面影

俺は、部屋をぐるりと見回してまた女を見つめた。
とりあえず、ここは一体どこで、こいつは何者で、小十郎達は何処にいるかが知りたい。
かすがの幻術でもこんなのがあるだなんて噂、聞いた事すらない。

女はどう答えて良いのか悩んでいる様子だ。
部屋にある物で、時計が目に入ったので、ここは異国の英国ではないかと見当を付ける。
女は日本人のようだが、南蛮人のようなはっきりとした目鼻立ちをしているので、もしかしたら異国語で尋ねるのが妥当かも知れない。

「Where am I? And who are you?(ここはどこだ?それにあんたは誰だ?)」

女はやっと口を開いて俺の問いに答えた。

「This is my room. And I am 如月遙, a medical school student.」

俺は如月遙という名前が日本人である事に驚き、声を上げた。
南蛮人とやり取りをする商人でないと異国語なんて話せないし、そんな商人は城に出入りする大店だ。
女なのに苗字まで持っている。

「あんた、異国語がわかるのか?」

遙はすぐに俺の問いに答えず、まだ俺の様子を窺っていた。
その表情が少しずつ曇って行って、俺は何か傷付けるような事を言ったかと、顎に手を当てて思案した。
今のところ、遙が医学を学ぶ寺子屋に通ってるという情報以外、俺は何も聞いていない。
何で、こいつはそれだけでこんなに悲しそうなんだ?
じっと遙を見つめると、ようやく遙は口を開いた。

「異国語…というか、英語ですけど…。簡単な英語なら13歳くらいからみな話せませすよ?」
「What? Really? Damn!!あんた日本語も喋れるんだな。ここはあんたの部屋だって言うが、何か見たこともねえものばかり置いてあるし、ここは異国か?」

13歳からみんな異国語が話せる世界だなんて聞いた事もない。
俺は思わず叫んでしまった。
俺の知る限りの日の本の世界ではないから、やはり異国なのではとも思うが、何だかしっくり来ない。
それでも、思い当たる節はそれ以外にはなかった。

遙は思案しているようで、言葉を選ぶように話し出した。

「異国ではなく、異世界だと思います。どういうわけであなたがここに来てしまったのか私にもわかりませんが…」
「異世界…?マジかよ…。これから天下統一しようとしてたのに!!Goddamn!!」

異国でもどうやって帰ろうか悩むのに、異世界と聞いて俺はもう平静ではいられなかった。
思わず、Goddamnと悪態をつくと、遙は可笑しそうに初めて小さく笑った。
その笑顔がcuteだと思いつつも、俺は遙に詰め寄らずにはいられなかった。

俺がいなくなったら、小十郎や成実達は敗走だ。
早く帰らなければ…。

「Hey, you!!笑ってんじゃねえよ!事態は深刻だぜ?」
「I know. 私もどうすればいいか困っているところ…。それ以前に私の頭がおかしくなってしまったんじゃないかって…。これは幻覚…?」
「安心しろ。俺も夢じゃねえかって思ってるところだ。まあ、夢ならいつか覚めるだろう。やけにrealな夢だけどな。寝た覚えはねぇし妙だが…。さっきまで小十郎と一緒に戦場にいたんだけどな」

俺は腕組みをして、どうやって帰ればいいのか、もしかしたら、遙が幻覚と思っているように、俺も幻覚か夢でも見ているのでは、と思案し始めた。
とにかく、帰れるとしても、鍵になるのは俺が夢から覚めるか、幻覚を引き起こしている遙だ。
じっと俺は遙を見つめた。
遙は柔らかそうな椅子に座ったまま、目一杯俺を見上げて答えた。

「あの…。とりあえず、着替えてゆっくり座りませんか?ここは戦場ではありませんし。着替えならありますから…。夢が覚めるまでこうしているしかありませんし」

多分、夢じゃないと思う。
でも、もしかしたら夢かも知れない。
それならば、遙が言う事はもっともだ。

「Ah…そうだな。突っ立ってても仕方がねえ。戦場じゃないなら鎧をいつまでも着ている必要ねぇしな。じゃあ、悪ぃが着替え借りるぜ。これが夢なら楽しまなきゃ損だしな」
「では、着替えを取って参りますので…」

遙は部屋の奥の扉の向こうに消えると、間もなくして遙が着ているような薄着の着物を持って戻って来た。
そして、まじまじと俺を見るとハッとしたような表情になった。

「あの…。お風呂沸いていますから、先にお風呂に入ってしまったらどうですか?」
「あ?風呂?」
「はい。きっと政宗様のお城のお風呂より狭いですけど」
「Hey。今、何つった?何で異世界のあんたが俺の名前を知っていやがる?俺はまだ名乗ってねえ」

