揺れる灯火 -3-

宴の準備が整えられ、俺達はまた広間に集まり酒を酌み交わしながら談笑した。
昼間の会議が上手くいったお陰か、皆、思い思いに寛いでいる。
会議には参加しなかったが、宴には前田慶次も参加して、先程から島津義政と酒の飲み比べをしている。

俺が夢見ていた光景がここにはあった。
まだまだ俺達には課題も多いが、敵対するのではなくこうして平和に酒を酌み交わすような時代が訪れるのを待っていた。

「まあ!このお野菜、美味しゅうござりまする!もしや、これが噂の奥州の幻のお野菜にございまするか?」
「まつの料理と同じくらい旨いな!」
「犬千代様。まつめが必ずこのお野菜を手に入れてもっと美味しく料理致しまする!」
「頼んだぞ、まつ!楽しみだなぁ!」

和気あいあいと盛り上がる前田夫婦を見て何だか和む。

「これは小十郎が育てた野菜だ。美味いに決まっている。欲しいと言うならやらねぇでもねぇが、条件があるぜ」

ニヤリと笑って言うと、まつが目を瞠って声を上げた。

「まあ、条件とはケチにございまする!」
「そうだ、ケチだ!」
「政宗様に滅多な口を利くんじゃねぇ。この小十郎が丹精込めて作った野菜をタダでやれる訳ねぇだろう」

小十郎が眉根を寄せて前田夫妻を睨み付ける。

「そういう事だ。まつ、あんたが伊達の兵士達に手料理を振る舞ってくれるなら分けてやるぜ?」
「誠にございますか!このまつめにお任せ下さいませ!」

俺が条件を出すと、打って変わってまつはにこにこと微笑んだ。

「ああ、頼んだ。あいつら、こんないい女の美味い飯なんて食ってねぇだろうから喜ぶと思うぜ」
「まあ!」

まつは驚いたように頬を薄っすらと染めた。
すると、前田利家が眉を吊り上げる。

「政宗殿!まつを口説くのは止めてくれ!だが、まつがいい女なのは確かだ」
「まあ、犬千代様ったら。犬千代様も最高の男にございまする!」
「まつ!」
「犬千代様!」

人目も憚らず二人はぴったりと寄り添い抱き合った。
俺も、昔は遙とああして抱き合っていた事を思い出すと切なくなる。

お互いに想い合って結ばれた前田夫婦は幸せ者だ。
俺には、そんな幸せな未来はない。

「野菜、たくさん持って帰って構わねぇぜ。濃姫にも食わせてやってくれ。あいつ、身重だろ?元気な子を産んでくれって言付けを頼む」

濃姫は、魔王の子を身ごもっている。
その子が大きくなれば、伊達に仇をなすと言い張る家臣もいたが、俺は濃姫を生かすことにした。
どういう形であれ、濃姫は魔王を愛していた。
愛する人の子を身ごもる幸せは理解できる。
以前の俺なら何の躊躇いもなく殺していたかも知れないが、今の俺には出来なかった。

まつはハッとしたように目を瞠り、俺に向かって頭を垂れた。

「濃姫様のことはまつめにお任せ下さいませ。濃姫様にも政宗殿のお心をしかとお伝え致しまする」

成り行きを見守っていた真田幸村がぼそりと呟いた。

「政宗殿は、一段と懐が大きゅうなりましたな。流石この幸村の好敵手。否、もはや手の届かない御仁になってしまわれたか…」

隣で武田信玄が頷く。

「まったく、惚れ惚れするような男に成長しよったわ。我が娘を嫁にやりたいくらいにな。政宗殿!どうじゃ、わしの娘を娶らぬか?武田と伊達の結束も強くなろうぞ」
「それは名案じゃ。わしの娘も嫁がせたいくらいじゃ」
「では、わしの孫も…!わしの孫は別嬪でなあ!」

島津義政と北条氏政も身を乗り出して話に加わった。
武田信玄は居住まいを正して俺に向き合った。

「この武田信玄、生半可な気持ちでこの申し出をしているわけではない。我が娘は、わしが惚れ込んだ男の下に嫁がせたいと、かねてから思っていた。そなたほどの男はおるまい。この国の平和のためにも、どうか娘を娶ってはくれぬか」

朗々とした武田信玄の声が部屋に響き渡り、それまで宴の雰囲気で沸いていた部屋が一瞬にして静まった。

「まあ、悪い縁談じゃねぇよな」
「うむ、そうだな」

元親と元就は納得したように頷き合っていたが、俺の心の中はとても平静でなんていられなかった。
手に持っていた盃が震えそうになって、何とか堪えた。

今までずっと、遙を想って他の女を遠ざけてきた。
いずれ姫を娶らなければならないのは分かっていたが、それでもどうしてもその気になれず、言い訳を並べて先延ばしにしてきた。

それでももうダメなのか?
俺は姫を娶らなくてはいけないのか?

遙…。
お前は、もう、嫁いでしまったか?
他の男のものになってしまったのか?

