君とワンルーム。


「ちゃんと靴揃えろよー。」
霊幻のアパートは夏深にとっての唯一、安心して帰宅できる部屋だった。
眠れない夜も、身体を重ねた朝方も、彼の煙草の匂いで目が覚める昼前も、夏深の世界の中心はこの狭いアパートの1室だった。
スーツを脱ぎ、スウェットへ着替える霊幻はあの時と何も変わらないのだ。
「シャワー借りるね。」
しかし、夏深には何か掴めない距離感を感じていた。
本当に、本当に…自分は帰ってきても良かったのか。 子供の頃の可愛い思い出とは比べ物にならないくらい、こいつとは色々な思い出を作ったし、このアパートでの思い出は数え切れない。
「おーう、使い方は…忘れてはないよな。」
ユニットバス付きのシャワー室はかつて夏深が使っていたシャンプーやソープの匂いはもう無く、すっかり霊幻の匂いでいっぱいだった。
「あんたが居ない事が当たり前になってた私がいるから、私が居ない事があんたにとって当たり前になっていったんだろうね。」
ごめん、と漏れた嗚咽はシャワーの水圧に押し潰された。



「くそ…! 何で肝心な時に言葉が出てこねぇんだよ……。 何で普段から浮かぶ言葉がアイツにはスラスラ言えねぇんだよ……。 20年、何でも話せる仲だったんじゃねぇのかよ……」
声に出す度に自分の惨めさが霊幻にはハッキリ見えた。
これまで数々の人間とその口で商売をしてきた。 口の良さには自信があった。
誰よりも、誰よりも自信があった筈なのに。
霊幻は夏深が残した摘みのチョコレートに手を出す。
甘い、と呟きを残せばシャワー音だけが部屋に響く。
アルコールとチョコレートは最高に太るという、後で小突いてやろうか。 そう考える内に自然と口元がにやけた。
だが、今の自分に彼女が居なかった2年は大きすぎた。 いつの間にか女になっていた、女にしたのは確かに自分だが。それとは違う…20年間、自分も大人へ成長した。同じように彼女も大人へ成長したのだ。
ふと、天井を見ると懐かしい気持ちに襲われるのだ。

(ああ、あの時…夏深もこの天井を見ていたのか。)

シャワー音が鳴り止んだ。
クローゼットから己のTシャツを取り出す。
このTシャツを着た彼女は絵に描いたように"恋人"なんだろうな。と考えると嬉しくて。
こんな日々が幸せ何だろう、と。霊幻新隆はつくづく感じた。


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