俺は、まさか遙が俺の事を知っているだなんて思いもよらなくて、もしかしたらこの神隠しは遙のせいではと疑い、鋭く睨みつけた。
遙は震えそうになる声をぐっと堪えて、口を開いた。

「奥州筆頭伊達政宗はこちらの世界でも有名なんですよ。竜の右目、片倉小十郎も…」
「あんた、小十郎のことも知ってるのか!?」
「左頬に傷のある、政宗様の背中を守る唯一の人物でしょう?」
「Oh, my…。あんたが俺のことを一方的に知ってるなんてunfairだぜ…。まあ、俺が有名なのは仕方がねえけどな」

俺は頭を軽く振った。
よくよく考えたら、この兜だけで俺が奥州筆頭伊達政宗なのは一目瞭然だ。
それほどまでに、俺が有名なのは仕方がない。
小十郎の事も知っているようだし、何より遙からは邪気を感じない。
俺のただの杞憂のようだ。
俺は顔を上げるとニヤリと笑って遙を見つめた。
敵意はないと、言う意味を込めて微笑みかける。

「まあ、風呂も提供してもらうことだし、あんたには世話になっちまうから、俺のことは政宗でいいぜ。敬語もなしだ」
「うん、わかった」
「じゃあ、風呂に入る前に鎧を脱ぐのを手伝ってくれねえか?これ、一人じゃ着られねえし、脱げねえんだ」
「ええっ!?」

遙は驚いたように声を上げた。
別に着物の上から鎧を着ているだけなのに、何故そこまで驚くのか。
疑問符を浮かべながら首を傾げると、遙は腹を括ったように立ち上がり、俺の鎧を脱ぐのを手伝ってくれた。
遙はそこまで背が低くはないが、時折背伸びをして一生懸命になって手伝ってくれたのが好感が持てた。

やけに悲しそうなのに、初対面の俺に親切な遙。
すぐに帰る事になるなら、その前にもう一度笑顔にしてやりたかった。

「Okay, thanks. ここまでくれば後は俺一人でも大丈夫だぜ」
「じゃあ、お風呂場に案内するね」

遙は着替えと厚手の布を持って、風呂場に俺を連れて行った。
見たことのない風呂桶と装備に俺の目が奪われる。
木の風呂なら分かるが、何故だか全体的に白くて光っている材質だ。

「What the hell are they?」
「うーん、まあ、説明するから。シャンプーとか使ったことないよね。じゃあ、全部脱いだら腰にこのバスタオル巻いて。頭洗ってあげるから」

俺は内心戸惑った。
俺の風呂の手伝いは、小姓の役目だ。
疱瘡の痕の醜さを気味悪がる女中もいた。
俺に抱かれようと風呂までついてくる女もいた。
遙は…?

そっと遙の表情を盗み見ると、遠い目をしていて、何故だか切なそうな表情をしている。
それでも、ただ俺を風呂に入れるだけのつもりのようで、俺はホッとした。

「じゃあ、私、ドアの外にいるから、準備が出来たら呼んでね」

遙が脱衣所の扉を閉めたので、俺は、着物と肌着を脱いで、バスタオルと呼ばれた布を腰に巻いた。
先程返り血を浴びたから、風呂の提供は本当にありがたかった。

「遙、入っていいぞ」
「はーい」

遙は扉を開けて入ると、絶句して俺を見つめてほんのりと頬を染めた。
俺は思わず唇の端を吊り上げて笑った。

「遙、見蕩れたか?」

からかうように言うと、遙は顔を少し赤くしつつも余裕の笑みで答えた。

「見蕩れない方がおかしいでしょ?こんな綺麗な身体の人、そうそういないよ」
「言うねえ。素直なのはいいことだぜ。I like that.」

俺は、口許を綻ばせて笑うと、思わず遙の頭をそっと撫でた。
その途端に、また遙の表情が曇る。
まるで泣きそうに、睫毛を震わせる遙をこれ以上見ていられなくて、俺はすぐに手を離した。

「Sorry…。嫌だったか?」
「ううん、そうじゃない。大丈夫…」
「そうか…」

遙は無理矢理に笑うと、浴室のドアを開けて俺を先に入れた。
そして、長い棒と管の先から勢いよく湯が流れ出して、俺は思わず声を上げた。
遙は湯加減をcheckしている様子だった。

「What the hell is that?」
「これはシャワーだよ。すぐにお湯が出るから待っててね」
「へぇ、便利だな!Fantastic!!」
「はい、お湯が出てきたから頭にかけるよ。目をつぶって」