遙を想うと胸の奥が苦しくて、俺は盃に入った酒をぐいと飲み干した。
心臓がどくどくと脈打ち、嫌な汗が出てくる。

「縁組は構わないが、人質になるのは可哀そうだ」

突如救いのような声が聞こえた。
見ると、徳川家康が、じっと武田信玄を見つめていた。

「儂は人質人生が長かった。いくら平和な世になったからと言ってもまだ先は分からない。縁組が大事なのは分かるが、それでも人質が惨めなことには変わりがない」

それを聞いて、前田慶次が大きく頷いた。

「そうだそうだ!やっぱり夫婦ってのは利とまつ姉ちゃんみたいに好きあってなるもんだと思うぜ」
「市も、長政様が好き」
「うるさい、黙れ、市!」

市が薄らと頬を染めて浅井長政を見つめると、長政はふいと顔を背けて突き放した。
それでも、長政も市を大切に思っていることが伝わってくるようだった。

「お市の方も元は政略結婚だったではないか。政略結婚でも好き合うことがないとは言えぬ。政宗殿、この縁談、武田は前向きに進めさせてもらおうぞ」
「武田殿、その件につきましては、伊達でも考えさせて頂きます故、是非また機会を設けましょう。政宗様は、どうやら酔ったらしく気分が優れないようですので」

俺の浮かない表情を読み取って、小十郎が俺の代わりに答えると、武田信玄は満足そうに笑った。

「ああ、よろしく頼んだぞ。政宗殿、大丈夫か?」
「悪ぃ、信玄殿。ちょっと酔ったみたいだから、夜風に当たって酔いを醒ましてくる。皆、悪ぃな。席を外させてもらう」

本当は酔ってなどいなかったが、酔った振りをして、俺は廊下に出た。

廊下から見える夜空には三日月が輝いていた。

俺は…姫を娶らなくてはいけないのか?
もう、これ以上引き延ばす事は出来ないのか?

お市と長政は、元は面識のない政略結婚だったが互いに慕い合うようになった。
本当は、結婚とはそういうものなのかも知れない。
少なくとも俺の世界では。

でも、俺は遙と出会ってしまった。
恋に落ちてしまった。
愛してしまった。
もう、他の女を愛することなんて出来ない。

好き合う者同士が結婚するものならば、俺はこの世界では結婚出来ない。
遙はここにはいない。
もう会うことが出来ない。
もう言葉を交わせない。
抱き締められない。

遙…。
遙……。
お前に会いたい。
会いたくて堪らない。

「遙…」

月を見上げながら、遙の名を呼ぶと、切なくて涙が零れそうだった。

「なぁ、政宗」

背後から声がして、俺は涙で歪みそうになる口元を堪えて振り返った。
そこには前田慶次がいた。

「前田慶次…。何か用か?」

慶次は俺をじっと見つめると、静かに口を開いた。

「なぁ、あんた、恋をしてるんだろ?」

俺の心を見透かすように慶次は俺を見つめていた。
もうこれ以上、自分の心を偽れなくて、それでも余計な噂は立てたくなくて、俺は目を逸らすことしか出来なかった。

「やっぱりそうなんだな。安心してくれ。誰にも言うつもりはねぇから。もちろん、利やまつ姉ちゃんにも。そんなに好きなら奪っちまいなよ。あんたなら出来るだろ?それだけの力があるなら、周りを黙らせることも出来るだろ?」

奪えるものなら奪いたい。
奪って手の届くものなら、とっくの昔に攫っている。

俺は小さく頭を横に振った。

「もう会えねぇんだ。二度と」

慶次は驚いたように目を瞠った。

「二度と?その…あんたのいい人は死んじまったのか?」

死んだ訳ではない。
でも、それと同じくらいの辛い思いをあの別れの時に感じた。

「まぁ、似たようなもんだな。遠い遠い、俺の手の届かない所にいる」
「そうか…。俺の想い人は死んじまったよ」

しばらく無言で見つめ合っていると、慶次は庭に脚を投げ出して廊下の片隅に座った。
俺もつられて慶次の隣りに座る。

「俺には次の恋に進めなんて言う資格はねぇよ。立ち止まったままなのは俺も同じだ」

慶次は肩の上に乗っている猿を撫でると哀しげに微笑んだ。

「領主って大変だな。好き合った子とはなかなか結ばれない」
「ああ」

ずっと心に秘めていた想いだったけれど、何だか慶次の前では素直になれた。
この男からは、俺が抱えているような哀しみの気配を感じた。

「なぁ」
「何だ?」
「さっき、あんたのいい人は死んだんじゃないって言ってたよな?」
「ああ」

慶次は真直ぐ俺を見つめて真剣な表情になった。

「俺、生きているならいつか会えると思うんだ。想い合っているなら、例えどんなに遠く離れていたっていつか巡り合える。そんな奇跡を俺は信じてぇよ」
「俺に姫を娶るなと言いたいのか?二度とあいつに会えないかも知れねぇのに」

恨めしげにそう言うと、慶次は肩を竦めた。

「それはあんたが決める事だろ?でもな、自分の心を裏切ったらきっと後悔すると思うぜ」

慶次は眩しいけれど哀しくなるような笑みを浮かべて言った。

「じゃあ、俺、戻るわ。皆には政宗は気分が悪くなって少し休んでるって言っておいてやるよ」
「ああ、悪ぃな。恩に着る。少し独りになりたい気分だ」
「分かってるよ。また何かあったら相談に乗るよ。俺達だけの秘密だからな。じゃあな」

俺の肩をぽんぽんと叩くと、広間へ消えて行った。
俺も立ち上がり、月明りに照らされた廊下をあてもなく独り歩いた。

己の心は偽れない。
でも、俺は領主としての役割がある。
それも天下人としての役割が。

それでも前田慶次の言葉がやけに胸に響いて、ただただ苦しかった。
苦しい想いなら捨ててしまえばいいのに、俺にはそうする事が出来なかった。

月を見上げると、遙もその月を見上げているような気がした。

なぁ、遙。
俺の想い、お前に届いているか?
俺はいまだにお前を愛してる。
深く、深く、ずっと。
愛し過ぎて胸の奥が苦しいくらいに…。
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