06. Sonata -悲愴-

その日も俺は使い魔から連絡を受け、遙の元へと急いだ。
ここの所、遙は頻繁に夜会に連れて行かれる。
優雅なドレスで着飾った遙は月の精のように美しかった。
髪を結い上げ露になっている白い首筋に眩暈を覚える。
こんなにも大切にしたいのに、遙の白い喉を見てどうしようもない程の渇きに苛まれる俺はやはり吸血鬼なのだと思い知る。

遙にはいつまでも綺麗なままでいて欲しい。
神に祝福された幸せな人生を送って欲しい。
遙の幸せのためだったら俺自身の手はいくら汚れても構わない。

本当は遙を抱き締めたい。
腕の中に閉じ込めて、愛していると告げたい。
優しくキスをして。
いつかどこかでいつもそうしていたように、いつまでも抱き合って互いの想いを確かめたい。

でも俺は血に飢えた浅ましい吸血鬼。
こんなに離れた所から見つめているだけでも遙の姿に欲情して、本能の赴くままに誘惑してその甘美な血を啜りたいと渇望してしまう。

遙と抱き合って平静でいられる訳がない。
きっとこの手にかけて、遙を汚してしまう。
遙を見つめる度、想いは募っていくばかりなのに、同時に渇きも増す一方で、遙を見守った翌晩は、狂ったように血を求めた。


そんなある晩、いつものように使い魔から連絡を受けて俺はまた遙の下へと向かった。
遙は屋敷を抜け出し庭の奥の林の中へと入っていく。
屋敷の敷地内とはいえ、見晴らしの悪い林に吸血鬼が潜む事もある。
俺はいつでも戦えるよう、人型に姿を変えて、遙の後を追った。
人間と違って、吸血鬼は足音も気配もない。
闇に紛れて近付くのは赤子の手をひねるより簡単だった。

「遙、こっちだ」
「Andy!」

男の声を聞き、俺は気付かれないよう先回りをして、二人の様子が伺える木陰に身を潜めた。
吸血鬼にとって、闇などただの日陰程度の薄暗さで、夜は人間の昼間と変わらない。
空に輝く星は様々な色に煌めき、まるで人間達が欲しがる宝石のような煌めきを放っている。

Andyは、月明りの木漏れ日の下で遙を抱き寄せた。

もしこのまま遙を襲うというなら、この男を返り討ちにして…。
いつでも飛びかかれるように間合いを計っていると。

遙は男の腕の中に飛び込んでうっとりと微笑んだ。

その時の俺の気持ちをどう言い表せばいいだろう。

妬み、絶望、怒り、哀しみ。

全ての負の感情が胸の奥から沸き起こって眩暈がする。
この男を今すぐねじ伏せて、もっとも残虐な方法で惨殺したい。


遙は俺のものだ!!


俺の身体に刻み込まれている、覚えのない記憶がそう叫んでいる。

「来ちゃった」
「来てくれて嬉しいよ。誰にも見つからない所で君をこうして抱き締めたかった。遙、愛してる」
「私も…」

二人の顔がそっと近付き。
そして唇が重ねられた。


その言葉は、行為は俺だけのものだったのに。
何故、俺があいつじゃねぇんだ!!
俺がもし人間だったら、何の迷いもなく遙に想いを告げていた。
ああして抱き合えた。


俺が吸血鬼だから…。


男の腕の中の遙は幸せそうに微笑んでいる。
これこそが俺の望んでいた事じゃねぇか。
俺は遙の幸せを誰よりも願っていた。
でも、素直に祝福出来ない。

記憶の中の遙は俺の腕の中で幸せそうに微笑んでいた。
魂を引き裂かれるような痛みに襲われて、胸の辺りをギュッと掴む。
胸の奥が苦しくて上手く呼吸が出来ない。

幸せそうに口付けを交わす二人を見つめる。
胸の痛みが増して、気が狂いそうだった。

どうせ俺と遙が結ばれないなら、俺には遙の幸せを祝福してやる事しか出来ない。
俺は遙の身の安全を守るため、その場を立ち去る事が出来なかった。

後で気付いた事だが、あの男は遙の家庭教師だ。
身分違いの恋。
そう簡単に遙と添い遂げる事は出来ないだろう。
でも、俺と遙の間にある障壁に比べたらそんな事、障害にすらならない。
遙が意に沿わぬ婚儀を挙げるくらいなら、この二人を祝福する方が遙にとって幸せだ。

それでも俺は、俺以外の男の腕の中で幸せそうに微笑む遙を見つめるのが辛かった。
俺の心はずたずたに切り裂かれ、見えない血をドクドクと流していた。

それでも俺は決めていたから。
ずっと遙のそばにいると。
例え誰と結ばれようと。
遙がいつか天に召されるまで、ずっと。

今まで生きて来た中で、たった一人心の底から愛した女だから。


遙の幸せのためならいくら手を汚しても構わない。
俺自身の心がいくら傷ついても構わない。


遙。遙…。


お前は俺の全てなんだ…。

お前の幸せのためだったら俺は何でも出来る…。
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