梵と遙ちゃん二人を包む雰囲気そのままの甘く切ない旋律。
梵は遙ちゃんが夜想曲を弾いている時は、俺達を近づけないようにしているが、俺は前にこっそり二人を覗いた事がある。
梵は俺達には見せた事がない、とても優しい幸せそうな表情を浮かべて、ピアノを弾く遙ちゃんを見つめていた。
躊躇う小十郎の腕を引き、ほんの少し扉を開く。
扉の隙間から、俺達は梵と遙ちゃんの様子を盗み見た。
梵は遙ちゃんの右側に立ち、グランドピアノを弾く遙ちゃんを愛しげに見つめていた。
遙ちゃんは長い睫毛を伏せて、一心にピアノを奏でている。
どれだけ遙ちゃんが梵を深く愛しているか伝わってくるような、聴いているこちらの胸の奥が甘く疼くような、そんな情感豊かな旋律だった。
ピアノの音色に陶酔しているような遙ちゃんの表情は、甘く切なげでとても美しかった。
梵が俺達に見せたくなくなるのも頷ける。
だって、遙ちゃんのあの表情は、梵だけのものだから。
梵はピアノを弾いている遙ちゃんを抱き寄せた。
ピアノの旋律が乱れてそして止む。
遙ちゃんの隣りに腰掛け、何度も優しく口付けている。
その姿は吸血貴族の頂点に立ち、魔物を統べる冷酷無比な男にはとても見えなかった。
そこにいるのは、ただの恋する一人の男だった。
二人とも蕩けるように幸せそうな表情をしている。
「なぁ、小十郎。あんなに二人とも愛し合っているのにさ、婚礼をただの血なまぐさい儀式の場にしてもいいのか?俺、今まで『神聖』とかそういうの馬鹿にしてたけどさ、あの二人を見てると愛し合うってとても尊い事だと思うんだよね。神に呪われた俺達だけどさ、それでも、梵は神の前で永遠の愛を誓いたいんだと思うよ。一度しかない婚礼だし」
小十郎は眉間に皺を寄せ、思案するように二人を見つめていた。
「一度しかない婚礼…か…」
「ああ」
尚も思案するように小十郎は二人を見つめていたが、その表情がふわりと柔らかくなる。
そして、俺を見遣り、小十郎は微笑んだ。
「誰が『一度しかない』と決めた。『貴族』式の婚礼も勿論挙げて頂く。だが、その前に政宗様のお望み通り、お二人だけの婚礼を挙げてもいいだろう?」
「小十郎、お前…」
「成実、礼を言う。俺はお二人の気持ちをないがしろにする所だった。これから忙しくなるぜ。お前ぇも来い」
さっと踵を返す小十郎の後を俺も追いかけた。
口許に堪え切れない笑みが上っていく。
良かったな、梵。
俺、お前と遙ちゃんには幸せになって欲しいんだ。
俺達はいつでも見守っているから…。
俺は、成実と小十郎の気配が消えると口許に淡い笑みを浮かべた。
「政宗、どうしたの?」
「何でもねぇよ」
首を傾げる遙にそっと口付けを落とす。
「成実から婚礼の事を聞いたか?」
「うん…。私…自分の身は自分で守れるようになりたいな…。もう、政宗に哀しい思いはさせたくないの」
思い詰めたように俺を見上げる遙の頬をそっと包む。
「お前は俺が守る。俺の迷いのせいで、俺はお前から全てのものを奪っちまった。ゴメンな」
首を横に振る遙を抱き寄せる。
「お前から祝福された人生を俺は奪った。せめて婚礼くらい、人間と同じようにしてやりたかった。いや…」
何故だろう。
遙には純白の長いwedding dressを着せたかった。
いつか叶わなかった夢を叶えたい。
そんな気持ちがしていた。
「政宗?」
「真っ白なドレスを着たお前は綺麗だろうな。お前のドレス姿が見たい。人間の女にとって、純白のwedding dressは憧れじゃねぇのか?」
「私は好きな人とは結ばれないと思っていたから…。ウェディングドレスは屍衣みたいなものだと思ってた。でも…政宗と、祭壇の前で愛を誓うのは素敵だね」
ふわりと笑った遙の瞳が潤み出す。
涙が一筋頬を伝っていって、俺は戸惑った。
何か泣かせるような事でも言ったか…?
