いつものように遙は人目を忍び、Andyとの短い逢瀬に溺れている。
見つめ合い、愛を囁く二人の姿なんて、もう見慣れたはずなのに、未だに心が追い付かない。
二人を見つめる度、胸の奥がきりきりと痛む。
「遙、二人で遠くに逃げないか?」
「え…?」
唇を少し離してAndyが囁いた。
遙は驚いたように目を瞠った。
俺も我が耳を疑ってAndyを見つめる。
「駆け落ちしよう。南につてがある。俺と同じ異国の奴が多く住んでいる所だ。君には今までとは違って苦労をかけると思うけど…」
遙はふるふると首を横に振ってAndyの衣服をキュッと握り締める。
「大丈夫。苦労なんて何でもない。今みたいな鳥籠のような生活から抜け出られるなら…」
「そうか、分かった。次の満月の晩の12時に街外れの森の泉で落ち合おう。以前、遠乗りに行った所だよ。分かる?」
「うん」
「そこからそう遠くない所に停車場がある。長い旅になるよ。長崎まで行くから」
長崎…。
この奥州から遠く離れた所だ。
馬車に乗って、更にそれから船に乗る。
遙は遠く遠く離れた所に行ってしまう。
もう俺の手には届かなくなる。
こうしてそばでその姿を見守る事が出来なくなる。
例え俺の存在に気付かなくてもいい。
いつもそばで見守っていられるならそれで良かったんだ。
遙は永久に俺の前から姿を消してしまう。
やっと見つけたのに。
もうそばで見守ってやれない。
俺達はいつもこうして別れてしまう運命なのか…?
記憶にはないのに、以前も遙と離れ離れになってしまったような気がする。
魂の半身が無理矢理引き剥がされるような痛みと虚無感と絶望感が蘇る。
それでもそれが遙の望みなら…。
俺は遙の幸せを願っているから。
俺が叶えてやれる望みなら、最後に一度だけ叶えてやりたかった。
俺は遙が部屋まで帰るのを見届けると、城に戻った。
城に戻ると小十郎が出迎える。
「政宗様、お帰りなさいませ」
「ああ。小十郎、次の満月の晩、馬車を出してくれ」
「遂に心を決められましたか」
小十郎は俺が遙を想っているのを知っている。
吸血貴族が人間の女に執心するのを良しとしない慣習を承知の上で、黙って見過ごしてくれている。
「政宗様が正式に『貴族』の姫として遙様を迎えるのであれば、この小十郎、異存はございませぬ」
『貴族』として迎える。
それは遙を吸血鬼に貶めるという事だ。
ただ吸血鬼に吸血されただけの人間は『貴族』ではなくただのノスフェラトゥだ。
『貴族』と違って魔力も持たない、ただ血に飢えただけの魔物。
『貴族』に吸血され、『貴族』の血を啜った人間のみが吸血貴族となる。
俺は首を横に振った。
「遙は『貴族』にはしねぇ。男と駆け落ちをするらしい。でも、相手の男が足を手配しなかったから心配だ。遙は箱入り娘だ。人さらいに遭うなんて許せねぇ」
小十郎は驚いたように目を見開いた。
「それでは政宗様!みすみす他の男に手渡すおつもりですか!?」
「仕方ねぇだろっ!?それが遙の幸せだっ!!」
一番言われたくない事を指摘されて、思わず小十郎に当たり散らしてしまった。
小十郎は息を呑み、そして嘆息した。
「小十郎には分かりませぬ。政宗様ほど深く遙様を想っている男などこの世におりましょうか。本当にそれが遙様の幸せなのですか?」
俺は唇を噛んで俯いた。
「なあ、小十郎。お前、昔、人間だった時の事、覚えてるか…?」
「そうですね…。もう随分昔の事ですが」
生まれ落ちた時から吸血貴族だった俺とは違い、小十郎は昔、人間だった。
教会の次男として生まれた小十郎は穀潰しとして厭われ、養子に出された。
しかし、養子縁組先で男児が生まれ、そこでも小十郎は冷遇された。
憤懣遣る方ない小十郎は、武芸や楽、野良仕事に打ち込んだ。
そんなある日、小十郎の笛を気に入った父上が、俺の守役にと小十郎を城に迎え入れ、そして小十郎は父上の手で『貴族』になったのだった。
「太陽が恋しくねぇか?俺は生まれた時から『貴族』だから分からねぇが」
小十郎が好きだった野良仕事も、吸血鬼となった今では何の意味も成さない。
太陽の恩恵で瑞々しく育った野菜を見るのが好きだったと語った、小十郎の懐かしそうな淋しそうな表情を、俺は今でも覚えている。
「さあ…もう数百年も前の話ですから。小十郎は、政宗様にお仕え出来て幸せですよ」
「そうか…」
優しげに微笑みかける小十郎を見て、いい家臣に恵まれたと思う。
でも、俺は、時折小十郎が月を太陽に見立てて懐かしそうに眺めているのを知っている。
人間にとって、太陽は命の源だ。
遙にそんな想いはさせたくねぇ。
「小十郎。遙はお前とは違う。お前は望んで『貴族』になったが、遙は何の苦労もない幸せな境遇で育った娘だ。それに遙は俺の事など何も知らねぇ。『貴族』を受け入れられる訳ねぇだろ」
「政宗様…」
「いいな、小十郎。俺の気持ちは変わらねぇ。俺は遙を見送る。お前は御者に身をやつし、屋敷のそばで待機しろ」
小十郎はしばらくじっと俺を見つめていたが、やがて頷いた。
「仰せのままに。それが政宗様の望みでしたら、これ以上何も言いますまい」
「Thanks. 俺は部屋に戻る。お前もそろそろ休め」
地下室の柩に滑り込んで、目を閉じる。
遙との別れまであと僅か。
少女だった頃の遙の姿を思い浮かべる。
もう、随分長い事遙だけを見つめて恋をしてきた。
愛していた。
もうすぐそれにも終止符が打たれる。
最後まで言葉を交わす事が出来なかったけど、それでも遙に恋をして、俺は幸せだった。
吸血鬼の俺が、こんなに温かい気持ちになれるなんて知らなかった。
遙の姿が見られるだけで嬉しかった。
生まれて来てくれて良かった。
例え離れてしまっても、俺は忘れないから…。
いつまでも、ずっと。
俺の大切な、遙…。
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