愛はかげろうのように -3-

あんまり遙が嬉しそうに俺の話をするから。
でも、それはまるで俺ではない俺の話のように聞こえて。
遙が『政宗』ではなく、『政宗様』と呼ぶから。
俺は、何故か自分自身に嫉妬した。
遙が『政宗様』と呼ぶ俺は、目の前にいる俺ではなく、子々孫々と語り継がれてきた昔語りの中の俺。

俺は、遙をからかうように、『政宗様』のことが好きかどうか聞いてみた。

遙は頬を染め。
言葉に詰まった後。
小さい頃からの憧れの人だから。
好きだと言った。

違う。
俺が遙に求めているのは、憧憬ではなく。
それも、俺の知らない俺に向けられている憧憬ではなく。
相手の全てを欲するような。
身を焦がすような。
俺が遙に対して抱いているのと同じような気持ちだ。

遙の心が俺にないことなどは分かりきっていたのに。
諦め切れなくて。
傷付くことが分かっているのに、確かめずにはいられなかった。
そして、再び、奈落へと突き落とされる。
遙への想いは溢れ出して。
でも、そのやり場がないから。
胸の奥で渦巻いて、こんなにも苦しい。

それでも、遙が俺のことを好きなことには変わりないから。
例え遙に他に愛する男がいるとしても。
俺が消えるその日まで。
ずっとそばにいられるから。
俺のこの想いを悟られなければ。

この溢れる想いをずっと隠して。
密かに愛し続ければいい。
この想いは届かないけれど。
それでも、俺は愛し続けるから。


俺はニヤリと笑うと、遙の手を引いて寺の奥へと入っていった。
右手の硝子越しに、書状が飾られている。
隣りの遙を見ると首を傾げている。

「どうした?」
「え…。えっと、達筆で読めない……。私、楷書しか読めないの」
「Alright. あんたに文を書く時は、楷書かEnglishにしてやるよ」
「何て書いてあるの?」
「Okay, I’ll explain」

義経は、亡き父、義朝の汚名を雪ぐためだけに手柄を立てたこと。
それ以外、何も高望みしたことがないこと。
謀反を起こすつもりなど毛頭ないのに、これほどまでに頼朝の叱責を受けて深く悲しんでいること。
直接会うことも許されないので、せめて、この気持ちを知って欲しくて文をしたためていること。
生い立ちから、どれほど兄頼朝のことを慕っているか。

それを説明すると、遙はきゅっと眉根を寄せた。

「何か、義経って可哀想だね……」
「ああ、そうだな……。頼朝もこの文を読んでいれば……。いや、頼朝自身も人質生活が長かった。きっと人を信じられなかったんだろうな」

俺も、幼い頃から母上に疎まれ。
それでも、母上を慕う気持ちは止められなくて。
そんな俺の思いも届かず、この右目を疎んだ母上に何度も殺されかけた。
母上を心底憎らしいとは思えないけれど。
今でもまだ母上を慕っているけれど。
でも、それから俺は常に警戒するようになった。

小十郎や部下達のことは信じている。
この信頼は絶対だ。
出来れば、母上や小次郎とも上手くやって行きたい。
伊達家中に禍根は残したくない。
小次郎がこれほど心を打つ書状を送ってきたら、俺は、小次郎を許すのか……?
それとも不安の根を絶つために、小次郎を斬るか……?

遙が俺の手をきゅっと握る。

「政宗…。思い悩まないで。政宗の思う通りにすればいいの。過ちは、小十郎が必ず正してくれるから。政宗には小十郎も、成実も綱元もいるでしょう?」

遙がじっと俺の目を見つめる。

「俺は……小次郎を斬るかも知れねぇ。不安要素は全て斬る。それが独眼竜政宗だ。幻滅したか?俺が怖いか?」

遙はふるふると首を横に振った。

「ううん。政宗は優しいから。無駄な殺生はしないよ。政宗が小次郎を斬らないといけないとしたら、それはきっと仕方のないことだから。だから、大丈夫。私は政宗を信じてる」

ふわりと笑った遙の笑顔が優しくて。
もし天女がいるとすれば、きっと遙のような女だ。
俺は思わず遙をきつく抱き締めていた。
その首筋に顔を埋める。

この手は血にまみれ。
これからも、罪を重ねていく。
戦だけでなく。
実の弟も手にかけて。


それでも、俺を受け入れてくれるのか……?