遙は俺の頭にシャワーをかけた。
俺は、なすすべもなく、とりあえず大人しくされるがままになっていた。

充分に髪の毛が濡れると、遙はシャワーを止め、シャンプーという物を手に取った。
髪の毛につけて泡立てて、指先で軽くマッサージをするように、俺の頭を洗っていく。

「Feel so good。くせになりそうだぜ」
「今日だけだからね」
「そいつはもったいねえな」
「はい、流すよー。口閉じないと口に入るよ」

遙はシャワーで髪の毛についた泡を落としていくと、シャワーを止め、俺の髪の毛を絞る。

「Is it done?」
「Not yet. 次はコンディショナーをつけるよ。髪の毛がすごくさらさらになるの」
「ああ、それでか。さっきあんたの髪を触ったらすげえさらさらで驚いたぜ。異世界ってすごいんだな」
「そう?そうかもね…」

遙は俺の髪の毛にコンディショナーをつけて、ゆっくりと馴染ませた。
しばらくそれを揉み込むと、それを綺麗に洗い流した。

「はい、終わりだよ」
「Thanks. ついでに背中も流してくれよ」
「ああ、もう、わがままだな。ボディシャンプーの使い方も教えてないし、まあ、いっか」

少し遙の元気が出たようで、俺も嬉しくなる。
遙は垢擦りの布にボディシャンプーを取り、泡立てると、そっと背中の醜い傷を撫でた。
すっかり疱瘡の痕の事を忘れていた。

「…醜いだろ、その痕…」
「そんなことないよ。だって私、医者の卵だもん。これより酷い傷も見たことあるし」
「あんた、医者になるのか?」
「うん、そう。そのために勉強している。これくらい何でもないよ」
「そうか…」

そういえば医学の寺子屋に通ってるのだった、遙は。
女で、俺に抱かれようとする訳でもなく、こうして親切な遙。
俺はとても好感を持って、夢ならば、このまま遙の優しさに甘えてしまいたい、そんな気持ちに駆られた。

「このボディーソープで身体を洗ってね。私は背中までしか洗ってあげられないから」
「Oh、それは残念だぜ」
「What the hell are you talking about?乙女にこれ以上のことはさせないでよね」
「Alright。続きはいつか楽しみにしてるぜ」
「政宗、Don't harass me(からかわないでよ). はい、終わったから続きは自分でやってね。シャワーで流したら湯船に浸かって。外に乾いたタオル…あ、布をね、置いておくからそれで身体拭いて着替えてきて」
「Okay, got it」
「何かあったら呼んでね。じゃあ」

遙は泡のついた布を俺に手渡すと浴室を出た。
言われた通りに身体を洗うと今までで一番すっきりとして、やはり異世界はすげぇと改めて感心をして、俺は小さく謡曲を口ずさみながら、湯船に長いこと浸かり、戦の血をすっかり洗い流してさっぱりとした。

シャワーが物珍しくて、温度を変えたりしていじってひとしきり遊んでまた湯に浸かると、疲れもすっかり取れて、本当にリラックスした。
長湯の後に、身体を柔らかな布で拭くと、心地良かった。

その布が心地よくて、行儀が悪いのは承知の上で、頭を拭きながら初めて遙と出会った部屋に戻った。
何だか香ばしい良い香りに目を上げると、遙は目にいっぱい涙を溜めていて、そしてそれがはらはらと溢れていった。
何事かと俺は驚き、遙の前に座り、両手で私の頬を包み込んだ。

「どうした、遙?何があった?」
「何でもない…。何でもないの…」
「何でもなくて泣き出すヤツがあるか。言ってみろ」

遙は首をふるふると振って、一生懸命涙を堪えようとしていた。
俺は迷った。
泣くなというのは簡単だ。
でも、泣かないと、心の傷が広がるのは俺自身の過去から体験済みだ。

出会ったばかりの俺に親切な遙。
遙に何かしてやれるとすれば、泣きたいならこの俺の胸を貸してやる事だけ。
俺の勘では、遙は俺を求めて来ない。
ならば、俺だって胸くらい貸してやるのはやぶさかではない。

遙が涙を拭おうと手を挙げたので、その手を俺は掴んで、代わりに指で遙の涙を拭った。
フッと笑って、俺はそっと遙を抱き締めた。
そして、遙の耳元で囁く。

「If you wanna cry, you can cry in my arms.(泣きたいなら俺の腕の中で泣いていいぜ)」

遙は一瞬身をこわばらせたが、次第に俺に身体を預けて本格的に泣き出した。
しばらく泣いている間、俺はずっと遙の髪の毛を梳いていた。

⇒Next Chapter
prev next
しおりを挟む
top