これを前提条件にして
 この世界に生まれて二十数年。念願の深空ハンターになったわたしは、様々なものに追われていた。多忙で過酷な任務の数々、自分の知らなかった真実、絶え間なく襲い来る脅威と困難。それらはまだいい。
 任務についてはわかっていたことだし、知らなかった事柄については、そういうこともあるよね……という気持ちが若干ある。忘れてしまっていることがあまりにも多すぎるような気はするが、忘れてしまっているものは、今更どうしようもない。外的要因か、時の流れが思い出させてくれると期待することにする。もしくは、真実を知っていて、教えてくれない誰かさんたちが教えてくれるか――小出しに情報を出してくるのは、どうしてなんだろうね。一気に教えたら、わたしの頭がパンクすると思われてる? それとも、出し渋った方が、情報に価値が出るとかそういう話? まどろっこしいから、一気に教えてくれないかな。わたしが自然と思い出して、自覚することを期待されてるんだろうか。過剰な期待だとじゃないかな……。
 わたし――というよりは、わたしの心臓にあるエーテルコア――を狙う、第三勢力のみなさんも……うん、いいとしよう。これは、前ふたつと密接に関係している部分もあるし、少なくとも、自分が狙われているという自覚を持てている今なら、ある程度、対処もできる。これでも、深空ハンターだからね。守られて震えているだけのか弱い女の子じゃない。多勢に無勢とか、不意打ちとか、そういういろいろどうしようもない場面に直面することもなくはないけれど、人間って生きている以上困難に直面するものだから。それに、わたしひとりで立ち向かわなくてもいいということを、わたしはきちんと理解している。頼りにできる人たちがいる。それは、なんとも心強いものだ。


 その"頼れる彼ら"が、悩みの種にさえなっていなければ。


 開いたままのSNSに視線を落として、無意識のうちに息が漏れる。溜め息をつくと幸せが逃げるとはよくいうけれど、そんな簡単に逃げてしまう幸せなら、元からわたしの手の中にはなかったということだろう。
 日常を切り取ったようなそんな些細な投稿だ。道端に転がっているようなちょっとした話題。大した意味もなく、思い付きだけの言葉の羅列。それに、すぐさま反応が来る。
 それぞれのコメントに目を通して、わたしは二度目になる溜め息をついた。

 彼らはおそらく、というかほぼ確実に、わたしに好意を持っている。自分で言うことでもないけれど、自分なりに客観視しようと努めた上での結論だ。
 最初こそ、勘違いかもしれないと言い聞かせていた。でも、いい加減言い逃れができなくなってきた。
 わたしを見つめる目の色だとか、わたしに触れる指先の温度だとか、名前を呼ぶ声音に含まれる甘さだとか。そういった様々なものから、読み取れてしまう感情というものがある。
 もし、わたしがまだ女子高生で、少女漫画に描かれるような恋物語に憧れているのであれば、浮足立つ気持ちもあったかもしれない。
 だけど、わたしはもうなにも知らない子どもじゃない。酸いも甘いも知っていると豪語できるほど人生経験を積んだわけではないけれど、なにも知らないまま無邪気に笑っていられるほど、幼くもいられない。

 素知らぬフリをするのも限界だった。
 なにせ、彼らの方がさり気なくなっていくのだ。往来の場だろうと、肩や腰を抱くのは当たり前。耳元に唇を寄せて囁くのも日常茶飯事。キスだって、ここが欧米諸国かと勘違いするほど、当たり前に贈られる。
 こちらが距離を置こうとすると、捨てられた子犬のような目をしてくる始末。

 わたしだって、悩んだことはある。彼らと同じだけの熱量はないとはいえ、わたしも彼らを憎からず思っている。もしその感情を言語化するのなら、『好き』と表現したって差し支えない。
 好きな人に嫌われたら悲しいし、好意を突き放して気まずくなるのも嫌だというわがままもあった。でも、それを全員にするなんて、酷い女だ。彼らの好意を踏み躙るような、最低な行為だ。
 それなら、誰かひとりを選べばいいのかもしれないけれど、それも、わたしにはできなかった。だって、わたしには『恋』がわからない。甘く胸が高鳴る瞬間というものがわからない。誰かひとりだけを、この手に留めたいという感情がわからない。

