01.Time Goes By

いつからだろうな…。
仄香、お前ぇは俺の妹なんかじゃなかったんだ…。

ただの幼馴染みなんかじゃなくて、お前ぇは…。



雪の華



商談の帰り道、久々に母校の傍を車で通りかかった。
今は仄香がここに通っている。
卒業して4年。相変わらず重厚な造りの門。
あの門をくぐり、歴史を感じさせる煉瓦造りの建物が立ち並ぶ学内に足を踏み入れると気が引き締まったものだった。
この大学通りが視界に入るだけで、あの頃のゆったりとした時の流れの感覚すら蘇って来る。

ふと懐かしくなって車の速度を少し落とす。
歩道には学生の姿がちらほらとあった。
車を走らせながら時折歩道に目を遣る。
大学からそう遠くないオープンカフェでは学生達が本とPCを広げ、コーヒーを飲みながら必死にレポートを書いている。
いつの時代も変わらないとふと口許に笑みが上る。
俺はその学生の一団の中に仄香の姿を見つけた。

仄香はコートの襟を立て、しっかりとマフラーを巻き、寒そうに時折手に息を吹き掛けて手を擦り合わせる。
俺は思わず車を停めた。

寒いなら、わざわざ外ではなく中で勉強すればいい。
恐らく今は試験期間中だから、授業さえなければこのまま家に送ってやっても構わない。

仄香は真っ白い湯気を立てているマグカップからコーヒーを飲むと、バッグから煙草を取り出し火を点けた。

あいつ、いつから煙草を吸うようになったんだ?
仄香が煙草を吸うようになったなんて知らなかった。

仄香ももう21だ。
法に触れる訳ではない。
それに俺自身煙草を吸うし、仄香を責める筋合いなんてない。
それでも、女が煙草を吸うもんじゃねぇとか、兄貴ぶった説教が心の中で渦巻く。
思い返せば、俺の知らないあいつの一面が気に食わなかっただけだが、それに気付かず俺はただもやもやとした気持ちに舌打ちをした。

車から降りようと、エンジンを切ってシートベルトを外して、もう一度仄香を見遣ると、仄香はふわりと微笑んでひらひらと手を振った。
つられて俺も仄香の視線の先を見遣る。

仄香の視線の先には、銀髪の優男がいた。

ドクンと一際強く心臓が脈打った気がした。

もう長い事、俺は仄香の事を想っていた。
まだあどけない顔つきをしているうちは、仄香は俺の可愛い妹のようなものだった。
俺に褒められたくて、少しでも勉強を頑張ろうと、中学の帰りに俺の大学に立ち寄って宿題で分からない所を聞きに来るのがいじらしくて、可愛くて仕方がなかった。
やがて、高校に進学する頃になると、顔立ちから幼さが抜けていき、あいつは化粧を覚えた。
まだ気が早いとかそんな小言を言ったものだが、「女子校には女子校の付き合いがある」と言われ、黙って見過ごすうちにサナギから蝶になるように、固い蕾が花開くように、急にあいつは綺麗になった。

仄香がふわりと俺に微笑みかける度、胸の奥が疼くようになって。
あいつの性格の本質が変わった訳ではないのに、急に女として意識してしまうようになって。
相変わらず俺の腕に縋ったり、手を繋ごうとする仄香を避けるようになった。

手を繋いでしまったら、そのまま人気のない所で抱き締めてしまいたくなる。
俺を兄のように慕う仄香にそんな事は出来なかった。
それに、俺には政宗様との約束もあった。
いつか仄香から想いを告げられるまで抜け駆けはしないと。

そうして少しずつ仄香と距離を置くようになって、仄香が大学に入学した頃には俺も駆け出しの社会人で、二人で過ごす時間はめっきり減った。

俺の知らない仄香の一面があってもおかしくない。
それでも、俺や政宗様以外の男にあんな風に微笑みかける仄香なんて想像もしていなかった。
記憶の中のあいつはまだ女子高に通う高校生のままだ。

茫然と俺が見つめる視線の先で、男は柔らかく微笑んで仄香の前の席に着いた。
いつの間にか仄香の煙草の火は消されている。

二人は仲睦まじく談笑し、互いにプリントの束を交換すると、額を寄せ合うようにしてそれを読んでいる。
また先程のもやもやとした気持ちが心をどす黒く染めていく。
仄香ははにかんだように笑うと、バッグの中から綺麗にラッピングされた包みを取り出し、男に差し出した。
誕生日プレゼントかという考えが一瞬頭を過ぎったが、今日の日付を思い出す。
今日はバレンタインデーだ。

今朝、政宗様は憂鬱そうに学校にお出かけになった。
普通の男子校なら関係ない話だろう。
しかし、政宗様の通う高校は首都圏最難関と言われる男子校。
しかもあの容姿でいらっしゃる。
登下校中も他校の女子に待ち伏せされるらしいため、俺が学校まで送ったのだった。

ついに仄香にも、逢引までしてチョコレートを渡したい男が出来たのか…。

俺は知らぬ間に止めていた息を吐き、内ポケットから煙草を取り出し火を点けると深く煙を吸い込んで、目を閉じてゆっくりと煙を吐き出した。

段々仄香が俺の知らない女になっていく。
段々俺から離れていく。
俺の気持ちは何年も変わらないのに、傍にいないだけで人の気持ちは移ろっていく。
俺達がいつも一緒にいたあの十数年は一体何だったのだろう。
それが無性に寂しかった。
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