番外編:Be as you are. act.1

目を覚まし寝所を出て広間に入ると、すでに、先に起きていた小十郎が眉間に皺を寄せ、何やら深刻な面持ちで溜め息を吐いていた。

「何だ、小十郎、まだ梵と話がついてないわけ?」
「ああ、その通りだ成実。全く政宗様にも困ったものだ。他の魔族に示しがつかないというのに」
「なあ、小十郎。梵の好きなようにさせてあげればいいんじゃないの?」
「これだけはそういう訳には行かねぇのはお前ぇだって分かっているだろう?」
「そうだけどさぁ」

でも…と言葉を続けようとしたところで、小十郎は俺の背後に視線を移した。
つられて振り返ると、遙ちゃんを姫抱きにして機嫌良く広間に入ってくる梵の姿があった。

「Good evening, everybody」
「ねぇ、政宗、恥ずかしいから下ろして」
「Rejection!」

こんな光景ももう見慣れた。
梵は片時も遙ちゃんを離すつもりはないらしく、いつもまとわりついている。
まるでいつも触れていないと、遙ちゃんがどこかへ消えてしまうのではないかと恐れているようにも見えた。
遙ちゃんもこうして俺達の前では恥ずかしがっているものの、梵と二人っきりの時は、甘えるように梵にいつも寄り添っている。

早く婚礼の儀式を挙げちゃえばいいのに。

でも、その婚礼の儀式こそが、小十郎の頭痛の種だから俺は何も言えない。
小十郎の立場も分かるし、梵の気持ちも分かるから。

「政宗様。今日こそはきちんと話し合って頂きますからね」

眉間に皴を寄せて小十郎が梵を睨み付ける。
梵も眉間に皴を寄せて小十郎を見つめていたが、やがて溜め息を吐いて遙ちゃんを下ろした。

「Honey, 悪ぃが成実に相手してもらってくれ。俺は小十郎と話さなきゃならねぇ事がある」
「うん」

遙ちゃんは、怪訝そうに、そして不安そうに梵と小十郎を交互に見遣り、そして頷いた。
俺が遙ちゃんの手を取って部屋を出ようとすると、梵の鋭い声が背後から飛ぶ。

「成実!馴々しく遙に触れるんじゃねぇ!!」
「エスコートくらいいいだろ!?『貴族』なんだから!」
「手ぇ出したらただじゃおかねぇからな!」
「そんな末恐ろしい事するわけないだろ!!」

俺は溜め息を吐きながら、早々に梵の視界から消えることにした。
部屋を出てすぐに遙ちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「ねぇ、成実。政宗と小十郎、どうしちゃったの?私のせい?」
「いや、遙ちゃんのせいって言うより、『貴族』の風習のせいかな」
「『貴族』の風習?」
「うん」

梵は遙ちゃん以外を娶るつもりはないだろうから、遙ちゃんはいずれは知らないといけない。
別に隠すほどのことでもないし、単に傍から見ていてあまりに不毛な言い争いだから今まで黙っていたけど、小十郎に不機嫌そうな殺気を向けられるのはもう御免だし。
この際、遙ちゃんにバラしてしまおうか。

「何だったら、覗いてみる?」

悪戯っぽく笑うと、遙ちゃんは驚いたように目を瞠り、心配そうに俺の顔色を窺った。

「大丈夫なの…?」
「うん、まあ、ね。見れば分かるよ」

音を立てないように、そっと広間の扉を細く開ける。
普段の二人なら気付くであろうこの気配にも、二人共完全に気付いていない。
俺はやれやれと溜め息を吐いて、遙ちゃんを扉の前に立たせた。
恐る恐る遙ちゃんは中を覗いた。
俺も頭一つ分小さい遙ちゃんの後ろに立って寄り添うようにして中の様子を窺った。

「絶対に白だっ!」
「いいえ、なりませぬ。黒ですっ!」
「こればっかりは譲れねぇ!白だと言ったら白だ!」
「黒です!」

広間に二人の怒号が響き渡っている。
遙ちゃんは目をぱちくりさせて俺を見上げた。

「政宗と小十郎、何を言い争ってるの?まるで子供の喧嘩みたい…」

うん、言いたい事は分かる。
俺だってあんな梵と小十郎見たくないよ。

「あはは…はぁ…。遙ちゃんが呆れるのも分かるけどね。二人にとっては大事な事なんだよ」

遙ちゃんは訳が分からないというように首を傾げた。

「あのね、二人は遙ちゃんの婚礼の衣装の事で揉めてるの」
「え…?」

遙ちゃんは不安そうに眉根を寄せた。

「梵はね、人間の婚礼みたいに、遙ちゃんに純白のドレスを着せて、身内だけで式を挙げたいんだってさ。でも、他の魔族に示しがつかないから、小十郎は伝統的な『貴族』の婚礼の儀式を盛大に行なうべきだって、二人共譲らなくてさ。ああやって言い争ってるの。はぁ…」
「そうだったんだ…」

