PCの前で、キーボードの上に手を置いたまま、憂いを帯びた表情で溜息を吐いている。
遙に限って、課題が難しいからとか、課題の量が多いからとかでそんな表情になることはない。
その表情は見覚えがある。
遙が前の彼氏と別れたばかりの頃、よくああいう表情で溜息を吐いて、薄っすらと涙を浮かべていた。
私は咄嗟に直感した。
きっと政宗と何かあったのだと。
あの花火の日。
その前の日までは硬かった遙の表情が。
まるで大輪の華が綻んだように輝いていて。
政宗と話す様子はとても楽しそうで、嬉しそうで。
私も嬉しくなった。
政宗と二人で暮らすことをとても心配していたけれど、それは杞憂だったようだった。
それでも……。
あの日、遙と別れる直前の出来事を思い出す。
来栖に遙が連れ去られ、政宗と二人で探していた時のことを。
政宗はとても人事ではないような程取り乱していた。
そして、来栖を発見した政宗は……。
来栖の前で遙にキスをした。
まあ、政宗ならそういう事をしそうだけれど。
私が驚いたのは……。
遙がそれを受け入れたことだった。
来栖を牽制するための演技だったのかも知れないけれど、遙がそんなに器用じゃないことは私がよく知っている。
うっとりとした表情で、少し困ったように政宗を見上げていたあの貌は……。
遙は気付いていないかも知れないけれど、恋する女の子の表情だった。
でも、その遙が、また政宗が現れる前に戻ったかのように。
哀しそうな表情で溜息を吐いている。
政宗に何かされたのだろうか…?
遙を泣かせたら絶対に許さない……。
私は意を決して遙に話しかけた。
「遙、どうしたの?何か落ち込んでいるみたいだけど、政宗と何かあった?」
遙はハッとした様に顔を上げ、私を振り返った。
「美紀……」
少し戸惑ったように、視線を彷徨わせて、そして、弱々しく笑った。
無理して笑っていることなど一目瞭然だ。
「課題は終わったの?」
一刻も早く遙を連れ出したかったけれど、課題に取り組んでいる時の遙は誘っても頑として断るから、私は尋ねた。
「うん。さっきプリントアウトしたから。あと二つやれば終わるんだけど…」
「じゃあ、今からちょっと外出れるかな?」
「うん、いいよ」
遙はファイルをとんとんと揃えるとバッグにしまい、席を立った。
私の隣に並んで歩く。
それでも、無意識の内に小さく溜息が漏れるのだから相当重症だ。
私は遙を元気付けるように、遙の手を握った。
遙がハッとした様に私を見遣り、そして、ホッとしたように微笑んだ。
広い大学の構内を出て、大学通りへと出る。
学内の人間には結構有名だが、穴場の喫茶店がある。
500円で生ジュースやコーヒー、紅茶類が飲み放題なので、よく勉強をするために学生がたむろしている。
まだ夏休みが始まったばかりだから空いているはずだ。
私達はその喫茶店へと向かった。
二人でジュースを飲みながら、お互いに言葉を探す。
遙は憔悴しきっていて、見ているこちらの方が辛くなるほどだ。
それでも、沈黙していたら埒が明かないから、私は切り出した。
「遙、政宗とは上手くやってる?」
「うん……。政宗は優しいよ?」
「遙……。嘘は駄目だよ?私は心配しているの」
真っ直ぐに遙を見つめて言うと、遙は哀しそうに笑った。
「ううん、嘘じゃないの。政宗は優しいよ?私が大学の課題で忙しいからご飯も作ってくれるし」
「なら、何故そんなに哀しそうなの?私、遙がそんな顔しているの見てられないよ。話して楽になるなら聞いてあげるから言って」
遙はきゅっと眉根を寄せて、そして視線を落として溜息を吐いた。
「私が……いけないの……」
ぽつりと遙が呟く。
私は促すように、じっと遙の言葉を待った。
「ねぇ、美紀。すぐに離れ離れになるのが分かっているのに……好きになるのって辛いね……」
やはり、遙は政宗に恋をしたんだ。
でも、花火の日はあんなに輝いていたのに、何故、今になってそんなに哀しそうなのだろう?
「それに……政宗には好きな人がいるから……」
遙の切れ長の瞳が潤んでいる。
両手で顔を覆うと、遙はまた深く溜息を吐いた。
「こんなに好きになっちゃったのに……。すぐに別れなきゃいけないし……。それに、政宗には好きな人がいるから……。想いも伝えられない。こんな気持ちを抱えたまま、政宗に会うのが辛くて……」
ちょっと待って?
政宗の好きな人って誰?
