔らかい笑みを浮かべた。
幸せそうに目が細められている。
あの時の表情だ……。
俺が見たかった遙の笑顔。
でも……。
それは俺に向けられたものではない……。
今でも、遙は……。
心の奥が重く苦しくなっていく。
遙はこんなにも幸せそうな笑みを浮かべているのに。
そうして笑っていて欲しかったのに。
俺は酷く傲慢だ。
遙に幸せでいて欲しいのに。
その瞳に俺だけを映して欲しいと願ってしまう。
俺はいずれは遙の前から消えてなくなるというのに。
……遙に愛されたい……。
「恋するとね、相手の全てが欲しくなって、胸の奥が苦しくなるんだ…。お互いに愛を与えられている間は幸せなんだけど……。麻薬みたいだね。切れるとものすごく辛い」
そこで遙はまたフッと寂しげな表情になった。
「悪ぃ。そんな顔させるつもりじゃなかった」
遙はふるふると頭を振った。
「ううん、大丈夫。大分立ち直ったから。政宗は…本当に恋をしたことがないの…?誰かにときめいたことはないの…?」
「ときめく…?」
「うん。視界にその人が入るだけで何だか嬉しくなったり、苦しくなったり。胸の奥が疼いて。目が合って微笑みかけられたら、ドキドキして胸の奥が甘酸っぱい気持ちになるような。…ないかな?」
遙の言葉を理解するのにたっぷり十秒ほどかかった。
目が合って微笑みかけられるだけで。
指先が触れるだけで。
どうしようもなく胸の奥が疼いて。
胸が高鳴って。
いつも視線を捕らえていたくて。
相手の全てが欲しくなるのは…。
遙の愛が欲しいのは……。
俺が遙に恋をしている……から……?
思わず口元を手で覆い、視線を泳がせてしまう。
頬に血が上っていくのを感じる。
この俺が恋………?
冗談……だろ?
今まで、愛していると告げられたことは数知れない。
そんな思い、感じたこともない俺は、見向きもしなかった。
愛に縋って生きるのは無様だと思っていた。
今なら分かる。
縋っているわけではない。
心が、自分の意思とは裏腹に、追い求めてしまうんだ。
どうしようもなく、相手が欲しくなって。
全てが欲しくなるんだ。
そう理解したところで、俺は絶望した。
遙とは結ばれないから。
俺は、この世界からもうすぐ消える存在だから。
この想いは決して実ることがないから。
例え、通じたとしても、その後の喪失を想像すると胸が抉られるような気持ちになる。
遙を手放したくない……。
遙が……欲しい……。
遙だけが……。
「政宗……。やっぱり恋したことがあったんだね……。きっと今も……」
遙がフッと笑った。
少し寂しそうで、少し嬉しそうな曖昧な笑い。
「政宗、その人のこと、すごく好きなんだね。辛そうだけど、いい顔してる。いつか、想いが実るといいね」
遙はそう言って花が綻ぶような笑みを見せた。
心の奥が締め付けられたように苦しい。
遙の笑顔が眩しくて、愛しい。
そうか……これが、ときめき……?
こんなに近くにいるのに。
こうして触れることが出来るのに。
この想いは実らない……。
それでも、溢れる想いは止められなくて。
俺は遙の手をギュッと握った。
「政宗にそんなに想われていて、その人幸せだな……。羨ましい……。私だったら……」
夢見るような調子で遙は話し、途中でハッと我に返り口を噤んだ。
「遙……?」
『私だったら……』
何て言いかけたんだ……?
思わず立ち止まり遙を引き寄せ、じっと見下ろす。
遙の頬が薄っすらと染まっているように見えるのは、俺の都合のいい妄想か?
少し視線を泳がせて、言葉を探しているようだ。
「藤次郎!遙!!遅いよ!!」
遙がハッと顔を上げる。
「ごめん、美紀!今行く!!」
俺の顔を見上げた遙の表情は、また友人に向けるのと同じ笑みだった。
「藤次郎、行こう?」
「ああ」
俺も唇の端を軽く上げ、いつものように笑う。
……遙……。
一体、何て言おうとしたんだ……?
Tell me……please…….
この心が壊れてしまう前に……。
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