梵が本当は誰にも遙ちゃんを見せたくない事は知っている。
俺達は身内だからこうして近付いても梵は信頼してくれてる。
いや…疑ってるかも知れないけど。
それに、梵は遙ちゃんになるべく今まで通り人間と変わらないような生活をさせてあげる事に最大の配慮を払っている。
遙ちゃんが『貴族』になってからしばらく経つけど、遙ちゃん自身が狩りをした事はまだない。
人を手にかけた瞬間から何かが変わってしまうから。
梵は遙ちゃんに汚れて欲しくないんだと思う。
それほど遙ちゃんを大切にしている事が伝わって来た。

一方で小十郎の言い分も分かる。
梵が遙ちゃんを正妻に迎えた事ははっきりと儀式で示すべきだ。
婚礼の儀式の場で遙ちゃんの使い魔が決まる。
まだ『貴族』になって日も浅い遙ちゃんの魔力は限り無く弱い。
遙ちゃん一人では使い魔との契約もままならない。
遙ちゃんの事は俺達が、何より梵がきっと守ると思うけど、より上級の使い魔と契約して守りを万全にするべきだと言う小十郎の意見は正しい。

「梵はね、遙ちゃんと人間と同じような婚礼を挙げたいんだよ。でも、小十郎は『貴族』的な婚礼を主張してる。婚礼の儀式で、遙ちゃんを守る使い魔が決まるからさ。二人共、遙ちゃんを大切に思っているんだよ。だから俺には二人を止められない。綱元は小十郎に賛成してる」
「そうだったんだ…」

遙ちゃんは心を痛めたような表情になって俺を見上げた。

「一度しかない婚礼だもんね。自分で決めたいよね。遙ちゃんはどっちがいい?」

梵と小十郎に聞こえないように、俺は遙ちゃんの耳元で囁いた。

「二人には言わないからさ。正直な気持ちを俺に言ってごらんよ」

思い詰めたような顔つきで俯く遙ちゃんを慰めるように頭を撫でた。

「私は…」

俺が遙ちゃんの答えを聞くことはなかった。
突然勢いよく目の前の扉が開き、頬を何かが掠めて行って、背後の壁にぶつかってカランと転がる音がした。
少し遅れて頬に痛みが走る。
頬を冷たい血が流れ落ちていく感触がした。

「梵!危ねぇだろっ!」
「Oh〜、手元が狂っちまった。お前に当てようとしたのに掠るだけとは残念だぜ」

ちゃっかり腕の中に遙ちゃんを閉じ込めて、梵はこめかみを引きつらせながら俺を睨み付けていた。

「手ぇ出すなっつっただろ!」
「出してねぇよ!」
「人の女の耳元で囁いてんじゃねぇっ!」

怒号と共に空気が帯電する。
俺は溜め息を吐いた。

そんなに怒らなくてもいいじゃん。
こうなったらもう手は付けられない。

「遙、行くぞ」

梵はもの言いたげな遙ちゃんを抱き上げ、有無を言わせず部屋を出て行った。

俺は頬の血を拭いながら、額に手を着いて溜め息を吐く小十郎の下へと行った。

「何故政宗様は分かって下さらないんだ…」
「まあまあ。俺、梵の気持ちも分かるし」
「だがな、いずれ遙様にも覚悟を決めて頂かなくちゃならねぇ。婚礼がいい機会だろう?」
「確かにそうだけどね…。なあ、小十郎。遙ちゃんの気持ちは聞いたのか?」

小十郎は厳しい顔つきになって俺を見つめた。

「こればっかりはお二人の我儘を通す訳にはいかねぇ。俺の役目はお二人を御守りする事だ」
「小十郎、お前の立場も分かるけどね…。二人の気持ちも考えてあげようよ。これから二人の様子を見に行かないか?」

いつも、小十郎は二人の邪魔をしないように、二人をそっとしておいている。

「俺はお二人を邪魔するつもりはねぇ」

小十郎はふいと顔を逸した。

「邪魔なんかじゃないよ。様子を見るだけ。目を逸してたら大切な事も見えなくなるよ?」

ポンと小十郎の肩を叩く。
小十郎はしばらく俯いて思案していたが、やがて頷いて立ち上がった。
遠くからピアノの音がする。
俺達は器楽室に向かった。
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