花火の日を思い出す。
政宗と一緒にいる遙はとても幸せそうで。
政宗も優しげに隣で微笑んでいた。
花火を見ながら、ちらりと二人を見遣ると、花火を一心に見上げる遙を時折政宗が盗み見て、そしてフッと口元を綻ばせていた。
政宗が遙を大切に思っているのが伝わってくるような微笑だった。
「政宗に聞いたの?好きな人がいるって」
こくりと遙が頷く。
「花火の日に聞いてみたの。恋をしたことがあるの?って。そしたら、少し考えた後に、顔が赤くなったから間違いないと思う。きっと、政宗は……今もその人のことが好きなんだよ」
辛そうに小さな声で呟いた後、遙はまた溜息を吐いた。
花火の日……?
そういえば、初めて会った時と印象が違ったような気がした。
いや、正確に言うと、地下鉄の駅の出口で政宗に会った時は、それほど違和感は感じなかったんだけど……。
でも、花火を見ている時……。
いや、もっと正確に言うと、来栖と遙が消えてからの政宗の様子はおかしかった。
落ち着きがなくなり。
遙が戻って来ないかも知れないと聞いた政宗は完全に取り乱していた。
あのままでは、来栖を殺しかねないというほど、鋭い眼光をしていた。
あの身を斬る様な殺気を思い出すと身震いをしてしまう。
ただの家主に対してそこまでの反応をするはずがない。
「ねぇ、それって花火の前に聞いたの?」
「うん……。あれ?何でわかったの?」
間違いない。
政宗が好きな人というのは。
政宗が恋しているのは遙だ。
なのに、何故遙はこんなに哀しそうなの?
政宗が遙のことを好きなら、それが遙に伝わってもおかしくないはずなのに。
傍から見ていても分かるくらい、政宗はあんなに愛しそうに遙を見ていたのだから。
その視線を向けられて、何故遙は気付かないの?
でも、それは私が遙に告げるべきことではないから。
政宗の口から告げられるべきことだから。
それにしても、BASARAの政宗ならば、思ったことを真っ先に口にしそうなのに、何故、遙に伝えられていないんだろう?
何か……何かよくないことがあったのだろうか?
「ねぇ、遙。政宗に……何か傷付くようなことされたの?」
あまり考えたくないけど。
遙がこんなにも憔悴しきっているとうことは、何かあったに違いない。
遙はふるふると頭を振った。
「何もされていないよ…。……強いて言えば、好きな人と間違えて抱かれそうになったけど……。寝ぼけていたから…。でも、それから政宗は気をつけてずっと私を避けているし……」
「え!?」
いやいや、遙。
それは、間違えてじゃないよ。
確かに寝惚けていたのかも知れないけど、それはきっと遙のことを想っていたからだよ。
「こんな事言うと軽蔑されるかも知れないけど……」
遙が言い澱む。
「軽蔑なんてしないよ。いいから言ってごらん」
暫く躊躇った後に、遙はようやく口を開いた。
「彼氏と別れて寂しくて。不眠になったのは美紀も知ってるよね?」
「うん。薬飲めばいいって言ったのに、しばらく様子見るって言ってたよね、そういえば」
うん、と頷いて、遙の続きを待つ。
「政宗が現れた日……。あの日も、彼氏のことを思い出して寝付けなかったの。そうしたら、政宗が……そんな顔をさせたまま放っておけないって……抱き締めて眠ってくれたの……。あ、変な意味じゃないよ?本当に抱き締めて眠ってくれただけ。何か、すごく安心して……。私、やっと眠れたの。それから、毎晩、政宗は私を抱き締めて眠ってくれたの」
そんなことがあったなんて知らなかった。
何も間違いが起きなかったからよかったけど。
あの頃の遙は傍から見ていても、その哀しみが伝染しそうなくらい憔悴しきっていたから。
その寂しさを埋めるために誰かに縋ってしまっても責めることは出来ない。
ただ、その寂しさを埋めるために過ちを犯して遙自身が傷付いてしまうことだけが心配だった。
過ち…?
まさか……。
まさか、政宗は遙を……?
「遙……。本当に政宗に何もされていないのね?」
遙は寂しそうに笑った。
「何かされた方がマシだったよ」
傍から見ていても、胸が痛くなるほどの寂しげな笑いを遙は浮かべた。
「嘘。私に他の誰かを重ねて、抱かれるのは嫌。私は政宗に彼氏を重ねて見てしまっていたのに……。最低だね……」
遙はまた溜息を吐いた。
「政宗が恋心に気付いてから…。私を避けるようになったの。それまでは慰めるように抱き締めてくれていたのに。手を繋いでくれたのに。特に、好きな人と間違えて抱こうとしてしまってから、政宗はもう私に触れてくれなくなったの。気付いたのが遅かったの。政宗が触れてくれなくなってから、政宗が好きって気付いたの……。政宗には好きな人がいるのに……」
こんなに好きなのに、政宗に会うのが辛い……。
会ったら、想いがもう止められないの……。
遙は、薄っすらと涙を浮かべ、俯いた。
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