02.Perplexing

「どうした、小十郎。難しい顔をして。商談が上手く行かなかったのか?」
「…いや、そうじゃねぇ。商談は上手く行った」

隣りに座る綱元に声をかけられて我に返る。
俺はメールボックスを開いたまま眉間に皺を寄せて画面を凝視していたらしい。

帰社する途中に見た光景が忘れられない。
仄香はあの男と付き合っているのか?

俺が在学中はそれとなく睨みを利かせていたが、それも遠い昔。
もう4年も前の話だ。
俺と政宗様が惚れる程の女だ。
男子生徒が約80%以上も占める婆娑羅大で独り身でいる事の方が難しいかも知れない。
それでも、俺が帰宅する頃まで最低週に3回は仄香は政宗様の家庭教師をしているし、大学の課題で煮詰まると、俺を待って深夜まで伊達の屋敷にいる事もある。
大学の勉強と家庭教師のバイトで恋なんてしている暇はないはずだと自分に言い聞かせる。
だが、毎日伊達の屋敷に拘束している訳ではない。
むしろ自由な時間の方が多い。

やっぱり仄香はあの男と…。

ぐるぐると回る思考を中断させて、俺は溜め息を吐いた。

「片倉部長、お疲れですか?もしよろしければこれ、受け取って下さい。甘い物食べると元気出ますよ?」

振り返ると、同じ課の女子社員が徒党を組んで俺のデスクの前にいて、チョコレートと思しき包みを差し出していた。
ああ、恒例の義理チョコか、と納得する。
今日は朝から外回りだったからすっかり忘れていた。
中には義理ではなく本命も紛れ込んでいるから人付き合いは難しいと思う。
俺の心を占めているのはここ何年も仄香ただ一人だけだ。
会社で恋愛沙汰に巻き込まれるのは御免だ。

「勿論義理だな?」

見れば明らかに手作りのものもあって、じろりと睨み付けると、部下達はクスクスと笑った。

「嫌だなあ、部長。【義理】じゃなくて【お世話になってます】チョコですよ」

物は言い様だと思う。
「お世話になってます」と言われて受け取らない訳には行かない。

「悪ぃな。後で綱元と一緒に頂く事にする」
「鬼庭次長の分も勿論ありますよ」

俺も綱元も山のようなチョコレートを受け取って戸惑う。
俺と違って綱元は甘い物が好きな方だから嬉しそうな顔をしているが、俺は手渡されたチョコレートの量に頭痛を覚えた。
これだけのチョコレートを一体どうしろと?

「部長、今晩お暇ですか?久し振りだし、もしよろしければ皆で飲みに行きませんか?」

今日はバレンタインだ。
好きな男と一緒に出かければいいだろうと思いかけて、この女子社員は普段から何かにつけて俺にアプローチをしていたと思い当たる。
チラリと綱元を見遣ると、綱元は面白がるように唇の端を吊り上げて笑った。

一連のやり取りに既視感を覚えて眉を顰めて、ああ、毎年繰り返されているやり取りだったと思い出す。

去年は…。
仄香から「夕食の支度をしているから早く帰って来て」というメールが入って、政宗様にかこつけて断ったのだった。
帰宅すると、笑顔の仄香に迎えられ、手の込んだ夕食に舌鼓を打った後、手作りのチョコレートケーキを出されたのだった。
チョコレートに興味は全くないが、他でもないバレンタインデーにわざわざ手作りのケーキを作ってくれるのが嬉しかった。
俺と政宗様が甘い物が苦手なのを知っていて、カカオたっぷりに上等な洋酒を利かせてほろ苦く作ってくれるのが嬉しかった。
それも、手作りは俺と政宗様以外には渡さないというなら尚更。
昔と変わらず三人で過ごす時間は尊く、俺の安らぎだった。

今年は…。
仄香はあの男と出かけるのかも知れない。
仄香が来なかったら、政宗様はきっと荒れるだろう。
そのまま屋敷を飛び出して遊びに行くのも目に見えている。
成実を供につければその点は問題はない。むしろ俺が傍にいない方が政宗様も羽が伸ばせる。

俺はと言えば、仕事が終わったらする事もないし、仄香を想って部屋で一人酒を飲むのを想像してやり切れなくなる。
それならいっそこのまま誘いに乗ってしまおうか。
毎年断るのも酷だ。
気を持たせる方が余程酷なのに、もやもやとする気持ちを紛らわせたい欲求の方が勝って心がぐらつく。

「ああ、そうだな。たまには飲みに行くのもいいか」

そう答えると、女子社員は至極嬉しそうに微笑んだ。
周りからひそひそと「良かったね」と言われているのが聞こえて、誘いに乗るという事は付き合ってる女がいないと宣言したのと同じ事だと思い当たる。

クソッ、だからバレンタインデーなんて面倒なだけなんだ。

心の中で悪態を吐くと、綱元の携帯が鳴り響いた。

「成実、どうした?……何っ!?」
「綱元、どうした?」

険しい表情を浮かべている綱元に嫌な予感が過ぎる。
綱元は携帯を俺に差し出した。

「政宗様を見失ったらしい」
「何だと!?」

俺は綱元の手から携帯を引ったくった。
学校での政宗様の護衛にと、一つ年下の成実を同じ学校に送り込むのは大変だった。
「こんな難しい問題、一生解けない」と半べそをかく小学生の成実を宥めすかしたり叱咤激励したりして、仄香と二人で受験指導したものだった。

「成実、状況を説明しろ」
「小十郎!やっと繋がった!俺、梵を見失っちゃって…。うわっ、やべっ!」
「しっかりしろ、成実。何のためにお前を政宗様と同じ中学に入れたと思ってる」

電話の向こうで成実は舌打ちをした。
血のなせる業か、こういう所は政宗様にそっくりだと思う。

「お前に言われたくないよ。俺だってお前に何度も電話入れたけどドライブモードになってるし。とにかく、今、ここ戦場状態だから」

電話の向こうから「キャー!伊達君よ!!」という黄色い悲鳴が聞こえて、俺は何となく状況を把握した。
電話の向こうの成実の息が上がっているのは、恐らく走って逃げているからだろう。
遠目には政宗様と成実の姿はよく似ている。

「すぐに政宗様を探し出すから安心しろ。お前はそのまま政宗様の影武者を続けてくれ」
「えっ!?ちょっ!?俺も助けてくれるよな?」
「政宗様の後にな。出来ればギリギリまで引き付けろ。いいな?」
「無理無理!小十郎ぉおお!」

俺は綱元に携帯を押し付けて、自分の携帯を確認した。
メールが5件。着信20件。
すぐに着信だけ確認すると、案の定全て政宗様と成実からだった。
いつもは帰社するとすぐに政宗様からの電話着信だけは音が出るように設定しているオリジナルマナーモードに切り換えるのに、今日に限って忘れていた。
己の迂闊さに舌打ちする。
今日の俺はどうかしている。
いくら仄香の事が気になっていたからと言って、職務を疎かにするとは。
政宗様からの叱咤を覚悟して電話しようとすると、デスクの電話が鳴り出した。
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