遙が俺の背にそっと腕を回す。
そしてそっと囁いた。

「生きて……。政宗が生きることが、私の願い。出来ればみんなと仲良くしていきたいって政宗が願っていることは、私がよく知っているから……」

遙の言葉が心の奥まで染み渡っていく。
その優しく甘い許しの言葉に。
胸の奥が熱くなって。
涙が一筋零れた。


遙……。
お前という女は……。

もしも、願いが叶うのなら。
このまま遙を離したくない。
愛しくて愛しくて。
離したくなくて。


愛している…。
ずっとそばにいてくれ……。


声にならない言葉を心の中で繰り返す。

この身体がいつか消えてしまうことは分かっているけれど。
いつまでもいつまでもこうして抱き締めていたかった。


人の気配がして、俺はそっと遙から身体を離した。

「もう、腰越状はいい?そろそろ行く?」
「ああ、そうだな」

俺達は連れ立って満福寺を出た。

海に向かって歩き、そこから海沿いの道をゆっくりと歩いていく。
一度海岸線から道が反れ、内陸を少し歩くと、またその道は海岸線へと繋がった。
海の向こうに大きな島が見える。
その島の中央に、何やら空に向かって伸びている突起のようなものがあった。

「遙、あの島から突き出てるの、何だ?」
「ああ、あれ?あれは展望台。あの屋上から景色が眺められるんだよ。確か灯台も兼ねているの」
「なあ、後で行ってもいいか?夜になったら街の明かりが綺麗なんだろう?」

遙は、一瞬目を瞠り。
その後、少し寂しそうな微笑を浮かべて頷いた。

「うん、いいよ。これから行きたいレストランがあるから、そこでゆっくり食事して、海を眺めてから行こっか?」
「Okay」

何故遙が寂しそうな表情になったのか分からなかった。
寂しそうな表情を浮かべつつも、一緒にあの展望台に行くと遙が言っているのだから、ますます訳が分からない。
遙が俺の腕をくいと引く。

「政宗。もうすぐレストランだよ。今日は少し飲もうかな」
「サングリアか?」
「うん。あとは、お楽しみ」

問いかけると、遙が嬉しそうに微笑んで。
きっと先ほどの寂しそうな表情は、気のせいではないか。
そう思えるほどに、遙の笑顔が眩しかった。


遙と入ったレストランは、使い込まれた濃い茶色の木の床が印象的な、落ち着いた雰囲気の店だった。
店の入り口は暗いが、中に入ると、席の前がガラス張りで、海が近くに見える。

「予約していた如月です」
「どうぞこちらへ」

店員に案内されたのは、海に面した、テーブル席だった。
使い込まれたいい色をしている。

「メニューに写真がついてるから、何でも好きなもの頼んでいいよ。湘南の魚介がいいと思うけどな」
「そうだな。サザエとか手長エビが美味そうだな」
「あ、それ、私も好き!」
「そうか。じゃあ、適当に頼んでつまむか」
「うん!」

遙はレストランに入ってから、ずっと嬉しそうに。
しかし、どこかそわそわとしている。

「ごめん、ちょっと待っててね」

遙は席を立つと、店員の方に歩いていった。
男の店員と親しげに話しているのが気に食わない。
そんな嬉しそうな笑顔を他の男に向けるんじゃねぇ。
でも、そのまま二言三言交わして遙はすぐに戻って来た。

「お待たせ。あ、政宗、煙草吸う?一日3回定期的に吸うんでしょ?」
「よく知ってるな」
「だって、歴史に残っているもの」

そう言って、眩しそうに目を細める。
遙から煙草を受け取ると、遙がライターに火を点ける。
俺は遙の手元に顔を寄せ、煙草に火を点けた。
軽く煙を吸い込んで吐き出す。
遙も自分の煙草に火を点けると、ゆっくりと煙を吸い込んだ。

そのまま二人で窓の外の海を眺める。
二人きりでこうしてのんびりと寛ぐのは久しぶりのような気がした。
目の前に座る遙が一体何を想っているのかは分からないが。
このところ、ずっと遙は塞ぎこんでいて。
俺も自分の気持ちを持て余していたから。
いや、実際、今も、遙が何を想っているのか気になって仕方がない。
ちらりと遙を見遣るが、遙はぼんやりと海の向こうに見える島を見つめていた。

煙草を一本吸い終わる頃に、再び店員が戻ってきた。
そして、一緒にやってきたもう一人の店員が手にボトルを持っている。

店員が遙に目配せをすると遙がふわりと笑った。

何二人で微笑み合ってんだ!?
思わずこめかみに青筋が走りそうになったその瞬間。
それは突如として始まった。


Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday, dear Masamune
Happy birthday to you


いきなり3人が歌いだして、俺は面食らった。

Happy birthday?

「政宗。It’s August 3rd today. It’s your birthday」

目の前の遙が、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべている。
遙が何故、そわそわとしていたのか、今になってやっと分かる。
今日は、葉月の三日。
俺の生まれた日だ。
遙が今日出かけようと言ったのも、俺の生まれた日を祝いたかったから。
Surprise partyをしたかったから。
ふつふつと喜びが沸いて来る。

