目を開ける。夢を見る。
 目を閉じる。夢を見る。

 夢と現を、意識が行き来する。

 目を開ける。夢を見た。
 目を閉じる。夢を見た。

 夢を、見る。
 夢を、見た。

 どうせ見るなら、しあわせな夢がいい。

 ――そんなささやかな願いが、叶う世界だったらよかったのにね。

 誰ともわからない声が、静かに笑ったような気がした。
 優しさと嘲りと諦観を孕んだ、そんな複雑な色を滲ませた柔らかな声だった。



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 柔らかな日差しが目蓋を優しく撫で、深い海の底を揺蕩っていた意識が、緩やかに浮上する。隙間なくカーテンを閉めたつもりが、少し開いていたらしい。起きたばかりで気怠い体を動かそうとして、少しの隙間もないことに遅れて気付く。もう一度、身を捩ろうとすると、次はそれを制するような力が外部から加えられた。数秒の間。ろくに働いていなかった思考が、徐々に動き出す。
 頭の上から密やかな吐息が落ちてくる。反射的に、視線を上向ければ、緩やかに細められた紫色の瞳がわたしを見下ろしていた。

「漸くお目覚めか?」

 鼓膜を擽る、揶揄うような声音。甘さを含んだそれに、「おはよう」と返す。
 思っているよりも、ずっと掠れた声だった。部屋が乾燥しているのだろうか。自動的に、快適な温度と湿度が保たれるはずなのに。寝る前に、設定いじっちゃったのかな……覚えてない。仮にそうであっても、誰かが気付いて直してくれそうなものだけど。
 小さく欠伸を漏らすと、伸びてきた指先がわたしの目尻を優しくなぞった。

「いつから起きてたの?」
「いつからだと思う?」
「起きていたなら、カーテンを閉めてくれたらよかったのに。眩しくて起きちゃったよ」
「わざと開けておいたんだ」

 その物言いに、鈍った頭が疑問符を浮かべる。わざと開けておいた? なんで……? そういえば、アラームを止めた記憶がないような……。
 起きあがろうと身動ぎをすると、やはり、制するように腕の力が強められる。
 抗議のひとつでもしようとマヒルの顔を見る。相変わらず、その視線は真っ直ぐにわたしに注がれていて、不安げな色が揺れていた。
 わたしがなにかを言うよりも先に、指先が顔にかかる髪を、そっと耳にかける。先ほどより視界が開けたと思った瞬間、焦点がぼやけていく。マヒルが顔を近付けてきているのだと理解するのと、薄い唇がわたしの唇――ではなく、その端に寄せられたのはほぼ同時だった。

「やっと起きたな、ハル」

 安堵したかのようなマヒルの様子に、ようやく、彼の意図を理解する。マヒルはわたしが起きるのを待っていた。ずっと。
 カーテンを開けていたのは、わざとだ。それは、意地悪でも、揶揄いでもない。わたしが目を覚ますきっかけを、少しでも作ろうとしていたのだろう。

「大丈夫だよ」

 簡潔に告げたところで、彼はすぐに引き下がってはくれないだろう。理解はしていても、定型句のようになった言葉を慣れたように口の中で転がした。
 添えられていただけの彼の指が意思を持って、わたしの輪郭をなぞる。指の腹が、頬を撫で、そのまま首筋を辿り、手のひらが背中に回された。

 ――少しの隙間も許したくないみたい。

 強く、彼の腕に閉じ込められながら、そんなことを思う。

「なあ、ちゃんと、オレを呼んでくれ」

 頭上から降ってくる言葉は、吐息に交じって掠れていた。どこにも行き場のなかった手を、マヒルの背に回す。わたしの指先が、彼の素肌を撫でた瞬間、僅かにマヒルの肩が強張ったのがわかる。

「マヒル。……ごめんね、大丈夫だよ。本当に」

 彼が納得してくれないことを、わたしは理解している。けれど、同じように、彼もわたしがこう言うしかないことを理解している。
 言葉はなく、互いの呼吸音だけが部屋に響く。窓の外では、朝の訪れを喜ぶように小鳥が囀っていた。


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