 だって、どれも失いたくない。

 幸か不幸か、彼らはわたしの中途半端な振る舞いを咎めることはなかった。
 きっと、気付いているのだろう。

 わたしが『恋』を理解しないということを。




「眉間に皺を寄せてどうしたんだ?」

 気遣うような声に顔を上げる。視界の端に、太陽の光を浴びたきらきらとした金糸が映りこんだ。
 同僚であり、パートナーでもあり――"彼ら"のうちのひとりでもあるセイヤが、大きな背を丸めてわたしの顔を覗き込んでいる。

「どうもしてないよ。そんな難しい顔をしてた?」
「ああ。これから、目の前のクロワッサンと戦闘を開始するとでも言わんばかりの顔だった」
「上手に食べようとするのって意外と難しいから、ある意味、戦うよりも難しいかもね」

 緩く頷いたセイヤの表情は、大きく変わらず感情が読み取りにくい。だからと、彼が不愛想だということはなく、わたしを映し出す目が雄弁に感情を語っている。目は口程に物を言うというのは、まさにこのことだろう。
 彼の冗談めかすような言葉に乗っかって、先ほどまでの考えの思考の片隅に追いやった。
 焼きたてでさくさくのクロワッサンが冷める前に、食べてしまわないと。端から小さくちぎって口に運ぶ。さくっとした食感に続いて、ふわっとした口当たり。口の中で広がるバターの優しい風味に、自然と目が細められる。

「気に入ったか?」
「うん。すごくおいしい。よくこんなお店知ってたね?」
「ああ。前に任務で通りがかったときに見つけたんだ。あんたが気に入るかもしれないと思って、覚えておいた」

「俺の予想は当たっていたな」と続ける声に、感情の揺らぎはない。淡々、というほど冷たくはないけど、セイヤの声音は一定で、どこか眠気を誘うほどに穏やかだ。
 けれど、わたしは知っている。わたしを見つめる彼の目が、そっと細められる理由を。声音から鮮少に滲む熱を。伸ばされた指先が、わたしの頬に触れるときのむず痒くなるほどの優しさを。
 知っていて、あえて、触れずに受け入れることにしている。

 これを知ったら、誰かはズルいというのかもしれない。もしかしたら、傲慢だとか、強欲だとか、そんな言葉も飛び出してくるのかもしれない。
 わたしもだって思うもの。映画やドラマのヒロインであれば小悪魔的として魅力的に描かれるのかもしれないけれど、現実もなれば、わたしは中途半端でどっちつかずのズルい女だ。
 セイヤが――ひいては、彼らが決定的な言葉を言わないのをいいことに、見てみぬふりをしている。

 ――わたしのこの厄介な性質を、みんなも知ってはいるのだろうけれど。

 正面に座り、わたしと同じようにクロワッサンを食べるセイヤを盗み見る。数秒とあけずに、視線に気付いたセイヤと目が合い、彼の首が不思議そうに横に傾いた。

「おいしいよね」

 口元に笑みを浮かべる。セイヤは「ああ」と静かに頷いた。窓から射し込む光の中で、彼の表情が陽だまりのように解ける。

 わたしを見つめる優しいこの人が、憂うことのない世界であってほしいと願うことのなにが悪いの。その相手がたったひとりでないことに、なんの問題があるというの。
 開き直りだと言われたらそうだろう。わたしはズルくて傲慢だから、だれひとりとして取りこぼしたくない。

 わたしの大切な人たちに、笑っていてほしい。

 そんな幼い願いを、わたしは本気で叶えようとしている。ただ、それだけだ。
 いつか、彼らに咎められる日が来るかもしれない。詰られる日も、あるのかもしれない。……あまり、想像はできないけれど。

 わたしは『恋』を理解しない。でも、わたしは彼らのことを愛している。
 その矛盾を、許しているのは、紛れもない彼らだ。





 ――――――ああ、こういうところがズルいんだろうな。


prev   top   next