遙のいじらしさに。
愛しさがこみ上げてきて。
抱き締めてキスの雨を降らせたい。

「政宗さん。お誕生日おめでとうございます。1987年物のブルゴーニュの赤です。この年のワインは濃厚な、構成の整ったワインで、出来がとてもいいんですよ」

店員は慣れた手つきでワインのボトルを開けると、グラスに少し注いだ。

「テイスティングしますか?」
「そうだな」

俺は、グラスを軽く回し、ワインの雫がゆっくりとグラスを滑り落ちてくるのを見ながら、軽くその芳醇な香りを楽しむと、一口口に含んだ。

「ああ、いいワインだな」

遙は少し驚いたような表情をした後に、夢見るような表情で微笑んだ。

「良かった。政宗が気に入ってくれて。It’s 19 years old」

そう言ってくすりと笑う。

「Ha!Same as my age」

遙から、この世界では、20未満は飲酒禁止と聞いていたから、俺も異国語で答える。

俺の生まれた日に。
俺と同じ年のワインをpresentにするとは。
粋だぜ。
生きている時代は違うが。
紛れもなく、生まれてから俺と同じだけの年月を生きてきたこのワイン。

「お誕生日はケーキで祝う事が多いんだけど、政宗、甘いのは苦手って言ってたから、こっちの方がいいかなって」
「ああ。最高にcoolだぜ。I love you」

遙と同じように、Thank youの代わりにI love youと囁く。
伝えたくても伝えられない。
これが本当の俺の気持ちだから。


俺は、お前を愛しているんだ……。


俺は席を立つと、遙の頭を引き寄せ、頬に口付けた。
柔らかな頬に口付けると、愛しさが心の奥からあふれ出し。
そのまま唇を奪いたくなる。
ぐっと堪えて唇を離すと、遙は耳まで薄っすらと赤く染めて、信じられないというような表情で俺を見上げている。

「嫌だったか…?」

あまりに遙が固まったまま動かないので、問いかけると、遙はふるふると首を横に振った。

「ううん。政宗が喜んでくれて、私も嬉しい。あ、でもね、プレゼントはまだあるんだよ」

遙は今日一日ずっと大切そうに抱えていたバッグを開けると、丁寧に包装された小さな包みを出した。

「開けてみて」

繊細な包みはそれだけで煌びやかで、開けるのが勿体無くなるほどだったが、俺はそれを少しずつ解いていった。
包みの中は白い箱だった。
それを開けると、竜の意匠が施された銀色の金属が入っていた。

「これは、ライターか?」
「うん、そう。ZIPPO。もう、石もオイルも入れてあるから」

蓋を開けるとキンと小気味良い金属の音がする。
火を点けてみて、俺はまたそれを閉じた。

西洋のdragonのdesignだ。
燻しがかかっていて、coolだ。
俺が今着けている指輪ととてもよくmatchする。

「Thank you. I like it。俺の好きなdragonだな」

俺は煙草を取り出し、火を点けると、ライターを閉じ、テーブルの上に置いて眺めた。
普通のライターで点ける煙草と味が違う。
煙草を燻らせていると、先ほどワインを持ってきた店員が羨ましそうに見ていた。

「いいなあ。俺、これ欲しかったんですよね。でも、どこに行っても売ってなくて。鉤爪と鱗が格好いいですよね。お客さんも龍が好きなんですか?」
「ああ、好きだぜ」

何せ、独眼竜だからな。

「じゃあ、江ノ島にはもう行きました?」

What……!?
江ノ島……?

それは、遙が誰かと行こうとしていた島じゃねぇか!!

俺は顔色を変えないように、唇の端を軽くつり上げて笑った。

「いや、行ったことがねぇ。江ノ島と龍にどんな関係があるんだ?」
「江ノ島って龍の伝説が多いんですよ。島の入り口にも龍の石像が立っていますし。竜宮大神っていう神社もあります。夜行くと結構怖いんですよね。あとは、昔、竜の棲家だったと言われている岩屋洞窟とか、それから龍恋の鐘っていうのもありますね」


龍恋の鐘と聞いて、胸がドキリとする。
鐘の謂れを思い出す。


遙は、誰かに想いを告げようとしている……。
永遠にそいつと結ばれるために……。
俺ではない誰かに……。

胸の奥が再び苦しくなっていく。


でも、待て。
何故、ここで江ノ島の話題が出るんだ?
江ノ島は藤沢にあるんだろう?


「なあ。その江ノ島って鎌倉にあるんじゃないよな?」
「その通りです。江ノ島は藤沢市です」

もしかしたら、江ノ島は鎌倉にあるのでは。
遙は俺とそこに行こうとしていたのでは。

一瞬脳裏を掠めた期待はあっけなく砕かれた。

しかし、男は俺の落胆をよそに愛想よく続けた。

「まあ、鎌倉と藤沢は隣りの市ですけどね。ほら、目の前のあれが江ノ島ですよ」

まさかあの島が江ノ島だとは思いもよらなくて。
落胆したすぐ後だったから、その衝撃はあまりにも大きくて。
俺は驚きのあまり、煙草を取り落としそうになって、何とか平静を装った。


遙が……。
遙が江ノ島に一緒に行きたかったのは……。



この俺……なのか……?



⇒Next Chapter
prev next
しおりを挟む
top