「遙、どうした?何か哀しい事でもあったか?」
遙の頬を両手で包んで顔を覗き込む。
「分からないの。哀しいんじゃない。懐かしくて…嬉しくて…。きっと遠い昔にも私達はこうして結ばれたんだよ」
「そうなのか?」
俺の記憶にはない。
ただ、どうしても遙にドレスを着せてやりたい。
そんな思いだけが強く心に残っていた。
「じゃあ、もう一度、永遠の愛を誓おうぜ。お前は何も心配しなくていい。お前をこの世で一番幸せな花嫁にしてやるよ」
婚礼の日、遙ちゃんのドレスを梵は自ら着付けた。
城に侍女だっているのに、遙ちゃんを溺愛している梵は誰も信じられないようだ。
梵を見てると本当に恋は盲目だと思う。
それに、『貴族』でありながら人間の真似事をした事が外部に露呈すれば伊達の沽券にも関わる。
今回の婚儀は俺達だけの内々のものだ。
白い礼服に身を包んだ梵に手を引かれて部屋を出て来た遙ちゃんの姿を見て、俺は息を呑んだ。
純白のふんわりとしたドレスの裾は長く、まるで王女のように清楚で可憐だった。
白いヴェールを被った遙ちゃんは幸せそうで、見ているこちらまで幸せな気分になっていく。
「Honey, 俺は先に小十郎の所に行って来る。成実、エスコート頼むぜ」
ヴェール越しに遙ちゃんの頬にキスすると、梵は広間へ入って行った。
「じゃあ行こうか」
遙ちゃんの腕を取って歩き出す。
本当は遙ちゃんの父上がこうして腕を取って歩くはずだったのに。
勿論、結婚相手が吸血鬼ともなれば、こうして参列する事など始めからないけれど。
それでも、家族の事を思い出して哀しくなったりしていないだろうか。
心配になって遙ちゃんの様子をちらりと窺ったけれど、目を伏せて静々と歩く美しい横顔からは何も読み取る事が出来なかった。
広間の正面は、月光に照らされたステンドグラスが色とりどりの鮮やかな光を床に落としていた。
綱元の弾くパイプオルガンの荘厳な音色に厳かな気持ちになっていく。
梵は目を細めて遙ちゃんをじっと見つめていた。
梵の隣りまでエスコートすると、俺は小十郎の後ろに立って二人を見つめた。
二人の前にローブを着た小十郎が立つ。
綱元の演奏が終わると、小十郎は口を開いた。
「では、誓いの儀式を。政宗様、貴方は遙様を妻とし、病める時も健やかなる時も常にそばにあり、滅びの時まで永遠に変わらぬ愛を誓いますか?」
「誓う。例えこの身が滅びようと、遙への愛は変わらねぇ。永遠に愛し続ける」
遙ちゃんの瞳が潤みだし、涙が頬を伝っていく。
小十郎は頷き、遙ちゃんに向き直った。
「遙様、貴方は政宗様を夫とし、病める時も健やかなる時も常にそばにあり、滅びの時まで永遠に変わらぬ愛を誓いますか?」
「誓います」
震える声で囁くように遙ちゃんは誓った。
「では、指輪の交換を」
小十郎が二人に指輪の入ったケースを差し出す。
誓いの言葉を囁きながら、二人が指輪を交換する。
梵が遙ちゃんの手を取り、指輪にキスすると、遙ちゃんはポロポロと涙を零した。
「遙、泣くな」
「だってっ…幸せ過ぎて、切ないの…」
梵はふわりと笑うとヴェールを上げて、遙ちゃんの涙を拭った。
「そんな事言ってたら、お前、泣いてばかりになるぜ?お前をもっと幸せにしたい。遙、愛してる。これからは永遠に離さねぇ」
梵が遙ちゃんを抱き寄せると、遙ちゃんも梵の首に両腕を回した。
何度も優しい口付けを交わす。
何か人間の祝言っていいなあ。
俺も可愛い嫁さん欲しくなって来たかも。
梵と遙ちゃんみたいに幸せラブラブしたいなあ。
ふと小十郎を見遣ると、小十郎は二人から思いっ切り顔を背けていた。
「何だよ、小十郎。照れてんのか?」
小十郎の肩に手をかけて、こちらに振り向かせようとすると、手を振り払われた。
「触るんじゃねぇ!」
その声が震えていて驚く。
よく見ると、肩も小刻みに震えている。
「小十郎、お前泣いて…」
「悪いか!?政宗様がこんなにお幸せそうにしていらっしゃるのを見て、泣かずにいられるか!」
「鬼の目にも涙…」
「うるせぇ!後で覚えていやがれっ!」
小十郎の怒号に気を取られ、二人は唇を離した。
「小十郎、俺の我儘を聞いてくれてthanks」
「数々の非礼、申し訳ございませんでした」
「いいんだ、小十郎。こうしてお前達に祝福して欲しかった。俺は満足だ」
「政宗様っ…!」
感きわまった小十郎の声が震える。
梵は笑いながら小十郎の肩をぽんぽんと叩くと、遙ちゃんを抱き上げ自分の部屋へと帰って行った。
そして俺は、小十郎の泣き顔を見て笑ってしまったために、剣を振りかざした小十郎に追いかけ回される羽目になった。
やっぱり鬼の目にも涙だ。
あの小十郎を感動させて泣かせるなんてたいしたものだ。
あー、やっぱり俺も遙ちゃんみたいに可愛い嫁さん欲しいな!
なんて言ったら今度は梵に殺されるけど。
これからも幸せに。
俺達はいつまでも見守っているから。
Fin…
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